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警察の大衆迎合と共謀罪
2006年05月15日(月)
小泉内閣が成立した頃、ポピュリズムつまり大衆迎合的だという批判がしきりになされました。そうした傾向がまったくないわけではなかったのですが、経済政策ではあまり大衆迎合的なものは感じませんでした。が、小泉内閣が終わりに近づいて現在から振り返ってみるともっともその傾向が強く現れたのが警察関係でしょう。小泉内閣になってから、何か騒ぎが起きると必ず警察が登場して、マスコミの関心が消えるというパターンが続いています。言論がおおかみ少年状態になっていて、おおかみが来ていないのに「おおかみがきたぞ」と叫び、ほんとうにおおかみが来たときには、聞いてもらえないどころか、声もでなくなっているという具合に見えます。
鈴木宗男事件、辻元清美の秘書給与流用事件、ライブドアの風説流布など次々に逮捕者が出ています。耐震偽装事件に至っては、関係者が逮捕はされたものの、全て別件逮捕という状態です。鈴木宗男も辻元清美も国会議員に戻っていますし、ライブドア事件はこれから公判が始まれば堀江貴文と検察の間でかなりもめることが予想されます。耐震偽装に至っては、果たして耐震偽装そのもので立件できるかどうかかなり疑問です。「なんだか逮捕されたので、これで悪い人がつかまってめでたしめでたし」という素朴な庶民感情を利用されているようで、気持ちが悪い事件ばかりです。 それでも、司法がそれなりに機能していれば、法治国家の原理原則はかろうじて守られることはできるのかもしれません。
今週、国会では「共謀罪」についての論議がされるとのことですが、もともとは国際的なテロや麻薬取引を規制するために、作られる法律です。が、政府はこれを犯罪予防としても使おうとしている意図があります。振込み詐欺の予防などに適応しようとする意図、市民運動の行動を規制しようとする意図などを感じます。一方、言論の世界では盗聴法や個人情報保護法の時のような、危機感が少ないのはなぜでしょうか?
「悪い人が逮捕されてめでたしめでたし」というような素朴な庶民感情をもっている人々はその反面で、おどしに弱いのです。だから「何々罪」になるぞとおどされると、そうした罪が適応される要件が備わっているかどうかなど関係なく、おびえてしまいます。弁護士などの専門家がいれば、そうしたことはある程度、防げるかもしれませんが、ライブドア事件や耐震構造偽造事件のように警察の恣意が強く働くとなると、それも信用できません。 それから、マンションを作るとか道路を通すとか、そういった事業に伴う紛争をいろいろ見ていると、お金と社会的地位があって、法律や行政に明るい人が住んでいる地域と、お金も乏しければ社会的地位もない人が住んでいる地域では、いろいろな条件を交渉する場合、あきらかに前者が有利です。知恵も金も人もいるという状態が出来上がっているのですから。そういう不公平を見てきました。そのうえに今度の国会に提出されているような共謀罪などできたら、もっとろくでもないことになるでしょう。
私は盗聴法の時も、個人情報保護法のときも、反対の署名を求められましたが、署名しませんでした。今度は誰もどの団体も反対の署名を求めてはきませんが、反対を表明します。刑法上の罪は犯罪が行われて初めて問われるという大原則は守られるべきです。犯罪予防は安易に刑法に頼るべきではありません。
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