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悪意を感じる
2005年05月27日(金)
練馬区におすまいのNさんからお手紙をもらいました。昨年、読売新聞に書いた「樹木受難」という随筆の感想です。半年以上前の記事にお手紙をもらうというのは珍しいことです。が、この随筆は時々、お手紙をいただくということがもう半年も続いています。
街路樹や庭木の伐採については眉をひそめている人が大勢いるけれども黙っていることが多いのだなあと思います。読売新聞の随筆では内容について担当者と打ち合わせをしています。その時、「あの切り方は悪意や憎悪を感じさせる。樹木というものは、時間が積もったことを示すものでもあるけれども、そうした時間の堆積に対しての憎悪のようなものを感じてならない。枝や葉がうっとしいというよりも、時間が積もったことや時が過ぎてしまうことが我慢ならないのかもしれない」というようなことを話しました。
そこまで書いては少し文学的過ぎるかもしれないということで、そういう記述は抑えたのですが、やっぱり、私は樹木が象徴している「時間」というものへの悪意を感じざるおえないのです。
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