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ナイトクラブとライブハウス
2006年05月22日(月)
(土曜日の続き)結局、演歌が売れなくなった時期と純文学の衰退が言われだした時期ってかぶるんだなあと、オリコンのヒットチャートを見ながら考えていました。叙情性の変化ということから考えたことなのですが、歌謡曲ほど通俗的な叙情の変化を示すものはないと思ったのです。もっと音楽ができたら、全体の印象をリズムやハーモニー、メロディーにわけて、その変化を具体的に論述できるのに、ちょっと残念です。楽典をもう少し勉強したい気がします。
で、話はナイトクラブに戻りますが、ナイトクラブがなくなっていったのと入れ替わりにライブハウスが登場してきます。ナイトクラブは絵看板を見るだけで、へえ、そんな場所があるんだという程度の知識しか持ち合わせていませんでしたが、ライブハウスのほうもまあ、人からそういう場所があるんだと話に聞くだけです。もっと音楽の才能があったら、バンド組んでライブハウスに出たいなんて企てたかもしれません。こっちは楽典の勉強と違って本を読めばなんとかなるというものではなくて、生まれついた才能がいるみたいです。カラオケでさえ人迷惑なのに、ライブハウスなんてとんでもない。
で、ナイトクラブとライブハウスでは、何が違うかというと、観客と演奏者の距離です。ナイトクラブでは演奏者はプロ。ライブハウスは演奏者がアマチュアをいうことも珍しくありません。つまりライブハウスのほうがプロとアマチュアの境目が曖昧だということになります。こうしたアマチュアとプロの境目が曖昧になるという現象はなにもナイトクラブやライブハウスだけでなくさまざまな文化活動の局面で見られるものなのですが、そこにつかまってしまうと、議論は「質が低下した」という嘆きで終わってしまいます。ナイトクラブからライブハウスへの移行という「比喩」はもう少しいろんな面白いものをもっている気がします。
叙情性の変化をいうことを考えた場合、もうひとつ興味を引くのは、エロテシズムの変化です。歌謡曲なんてものは、手っ取り早く色っぽい気持ちにされるのが目的だと言ってしまえば、あんまり簡単な結論かもしれませんが、そういう効果があることは確かです。で、どんな曲や歌詞を耳にしたら、色っぽい気持ちになるのかは、どんな歌謡曲が流行っているかの現れてくるわけです。同時にそれをどんな場所(雰囲気)で聞きたいかということも重要な要素になってきます。ナイトクラブとライブハウスという「比喩」はそうしたことを考える手がかりも与えてくれる「比喩」です。
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