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真夜中に飯田橋から御茶ノ水まで歩く
2006年05月14日(日)
ゼミ飲みでした。で、そのあとカラオケをやろうということになって、ごちゃごちゃしたあげくに、やすいカラオケがある御茶ノ水まで歩こうってことになりました。歩きました。飯田橋からお茶の水まで。
東京に住んでいると交通機関を利用してしまうから、なかなか地理が頭に入りません。だから、地理感覚から言えば、こんな大都会にいても、田舎の山の中の小さな村に住んでいるのと変わりがないのかな(自分の身の回りしか知らない)と言う状態になっていることがあります。で、ゼミの諸君は「歩こう」と言った「たとんに御茶ノ水って遠いのかしら」「それどこ?」っていう反応だったのですが、まあ、歩いてしまいました。真夜中ですからゼミの体力旺盛の若者が周囲を囲んでいてくれなければ、歩く気になれなかったでしょう。
バブル後の長い不況なんて、よく言いますが、バブルの時よりもそのあとの不況時代のほうが都心の再開発が進んでいるのを、歩きながら目の当たりにしました。昭和30年代から40年代に建てられた木造モルタル作りの建物や、天井の低い小さなビルがすっかりなくなって白い壁を持つ大きなビルと、なんだかまだ街に馴染めない様子の木が生えている広場に変わっていました。古い建物は、新しい建物の威容に羞じるように闇に沈み込み、新しい建物は夜の闇の中でさえ、街との折り合いがつけられずに浮遊したがっているようでした。
闇の中で浮遊したがっているような新しい建物の傍らを通り杉ながら、考えたことは、私が学生時代に見た街は戦争の焼け跡から立ち直って、ほっとした表情を見せている街だったのだなと、改めて思いました。その時は年齢が若かったためかもしれませんが、街が見せる充足感をそうした流れの中で感じ取ってみることができませんでした。私が大学生になったのは戦争が終わって33年目でした。それからまた27、8年の歳月が流れたのですが、新しく出来た街は、個人の充足感よりも、組織の力を感じさせるもので、そこが何か浮遊感に繋がっているのかもしれません。再開発されたビルの上部には人が住む分譲マンションもあるようですから、これからほんとうに平和な時代の東京の味が生み出されてゆくのでしょう。
日大図書館もすっかり新しいビルになっていました。レンガを積んだような厳しい建物から、ガラスを多様した軽やかな建物に変わっていました。昔の建物が知識や理性の厳しさを表したものなら、新しい建物は、知識も理性も誰にでも利用できるものですと言っているような感じです。日大に通っている娘に聞いたら、新しい図書館はすごくつかい易いということですが、街の人は寂しがっているよと言う話でした。それから、新しい図書館はその外見とは違ってずいぶん丁寧なセキュリテーシステムが整っているということでした。
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