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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ノートブックパソコンを家の外に持ち出してみました。

2007年04月18日(水)

 ノートブックパソコンを家の外に持ち出してみました。実はこれが二回目です。3月にも静岡にノートブックを持って行ったのですが、このときはケーブルを忘れて、ネットには接続せずに、たんにワープロとして使用しただけでした。今度は、豆蔵さんに秋葉原についてきてもらったときに買ったケーブルを持ってきました。

 で、なんとなく使ってみているのですが……。やっぱり万年筆とは勝手が違います。ええと、ホテルの部屋に入るとここは原稿が書けるかなって反射的に考える癖ができていて、たとえ原稿がなくても「あ、この部屋で原稿を書いてみたいなあ」と思う部屋があります。居心地の良い部屋です。日本のホテルや旅館はそういう部屋に通されることはめったにないです。たいてい寝るだけっていう作りになっています。で、ノートブックですが、そういう勘? みたいなものがどうもしっくり働きません。まあ、原稿がせっぱ詰まっていれば、どこでもどうにでもなってしまうんですけど……。なんていうのか、マシーンも部屋も、自分の三者三様に戸惑っているという感じです。ま、ちょっとずつ慣れていくしかないですね。とは言え、工業製品というか、電気製品(パソコンの場合はいずれでもあるわけだけれども、いずれと呼んだらいいのか解りませんが)って、なんというか、この「慣れ」ができるまえにモデルチェンジしてしまって、それも戸惑いのひとつになっています。

 長く使える物っていうのがだんだんなくなってきていて、自分もそれにならされているようです。着るものがそれで、あんまり長く着なくてもいいやっていう気になっています。それでも気がつくと5、6年は着ているんですけど。

 仕事をするために、道具に一生懸命慣れようとすると、だんだんと自分のものの感じ方が変わっていくのに驚いたりしています。物に愛着とか執着を持つほうだったのが、そういう感じ方が薄らいでいくっていうのか、そういう自分の変化を感じます。頑固に手書きの原稿だけでやっていくっていう方法もあることは解っているんですけど。そういう頑固は歳をとってからやればいいやと思っていましたが、どうもパソコンというマシーンは歳をとってからが頑固モードに入ることを許してくれないような予感がしています。あるいはこの予感は的中せずに、技術革新の時期が終わって、ある程度、パソコンの機能が安定してデザイン的な洗練もひと段落して、落ち着くなんて時期もくるのかもしれません。いったいどっちなのだろうかしら?

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