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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

フォークリフトの走る街

2012年01月02日(月)

 小説は「紙に印刷された本」と不可分の文芸じゃないのかと、この頃、ずっと考えています。もちろん、ネット配信で読む小説というものもあるでしょう。携帯小説というものもあるでしょう。それらを否定はしませんが、また、それらが私が知っている小説と同じものだとも思えません。源氏物語は手による写本から活版印刷の本になったら、中身が変わったと言えるのかと聞かれると「さあ」と首を傾げざるをえないのですが、中身はさておいて、その鑑賞の仕方は大きく変わったと言えるでしょう。紙の本とデジタルデータの作品の間には、それくらいか、またはそれ以上の違いがあると予想されます。

 昨年から家内制手工業と本というテーマがまとまりなく頭に浮かぶのも、にわかに近代史がおもしろくなりだしたのも、震災後の東京の変貌を想像して、東京都心をうろうろしているのも、根っこではみんな、どこかで繋がっているんだなあと、考えています。どこがどう繋がるのかは、まだ私自身にも解っていませんが。

 神田の須田町それから秋葉原の万世橋あたりにかけては小さな会社が多いビジネス街です。西へ移動して九段下が近いあたりの神保町は本の街。裏通りに入ると以前は製本屋さんのフォークリストが走り回っていました。九段下から飯田橋のほうへ行く道にも、けっこう、製本屋さん、印刷屋さんが多く、飯田橋の五差路を江戸川橋の方向へ神田川にそって行くと、取次ぎのトーハン、凸版印刷があります。そうそう、飯田橋の五差路には「モリサワ写植」の大きな看板が立ってました。市ヶ谷の大日本印刷、御茶ノ水の日販を加えれば、だいたいめぼしいところになるのではないでしょうか。

 手にとることができる、目で見ることができる、歩き回れる範囲にめぼしいところが集中している。そういうところで本はできていたのだなあと、ちょっと思い出しているところです。

 食物ならスローフードとか地産地消とか、着るもの、日常の道具ならクラフトとか手作りとか、個別にそういう単語で主張されている事柄をなんとかもう少しまとまりのある考えにすることはできないのでしょうか。同時に「本」についても同じような、膨張ではなく縮小の考え方が生み出せはしないかしら? と思っています。つまりそれは規模の問題なのだと。イメージとしてはある特定の規模のものが、ネットワークで繋がるような、そんな感じです。エネルギーならスマートグリットに近いような、そういうイメージを統合するような哲学を、うまく考えだせはしないかしら。

 あいかわらずとりとめがありません。

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