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空襲と空爆
2006年08月03日(木)
8月2日読売新聞夕刊は「東京駅復元 米が注文」の記事を一面に揚げています。「空襲によって部分的に焼失して丸の内駅(国の重要文化財)を、1914年(大正3年)当時の3階建て、丸いドーム型屋根の姿に復元する工事」をJR東日本が随意契約を行おうとしたところ、アメリカから競争入札にするようにという注文がついたという記事です。
そのとなりには「イスラエル 期限切れ前 空爆再開」という見出し。こちらはレバノン攻撃を続けるイスラエル軍について報じた記事。
つまり読売新聞8月2日夕刊の一面には「空襲」という文字と「空爆」という文字が並んでいるのです。 「空爆」も「空襲」も飛行機を使って空から地上に爆撃を加えるという意味にほかなりません。 内田百閧フ「東京焼尽」を先日、読み終えたばかりですが、そこには空襲で東京駅が燃えた日の記述もありました。空襲という言葉は、私などには女親の口からくりかえし聞かされて生々しい感触があります。 「空爆」というのは、湾岸戦争の時、同時通訳が英語から日本語への訳として「空爆」という表現を使い始めたのではないでしょうか?ひどく違和感があり、それを聞くたびに、ひそかに「それは空爆ではなく空襲でしょう」と言い直していました。
「空襲」が「空爆」に変わってしまう。そういう言葉の変化の間には、そこに「断絶」があることを感じざるおえません。もし「空襲」という言葉が耳に親しい単語であれば、当然、同時通訳も「空襲」という言葉が口をついて出てくるはずです。が、そういう言葉が耳から遠くなっていた表れとして「空爆」が出てきたのでしょう。
「空襲」を使用した例では、95年の阪神大震災の時の新聞記事が印象に残っています。「神戸は空襲を受けたようだ」という文字が複数の新聞に踊っていました。この時点で、終戦から50年たっていたわけですから、現役の新聞記者で空襲を身をもって知っている人はいないはずです。私と同じくらいか、ちょっと年上くらいの記者が「耳で聞いた実感をともなった言葉」として「空襲」という比喩を思いついたのでしょう。それから16年あまり。光陰は矢の如しで、新聞の一面では「空襲」よりも「空爆」という言葉のほうが幅を利かせるようになってきています。「空爆」は「空漠」と同音なのがいやに気になってしかたがありません。
今日、我が家い届いた本 富岡幸一郎氏の「新大東亜戦争肯定論」 タイトルは刺激的ですが、内容には頷けるところがたたあります。「肯定」というのは「受け止める」ということだと著者はあとがきに書いています。戦争否定の言論に対峙するための「肯定」であるとのことです。 著者のライフワークともいうべき評論。 東京人9月号 「占領下の東京」特集 戦争でもな戦後の特集でもなく「占領下」というところが新機軸でしょう。今まで「戦争中」と「戦後」の間にある占領期を特集した雑誌はあまりみかけませんでした。
私にはこの二冊は「空襲」と「空漠」の間を埋めるようとする何かの力を感じさせる表題でした。
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