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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

森鴎外の「青年」

2005年10月19日(水)

 森鴎外の「青年」を読んでいます。以前、読んだ時にはこの小説が日本の自然主義批判だとはまった気付ませんでした。が、読み返してみると、この小説が書かれた当時のフランスの様子なども視野に入れた自然主義批判なのです。フランスではフローベールもバルザックもゾラも登場してしまって自然主義はいささかの行き詰まりを見せているのに、日本では盛んに自然主義を唱えているという状況の中で話はすすんで行きます。そういう視点で読み返すとおもしろことがたくさんあります。

 日本の自然主義は「観察して写生する」つまり描写という方法を文学に根付かせました。そこから私小説も生まれてくるのです。私小説は近代の叙情を生み出す上で大きな役割を果たすことになったというのが、私の考えです。鴎外はこうした発展は予想してなかった様子なのも「青年」の読みどころです。私小説が生み出した叙情が形式を備えるのは1950年代なのではないかという仮説をたててます。そして、その叙情の形が大きく崩れて行くのが1980年代だとするという仮説を立ててみています。こうした仮説を考えるうえで、鴎外の「青年」には示唆的なものがたくさんあります。

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