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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ボイス・レコーダー

2005年08月13日(土)

 昨晩、TBSで放送された「ボイス・レコーダー」に引きこまれてとうとう最後まで見てしまいました。日航ジャンボ機墜落事故から二十年です。

 最初は再現ドラマという手法に違和感がありました。例えば機長がフライトに出るシーンは現在の羽田で撮影されていますが、二十年前は勿論、ビッグ・ウィングではありません。しかし、だんだん、二十年という歳月の表現の仕方に興味を持ちました。

 日航機の事故の時、その第一報を聞いたときの自分の動作をよく覚えています。千葉の館山の家の台所にいました。台所の勝手口の扉を開けたときに、日航機が行方不明になっている第一報のニュースがテレビから流れてきました。なぜ、そんな動作を覚えているのか自分でも解りません。

 その歳の一月に母がなくなって、新盆なので、子どもたちと連れて、館山の家に戻ったばかりでした。人のいない家は荒れやすくて、数日を過ごすための準備にはけっこう手間がかかるものです。締め切った家の扉を空けてすぐのニュースでした。

 ところで二十年という歳月ですが、例えば戦争中に集団疎開をしていた私の母にとって終戦から20年と言えば昭和40年がそれにあたります。私は幼稚園の年長組でした。八月になると、集団疎開を撮影した映像などが紹介されると、母は食い入るように画面を見てました。昨晩のTBSの番組を見ながら、そうか、二十年というのはこんな感触なんだなあと、自分の身体で、改めて歳月の質量を測っていました。

 20年前と言えばテレビのワイド・ショーが盛んになってゆく時期で、日航機事故もそのきっかけのひとつになったのです。「ボイス・レコーダー」はそのワイド・ショーが生み出した再現ドラマとか、現場からの中継映像などの技巧と、ドキメンタリーの手法を慎重に組み合わせながら作られた番組でした。テレビ局がこの二十年間になにをしてきたかを製作技法で語っているように見えたのも興味深いです。

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