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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

冬の花火とすごい夕焼け

2004年12月07日(火)

 熱海に行ってきました。毎年恒例の秋山駿さんを囲む会です。秋山さんの還暦のお祝いが最初だったというこの会ももう14回目になりました。

 日曜日(5日)早朝の低気圧のために下田行きの列車が運休になり、新幹線で熱海へ。
 熱海では思いがけず冬の花火を楽しみました。と、言っても昼間の気温は25度にも達するという奇妙な日でしたが。宿の屋上から見る花火は目の前で炸裂するという強烈なものでした。

 翌日は房総半島、真鶴岬から初島、そして伊豆の大島まで見えるという快晴。秋山さん、川村湊さん、富岡幸一郎さん、森詠さんらと、寛一、お宮の像を見物。川村さんが「金色夜叉」全編を読んだと言い、「でも、お宮は自分の美貌には寛一の貧しさは釣り合わないと考えたのだから悲恋じゃないよ」と説明。一同、一度は頷いたものの、よく考えたら「金色夜叉」はお宮ではなくて、寛一の悲恋の物語でした。明治の人は男の悲恋にこんなにも同情したんだなあと、納得。

 夕刻、東京に戻って明治大学の13階の喫煙所から夕日が沈んでゆくところを眺めました。前日のストームがうそみたいに、太平洋沿岸はかなり広い範囲で快晴だったようで、丹沢山塊の向こうに富士山がくっきりと見え、その裾には秩父から赤城の山々、さらには筑波山までがシルエットになっていました。一時間くらいかけて沈んで行く夕日と、陽が沈んだあとの茜色の空が、群青色に変わって行くのを眺めていました。こんなすばらしい夕焼けは、一年のうちにそう何度も眺められるものではないでしょう。


 江戸時代の人は大きな関東平野を囲む山々が茜色の空をバックに黒いシルエットになる景色を時々眺めていたにちがいありません。そのスケールの大きさを想像するだけで、ため息が出ます。世界はその頃と同じように豊かなのに、ほとんどの人はその豊かな世界を見ようともしないのではないでしょうか?

 今では、日の出も日の入りも見たことがないという小学生が、東京にはかなりいるのです。たとえ見事な夕焼けが広がっていても、ビルの谷間にはそれと気付かずに忙しく働いていた人も大勢いたことでしょう。寛一が曇らせてみせると言ったお月様さえ、もう何年も眺めたことがないという人がいるかもしれません。

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