|
|
|
|
|
|
唸ってしまいました。
2004年09月16日(木)
今朝の新聞はどこも佐世保の小学生の同級生殺害事件の保護処分決定について報じています。私は東京新聞のコメントを出したこともあってこの事件に興味を持っていました。
加害児童の特徴について家裁は三つの特徴を指摘したと朝日新聞1面は報じています。 1、対人的なことに注意が向きづらい 2、物事を断片的に捉える 3、抽象的なものを言語化することが不器用
うなってしまったのは、大学生に文学作品を読ませた時の特徴が全部出ている点です。ですから被害者の父親の御手洗さんが、一線を越える子とそうでない子の境はどこにあるのかと戸惑うのも当然だと言えます。これに加えて愉快な感情は表現できても、怒りや寂しさ悲しさなどの不愉快感情が表現できないということも付け加えられているのですが、これも、大学生に文学作品を読ませたときの特徴のひとつです。
事柄の重い軽いを別にすれば、現代の大学生に文学作品を読ませた時の特徴が出ている指摘が家裁から出されたということは、それだけ今までの精神障害を発見しようとするだけの鑑定よりも、より実際に近い結果を裁判所も出してきたと言えるでしょう。
文学作品はなにか人生の問題を解決するためのものではなくて、喜怒哀楽すべてを鑑賞に耐えるものとして表現しようという意図を持って製作されています。 作者がその意図をどれだけ明快に持っているかどうかはまた別問題ですが。ともかく鑑賞に堪えるものとして表現しようとする努力だけはどんな作品にも施されています。
鑑賞するだけで、あとはどうなるのだ言うような人には文学作品を鑑賞する資質がないということになります。逆に鑑賞に堪えないというのは作品に対する最大の侮辱になるわけです。学文学作品を鑑賞する資質に欠けているのに、「鑑賞に堪えない」という批評用語だけを覚えて振り回されると、これはもう手に負えないのです。 こちらは、殺人事件ではなくてせいぜい学校の評価をどうつけるかというようなことですから、まあ、「ああ困った」と唸っているより仕方がないし、教師が唸っているうちにどんどん鑑賞の能力を磨いてしまうので大学生です。でも時々、頭がおかしくなりそうという気分になることも事実です。
↓前の日記
/ 次の日記↑
|
|
|
|
|
|
|
|
|