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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

大阪城

2009年04月02日(木)

 大阪城は一度行かなくちゃいけないなあと思いながら、行ったことのある人が「つまらない」というので、ずっと二の足を踏んでいました。「つまらない」理由は「ただ広いだけ」なのだそうです。確かに地図で見てもかなり広い。ホテルニューオータニの客室から眺めてもほんとうに広い。で、つまらないかどうかは別として広いなら、夏の暑い時、冬の寒い時はさけたほうがよさそうだなとかねがね、時期を考えていました。

 淀屋橋のたもとから乗れる水上バス。こちらのほうは一度、乗ってみたいと思っていました。で、水上バス乗り場に行くと「臨時便 大阪城行き」の表示がありました。渡りに船とはこのことです! さっそく大阪城までの切符を買いました。大阪の川や堀など、つまり水路について感覚的に知りたかったので、城中まで船が行けるとしたら、これに越したことはありません。

 今年の桜は、大阪でもお彼岸には咲き出したのに、そのあとは寒い日が続き、開花は遅々として進みませんでした。船の上から造幣局の通り抜けの桜、桜の宮の桜を眺め、さらに遠く大阪城の天守閣を見ました。あと中ノ島の先端がとんがっているのも見ることができました。昔は大阪から伏見まで船で行き来したそうです。で、南へ下れば天王寺、住吉大社、堺へと連なり、大阪湾から瀬戸内海、瀬戸内海を出ればそこは玄界灘で、行きたければマニラでもルソンでも行けるというわけ。淀川は世界に通じる通路です。って、そういうスケールにふさわしい大きさが大阪城にはありました。

 確かに大阪城は広い。熊本城も広かったけれども、大阪の広さはなんと行ったらいいのか、広々と開けた広さです。この広さを楽しめたので大阪城はつまらないということはありませんでした。大きな梅林があり、冬に来てもよさそうでした。夏の暑いときだけは止めたほうがよさそうです。お城というのは外堀、内堀に囲まれたひとつの街だと考えたほうがよさそうです。西洋では街を城壁で囲ってましたが、どうしたわけか日本は堀で街を囲って「城」と称しています。河川や沼沢を利用して堀を作れば、物資の輸送にも便利だし、非常事態の時は防備の役割も果たすと、そういうふうに「堀」を利用することを考え出したのはいったい誰だったのでしょう?

 東京だって、飯田橋の外堀のふちから皇居の真ん中まで歩けと言われたら、ちょっとねえと考えてしまします。大阪城の船着きから天守閣まで行くのは、感覚的にはちょっとそんな感じでした。船着きに近い青屋門から地形の高低差や石垣の組み方を見ながら歩いていたら、これがたまらなく楽しく桜門まで行き着きました。天守閣を見物する前に豊国神社でおみくじを引いてみました。「医者はむやみにかえるな」とあって、太閤さんにそう言われたような気がしました。あと、中国、韓国からの観光客がたくさんいました。朝鮮半島も大陸もみんな、みんな、春休みというところでしょう。

 韓国の小説家の姜英淑さんと熊本城にいったとき、時代衣装を着たお城の番兵を見て、姜英淑さんは「こわいですね」と言っていました。日本の番兵の姿は秀吉の朝鮮出兵の時にことを思い出させる怖い姿ということでした。で、大阪城を見物した韓国人は何を思うのでしょうか? なにしろ、秀吉は朝鮮の国土を大混乱に陥れた大悪人ですから。ちょっと聞いてみたいような気もしました。きっと熊本城を作った加藤清正は、大阪城に憧れていたのでしょう。話を聞けるものなら、加藤清正にも話を聞いてみたいような気がしました。

 天守閣の最上階まで上がってみると、東西南北、大阪がすみずみまで見渡せて、これも広い、広い。そういう大阪城でした。帰りはくたびれて、城内を走っていた汽車形をしたバスに乗りました。桜門から森の宮の駐車場まで。となりはかわいい坊やとお母さんが乗っていました。

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