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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

宝石になるはずの傷

2005年01月17日(月)

 昨日のこころの傷が宝石になる話の続きです。もう30年も前ですが、文学の世界でだ傷はみんな作品になるみたいな雰囲気があって、これが嫌だった。長い大事にして宝石になっているならいいんだけど、なまなましく血が流れているみたいな傷まで、作品になるって言われてもねえ、困ってしまう。

 で、そのうちに心理学や精神分析学がはやりだして、今度は「傷」はみんな治療対象になっちゃって、これも嫌だった。治せばいいってもんでもないでしょう。例えば盆栽や庭園の木が全部、まっすぐにすくすく育った木で曲がりもなければ、瘤もない木だったらぜんぜんつまらないわけで。

 まあ、そんな感じだったんです。傷を宝石にする魔法を忘れたら芝居だって文芸だって、おもしろくなくなっちゃうってことです。

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