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情報機器
2007年05月27日(日)
最初にパソコンを購入したのが95年でした。まだ日本語のヤフーのサイトもありませんでした。なんとなく便利そうな、でもどんな実用性があるのかわからない玩具みたいな道具という印象でした。携帯電話を持つようになってから8年目。カメラ付きなんていらないや!と思っていたのに、そろそろカメラの機能が高い携帯を欲しくなってます。もしパソコンがなければ、カメラ付き携帯が欲しいなんて思わなかったかもしれません。
木曜日から、それらの情報機器が大活躍。と言いたいところですが、ちょっと機械に振り回されている感じです。地下鉄で移動中に大庭みな子さんが亡くなられたことを知らせてもらったのは木曜日の昼頃。3コマの授業をして、法政の80年館の受付で「休校措置ですね」と受付の人が電話応対をしているのを小耳に挟んだのが夕方でした。一緒にいた深野女史と「あれはきっと多摩キャンパスが休講になったんだ」と話しながら富士見坂を下って、軽子坂の軍鶏料理屋へ。姜英淑さんと韓国から来た5人の女性作家に安宇植さんを交えて会食中に「やっぱり多摩キャンパスは休講でした」という携帯メールが深野女史からありました。で、その間にもいくつかの新聞社からの電話があったのですが、「はしか」休講と大庭さんの件が入り乱れて、だんだんわけがわからなくなってきました。
金曜日の午前中、静岡新聞の志賀さんから携帯に電話。「大庭さんの追悼文を書くんでしょ?」という質問で「いや、いまやってます」と大慌て。共同通信に約束した原稿でした。で、なんとか午前中にこの原稿を仕上げ、共同の金子さんとのやりとりは急いでいるので家デン(家の固定電話を子どもたちはそう呼んでいます)とパソコンと携帯を駆使しました。なんとなく「市ヶ谷もなあ……」という感じで学校に出てみると、とりあえずは無事。帰りはなぜかぶらぶら歩いていた坂本先生と出っくわして、ちょっと一杯。
土曜日の朝、家を飛び出して羽田から青森に飛びました。深野女史からは「慶応が休講になりました」の情報が携帯のメールに入ってました。もし法政が休講になったら深野さんに知らせてもらうことになっていました。月曜日の授業がある長谷川先生には、休講措置が出たら私からお知らせするお約束になっていました。青森で空港を出てみると、長谷川先生の伝言が携帯に入ってました。「法政が休講になったそうです」そこで深野女史にメールをしてみると、まだ法政の休講の連絡は入っていませんでした。約束していた手はずとちょうど逆になったかたちです。で、それから、携帯メールが大活躍。授業以外の予定をどうするかという相談メールがあっちこっちに飛び交いました。最後は八戸のホテルでノートブックパソコンをネットにつないで予定の再確認。やれやれ。もし情報機器がない時代だったら、月曜日の飛行機で東京に戻って、学校の正門で「へえ、休講になってたんだ」と驚いていたことでしょう。
いいんだか。悪いんだか。ちょっと複雑な気分。いずれにしてもくたくた。
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