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マーケティングと宣伝広告の手法
2012年01月03日(火)
50歳を過ぎるとめっきり集中力がなくなると、以前、人から言われたことがあります。で、ちょっと前までは怒りっぽくなってたけど、この頃は、集中力がなくなったのに慣れて怒りもしなくなったし(ため息)。というわけで、のろくさと机の上を片付けていました。途中でTBSが出している「調査情報」の最新号をちょこっと読んだり。この途中で何かを読み始めるというのは小学生の頃からちっとも変わってませんが。
テレビドラマにマーケティングの手法が使われたり、原発の広報に広告宣伝の手法が使われていることはこれまでも指摘されてきました。共通しているのは、それがどちらもビジネスの手法だということです。それで思い出したのが昨年見た映画の「イブ・サンローラン」。「ファションはアートだったのに、ビジネスになってしまった」という台詞。アートがビジネスになるというのは、ファッションに限らず、ジャーナリストの世界でも同じことが言えそうですし、テレビドラマ制作でも、お笑い芸人の世界でも、それから文学の世界でも言えそうです。と、これも今まで耳にたこができるくらい聞かされてきた話とそう変わりはないのですが……。
つまりは「規模」の問題なのだと、そんなことを夜中に考えてました。
マス・メディアがマス・メディアで有る限り、マスとしての規模を維持し、さらに規模拡大を図るとうことで、ビジネスとして成立つなら、アートの場合は、その希少性を重視して、規模をいかに小さく抑えるかが重要になると、そう考えてみました。
デジタル技術とネットは、システム自体はグローバルな巨大システムです。が、個人の使用の状態から言えば、パーソナルなもので、これまではテレビ局しかできなかったような情報発信が個人で出来たり、映画会社しかできたかった映画製作が個人の力を集めてできたりするという機能を持っています。
ええとね、IT技術はシステムそのものはグローバルで巨大な「ビジネス」というこころが注意ポイントのひとつ。もうひとつはIT技術はこれまでのマス・メディとはことなるパーソナルなメディアとなったことで、こっちは「アート」というわけなのが、注意点の2点目。つまり「ビジネス」の上に「アート」が載っているという状態だということになるわけですが。
つまりは規模の問題なんだとまた考え込むという始末。やれやれ集中力がほんとになくなっています。
IT技術の「ビジネス」の部分には、肥大化した金融市場がくっついて、まだ実用化されていない試験的な事業にも大きな投資がされるし、「アート」の部分はものすごく多種多様な大衆化した「アート」が経済的価値判断から乖離した状態で増殖していると、そういうふうに見ることもできるのではないでしょうか。
「ビジネス」と「アート」の間になにか、もうひとつ人間の身体的能力と釣りあった仲介役が必要なのではないかなと、そういうことを考えるのでありました。
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