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ソウル郊外の骨董団地
2007年09月23日(日)
城戸朱理さんの案内で、東大門から少し離れたところにある骨董団地に行った。地下鉄で行ける場所だから、郊外というのは言いすぎかもしれない。ソウル市内の東側くらいか。 名前をどうしても思い出せない。人に案内してもらうとこういうことがよく起きる。
ソウルと骨董って言えば、すぐに思い出すのは仁寺洞で、この通りには紙屋さんもあれば文房具屋さんもあって、日本人の観光客も多い。以前、焼肉ガーデン(なぜかソウルでは焼肉屋は○○ガーデンという名前のお店が多い)のあったとことが、今はアートとファッションビルになっていたし、凸凹した舗装の曲がりくねった露地に韓定食屋が並んでいたところにワインバーがあったり、民俗趣味のレストランになっていて、仁寺洞も変わったものだと思った。なにより、韓国といえば焼酎とまっこりだったのが、ワインを飲む人が増えていた。以前は漢河の南側の江南でしかワインバーを見かけなかったけれども、このごろは旧市街でもワインバーが増えているようだ。で、仁寺洞の話に戻るが、この街で売っている骨董は、旅行者でも持ち帰れるような大きさの品物が多い。「日本で言えば日本橋中通りだね」と城戸さんが言っていたけれども、そんな感じだ。
で、今回連れていってもらった骨董暖地はひと目、見て、思わず「石屋だ!」と驚いてしまった。
ほら、日本でも石屋さんが、墓石とか、なんだか趣味でつくったようなドラえもんとか、そういう石の彫刻というか、細工物を置いているでしょう。あれに似てました。土を盛り上げて作るお墓の入り口におく石馬とか石羊、アーチ型の石の橋、蹲(つくばい)のような気がするけれども丸くなくて長方形の溝が掘られた石。それから斎州島でみかける魔よけのおじさん(これまた名前をいきなり度忘れしていまいました。ごめんなさい)などなど、大小あるけれども、驚くほど巨大(キロではなくてトンの単位が必要なほど)のさまざまの石の製品がある。買い物をするにはクレーン車が必要。
で、二棟ほどある骨董品屋さんの並んだ建物に入ってみると、そこには昔、農家で使っていたらしい民具や農具、貴族趣味的な箪笥(がっちりした金物がつかってある。桐箪笥の金具をより頑丈にした感じ。もっとも日本でも昔の桐箪笥にはずいぶん分厚い金具が取り付けられていたけれども)こういう古い箪笥を買って金具だけとり箪笥本体は新しく別注で作って、金具を取り付けることがあると聞いたことがある。長持や唐櫃もあった。骨董というよりも古道具である。で、思い出したのがソウルの集合住宅の大きさと広さである。天上が高くて、しかも広い。団地、マンション、いずれの名称を使うとしても、全体に大きく広く作ってあるのだ。あと、もともとの住宅も床暖房のオンドルなので、石の家からコンクリートの家に移り住むのは、木と紙の家からコンクリートの家に移り住む日本よりも感覚的な差が少ないのかもしれない。きっとそうしたことから、古道具の需要があるのだろう。
家の広さというのは、人間の美意識にずいぶん影響するに違いない。美意識に影響するということは、結局のところ、人間の希望や欲望に響くだろう。ちょっとそんなことを考えた。
大原の家の件が、着工寸前にまで来ているので、どうしたも大きな物に目が行く。キロ単位ではなくてトンの単位。そんなものを買ってどうするんだ!と内心で自分を取り押さえながら、あっちこっち見て回って買ったのが中国製の真鍮の香炉と植民地時代の花瓶。どっちもスーツケースに入る大きさです。
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