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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ひがんばながかれても

2004年09月22日(水)

 ひがんばなが枯れても暑い日が続いています。光が丘公園を散歩してきました。萩が花盛り。お彼岸ですね。

 昨晩(21日)のジャイアンツ戦の観客が少なかったのや、テレビの野球中継の視聴率が低かったことなどから野球人気の凋落傾向を指摘する記事をネットでいくつか見かけました。実際はパ・リーグの球場には大勢のファンが詰め掛けていたわけですし、注目を集めている対戦カードは巨人・横浜戦ではなかったうえに、多少、巨人に対する反発によるボイコットも含まれていた現象で、必ずしも野球人気の凋落を表してはいないでしょう。

 こういう記事はよく世論操作だと言われます。しかし、実際は世論操作でも何でもなくて、たんに記者の現実を把握する力が衰弱している場合もあります。だから「良い」と言うのではなくて、意図的な世論操作よりもよどほタチが悪い場合も多々あるように思えます。

 巨人一極集中という強固な固定観念を持って、昨日の巨人戦の視聴率や、球場への入場者数などを見れば前述のような記事も、書いている記者は「ほんとうのこと」を書いていると思い込んでいることもありえます。他の球場への入場者数を調べたり、注目される対戦カードの様子などを見れば考え方や見方が修正されそうなものですが、一度、思い込むとそれがそうは見えないのです。

 「そんなばかな」と思われる人もいるかもしれませんが、記事を書く直接の当事者に聞いてみると意外なほどよくあることなのです。現実を見て、情報を把握し、言葉で現実のスケッチをするという作業は、けっこう書き手に負担をかけるもので、かなりエネルギーが必要です。そのエネルギーが枯渇すると、観察に基づく感想を文字にするということができなくなってしまいます。

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