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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

上下二巻本が欲しい

2005年07月29日(金)

 ここ2、3年の間に本が巨大化しているのにお気づきの方はいるでしょうか?以前なら上下二巻本あるは上中下の3巻本で出版されたような本が、一冊に纏められて出る傾向が顕著になってます。昔々の電話帳のような巨大な本です。出版の事情がだんだん厳しくなって2巻本や3巻本を出せなくなっているのです。

 できたら、分冊にしてもらえると持ち歩きも楽だし、内容を理解するためにも、整理が付きやすいのですが、そいうい贅沢はいえないようです。サイモン・シャーマの「風景と記憶」の場合、ページ数は738ページ。いや、本の厚さ(ツカ)が6センチと言ったほうがいかに厚いか解ってもらえると思います。しかも本文は二段組です。

 私は現在の「再販制度」と「委託販売制」で作られている書籍の流通システムには疑問符を持っていますが、かといって自由価格にしろという意見にも賛成しかねるのです。にんじんや大根は日々、その値段は市場での取引で変化しますが、値幅の動きにはおのずと限度があります。本の場合、変化の値幅の動きはにんじんや大根の比ではありません。今のところ、古書の値段は下がっていますから、そう言ってもあまり気にならないかもしれませんが、これが上がりだしたら、とんでもない値段になることもありえるのです。

 これだけ物品があふれている世の中で、本の装丁はだんだん貧しくなっています。それだけではなしに、在庫も乏しくなっているので、数年前に出版された本が新刊では入手できなくなっています。文庫とか新書で安く本が手に入るというのは一見良いことに見えますが、数年前から文庫や新書は本の著者にとっては、「ダンピング」に近いような現象を起こしています。そして文庫や新書でさえ、店頭からすぐに消えてしまうというのが現実です。こういう現実について少し考えてみて欲しいです。こうした現象はこれからまだまだ続くでしょう。

 結果として本はたいへん高価なものになってしまうことになるのではないでしょうか?発行部数が少なくて単価が高ければ、いずれ古書市場で、定価以上の値段がつき、それでも入手困難ということになるのは目に見えているのです。

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