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線を愛好する
2005年05月12日(木)
連休中、和辻哲郎の「古寺巡礼」を読み返していました。3月に奈良に旅行したときに思い出したです。で、その中に日本画に発展する「線」に対する愛好という話が出てきます。「面」ではなくて「線」で絵を描くという好みが天平の頃にすでに生まれていて、それがやがて繊細な「線」に対する感覚を生み、絵画の「線」を愛好するようになるという考察です。
で、そういえば漫画もかつての日本画が持っていたような「線」にたいする好みの感覚が働いているなあというようなことを思い当たりました。現在の漫画についてはほとんど知らないのですが、30年前に竹宮恵子などが出てきた時、それまでの少女漫画とはまったく違う「線」を持った絵が魅力的でした。今、思うと、その頃に次々と出てきた漫画というのは、手塚治虫の漫画の「線」とはまったく違う、そして多様な「線」を持った作家が登場してきたのだなあと、今までとは違う角度からその頃の漫画のことを考えてみました。
「サザエさん」も初期の頃、昭和20年代は「線」ではなくて色を塗りつぶすかたちの絵で描かれているのです。それがしだいに単純化された「線」になって行きました。前々からどうしてそういう変化をしたのか不思議に思っていたのです。(私は小学生の時、バス通学をしていて、毎日、駅前の松田屋書店で「サザエさん」を立ち読みで一巻ずつ読んで、とうとう全巻、読み終えてしまいました)で、あれは「線」に対する読者の好みに作家が答えた結果だったのかと、何かがわかったような気がしました。
日本画のほうは朦朧派なんて悪口まで出るような感じで「線」ではなく「面」で描くという方法が近代になって出てきましたが、もっと大勢の人の目に触れる部分で、例えば漫画のようなジャンルで、古くから根を張ってきた美意識の好みが出てくるというのは、おもしろ現象です。漫画というのは、従来の大人文化と一線を画す若者文化として論じられることが多かったのですが、表現の基礎的な部分でかなり時代を遡ったものと繋がっているのを発見したような気分です。
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