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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

いけども、いけども。

2009年07月08日(水)

 時々、原稿を書くのがいやだなあと思うことがあります。もうちょっと正確に言うと「原稿を書く状態に入ること」が嫌だなともたもたするのです。どうして嫌かというと、身体をここという空間に置いたまま、自分はどこか別のところに行っちゃうから。原稿を書いていると時間の進み方も、身の周りの空間の把握の仕方もいつもとはぜんぜん違うものになります。

 きっと絵を描いている画家も、音楽を演奏している演奏者もそんな感じなのでしょう。いや、画家や演奏者だけではなくて、絵を観ている人も、音楽を聴いている人も今ここにいるという感覚が薄らいでいることでしょう。時間を忘れて本を読むことがあるように。原稿を書いている時はそれと同じなんです。「原稿を書いている状態」に入るのが嫌だなあと感じるのは、そうなりたくないという意味です。

 結果として書き終わるとどうなっているかと言えば、家の中はもののけがいたんじゃないかと疑りたくなるぐらいごちゃごちゃ。どうしてこうなるの! と。若い頃に比べたらだいぶ用心はしているんですけどねえ。それで新聞連載を始める前には、コンテナ倉庫を借りて、家の中のいらないものをそちらに移したりもしましたし、そこまで用心したけれども、思い返してみると去年の4月頃から、用心だけじゃあ足りなくなって、無理に無理をかさねていて夏休みを待っていたにもかかわらず、夏休みは学校があるとき以上の大混乱で、切り抜けるのがせいいっぱい。そのまま秋に日中韓の文学フォーラムに出かけて、ようやく一息ついたのは11月。なぜか奥歯が痛みだしたと思ったら、これが心筋梗塞の前兆で、1月には救急車。12日ばかり入院して、退院した次の日に卒論面接で、そのまま入試の採点へ。

 そんな具合だったので「あ、あ、遊びたい!」という心境になり、熊本から博多に出て瀬戸内海を遡って大阪へ。外をふらふら歩き回るのはちっとも苦にはならないのですけど、これが「義務」という文字がつくとあらゆることが「イヤダ!」になる始末。大阪の四天王寺で舞楽を見たのは4月中旬。それから小袖の展覧会も見ました。あと京都もふらふらしたし。映画も観たい。芝居も観たい。取り壊しが決まった歌舞伎座にも行っておきたい。ゴーギャンの展覧会も行きたい。ど、ど、どうしよう。あ、イギリスに行く予約があったのをうっかり忘れていた。というような具合で、何が言いたいかというと、ようやく、もののけがいた家の中を片付け始めたのです。家の片付けをすると「原稿を書く状態」に入るのが嫌になってしまいます。だって、それってもののけを呼び込むのと同じなんだから。

 家の主が心ここにあらずの状態になると、それっとばかりにもののけが家の中に入ってきていろいろいたずらをするのです。書類を隠す。なんてのはいつものこと。なぜか冷蔵庫の牛肉がなくなる。(お母さん、それってお母さんが食ったの忘れているんだよと、息子は言いますが)一万円札が全自動洗濯機の中でぐるぐる回っている。3年前に支払ったはずの古本屋から請求書が届く。どうしてこんな物を選んだのだろうと首を傾げたくなる赤いワンピースが出てくる。それもこれも、私が原稿を書いていたために、心ここにあらずで、もののけが忍び込んできたおかげだとしか言いようがありません。

 んなことは言ってられないので、机周りを片付け始めました。これが「いけども、いけども、どこまで続くぬかるみぞ」という状態。もののけさん、もし私の嘆きが聞こえたら、ちょっと姿を見せてくれませんかね。いえ、いたずらをするなとは申しません。お姿をひと目だけ見たいのです。どうも、数々のいたずらの性質から見て、ものすごく怖い妖怪変化とは思えないのです。きっとかわいらしいお姿をしているのではないかと推察しています。そのかわいい姿を見ることができたら、この「行けども、行けども どこまで続くぬかるみぞ」の状態もまあ、笑って片付ける気になるかもしれません。

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