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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

米国債 格下げ

2011年08月09日(火)

 米国債がS&Pによって格下げされました。米国債が格下げされたことが、世界の経済へ、日本の経済へ、どのように影響するのかという一般的な関心とは別の関心を私は持っています。その関心を一言で言えば、米国経済の衰退は世界の文化と芸術をどう変化させるのかという関心です。

 デジタル技術とネット文化の発展は時代の趨勢だと多くの人が感じているはずです。確かにそれはそうなのですが、気になっているのは、デジタル技術とネット文化は、コンテンツ(音楽、美術、文学、漫画、アニメーション、写真それから報道などなど)の価値を安く見積もる傾向があります。時には安くではなく無料の場合もあります。コンテンツが無料というのは、すでにテレビ、ラジオで経験済みのやり方で、テレビ、ラジオはコマーシャルの利益によって運営されてきました。ネット配信はそれをより強力に推し進めたもののように見えます。でも、このコンテンツを楽しむ人と、コンテンツの制作費用を負担する人の間に、おおきなズレがあることが問題でした。コンテンツは無料で楽しめるものという意識が生まれてしまうところにも問題がありました。

 今日、CDショップのWAVEの破産というニュースを見つけました。ネット配信が進んで、CDの売り上げが落ちたからというのが破産の原因だと思います。アメリカではアーティストが楽曲の配信では利益が上げられないので、グッズ販売に力を入れているとも聞いています。ネット配信の利点は、データなので倉庫代や運送費、それから店舗にかかる諸費用がいらないので「安く」なるというものでした。しかし、それはほんとうなのでしょうか? 私は首をかしげています。

 私はおもに電子ブック関連で、上記のようなネット配信の利点の説明を聞いてきました。そのさいに感じたことを率直に書くと、そういう説明をする人は、本というものの紙代や輸送費は問題にしても、かんじんの本の中身の価値がどのように捻出されているのかは、ほとんど無知である場合が多かったのです。つまりコンテンツの価値を「本」という物品の値段にどう含ませているのかについて知っている人はいませんでした。これは、音楽や映画などでも同じことが言えると考えています。ネット配信の説明では、コンテンツの価値は著しく無視されていることが多いのです。

 さて、一方で、ネット配信はそんなに安いものなのでしょうか? 配信を受けるための情報機器の値段はピンからキリまでありますが、その機器を数年おきに買い換えることを考えると、トータルでそれほど安くなったと私には思えないのです。情報機器だけでなく、情報を再現するためのソフトの必要もあわせるとよし割高に感じられます。私は30万円あったら、死ぬまでに読みきれないほどの本を買い込むことができますし、お天気がよければ電気代もかけずに繰り返しその本を読めますし、なんなら、繰り返し読んだ本から、新しい物語を自分で作ることもできます。いや、これは脱線。

 ここからが偏見。現在のネットはもともとアメリカが軍用で持っていたネットワークを民間用に開放したことから始まっています。なぜ民間用に開放したかと言えば、新しい産業を興して、アメリカ経済を活性化するためでした。考えてみれば、第二次世界大戦に勝利して以来、アメリカはすっきりと勝利した戦争はありません。朝鮮戦争、ベトナム戦争。いずれも「勝てなかった」戦争です。第一次世界大戦、第二次世界大戦で国力を伸ばしたアメリカの力はベトナム戦争が終結する頃に、すでに成長の源泉を失っていたという見方もできなくはないのです。ニクソン・ショックはそれを物語っていました。しかし、アメリカは世界の覇者であることにまちがいはありませんでした。今、グローバル化と呼ばれている諸々の現象は、アメリカのやり方である場合が多いと聞いています。それが広まって行くのが1980年代以降です。で、ソビエトが崩壊。90年代に入ってすぐに、イラク戦争。インターネットが登場したのはこの頃です。

 インターネットは最初から「革命」だとか「第3」あるいは「第4」の産業革命だと宣伝されました。裏を返せば最初から、かなり観念的に「産業革命」のイメージを喧伝されていたのです。そのことによって、株式市場でネット関連の企業の株価があがったり、ネット関連会社の間の買収活動が盛んになったりました。これが私には成長力の源泉を失ったアメリカの、むりやりな成長政策、観念先行の経済振興策に思えるのです。ここが私の偏見。

 もともと雑誌(マガジン)新聞(ニュースペーパー)映画、ラジオ、テレビと言った大衆文化を中心に発展してきたアメリカ文化は、コンテンツに対する評価は「数」の評価を重要視するところがあります。薄利多売を美徳とするところも多いにあります。そうしたアメリカ文化の性質がネット配信の世界で生かされています。が、根がややムリな経済振興策、成長政策の理論から出発していると思っているので、私はそれを自然な時代に変化と感じることができないのです。ネット関連企業とデジタル技術関連企業の帳簿上の利益(株価の値上がりなどを含む)を上げるために、アーティスト(歌手や作家)、小売業者(CDショップや本屋さん)劇場、それからそれに関連したさまざまな業種(紙屋さんとか、歌手のマネージャーとか)などの得ていた利益を、吸い上げてしまっているのではないでしょうか? 結果として小さなビジネスの利益を、大きなビジネスの利益へと搾取するような現象がおきているとは言えないでしょうか? それはアメリカ文化の華であった映画やポピュラー音楽、ミュージカルそれからジャーナリズムさえも衰退させてしまうような現象だと言えます。蛸が蛸の足を食べているような、そんな現象なのではないでしょうか。

 話は米国債の格下げに戻ります。ここまで来たら、ニクソン・ショックから続く大きな歴史の物語もいよいよ大詰めの段を迎えつつあると考えてもいいでしょう。そしてその大詰めは、いったいいかなる結末を迎えるのかは、まだ誰にもわかりませんが、アメリカがむりやりに推し進めてきた「ネット革命」なるものが、大きく変化する可能性はあります。私はそれが「幻」あるいは「神話」や「伝説」として崩れて行くのではないかと、そちらの方向に、期待を持ってしまうのです。いや、ますます強力に「ネット革命」を推し進めて行くことも、想像できないわけではありません。いったい、どちらに世界は進んで行くのでしょうか。

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