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謹賀新年
2013年01月04日(金)
あけましておめでとうございます。
巳年です。父が巳年生まれでした。42歳で亡くなりました。生きていれば今年84歳の年男。「そうか」ってなんだかへんてこりんな納得。
巳年の張子は仙台で見つけてきました。堤人形の鯛担ぎも一緒に見つけてきました。鯛担ぎは土人形の意匠としては九州から東北まで、各地で作られている意匠です。鯛担ぎのバリエーションに鯛持ちというものあります。ゆるキャラとしてすっかり人気者になった熊本県のマスコット「くまもん」の鯛持ち人形があるのをネットで発見しました。鯛を担ぐ、あるいは、鯛を持つという意匠は土人形だけではなくゆるキャラまで愛されているようです。
仙台では幽霊の話が多いと聞きました。そのことをちょっと佐伯一麦さんにメールでお尋ねしたら、日経新聞のコラムに書いたという記事を転送していただきました。実際、いろいろな幽霊譚が生まれているようです。仙台文学館の副館長さんは「会いたいと思うから出るのですよ」とおしゃっていました。ほんとにそうなのでしょう。幽霊も出ないような国には住みたくないものだと思いました。バブルの頃、幽霊が出てもそれと気付いてもらえない小説って書けないかなと、何度か考えながら本気で書くのを躊躇したことがありました。
いつか常磐線で太平洋の岸を仙台まで行ってみたいと思っていたのですが、津浪と原発事故で、どうもそれはかなわない望みになってしまったようです。1月、2月と仙台文学館へ出掛ける用事があるので、時間があれば、せめて、復旧している部分だけでも常磐線を辿ってみたいものです。1月は無理ですが、2月は少し時間に余裕ができそうです。
昨年のお正月は、誰もかれもが「あけましておめでとう」と言うのに少し躊躇した気持ちがあったことを思い出しました。それから1年。今年はごくあたりまえにお正月が来たことを祝う気持ちが戻ってきたような、それだけ、震災、津浪、原発事故が遠くなっているようなここちがします。なにはともあれ、平成になって25年目の春です。
忙しく頼もしい、背広を着た小さな救いの神
2012年12月04日(火)
表題は宮部みゆき「火車」からの引用です。「火車」に登場する溝口弁護士は宇都宮健児さんがモデルになっていることはよく知られています。溝口弁護士の風貌容姿は宇都宮健児さんとは異なりますが、表題となった1行は宇都宮さんのオーラが書かせた1行だと思います。
東京都知事選挙で宇都宮健児さんを応援しています。ぜひ都知事の椅子に座り、日本を代表する顔のお一人になっていただきたいものです。
残念ながら都知事選は猪瀬直樹氏の圧倒的な大勝でした。学生に話を聞いたら、ケーブルテレビやにこにこ動画などで、日頃、親しんでいる顔としては猪瀬氏がいちばん馴染みがあるそうです。
おくればせですがご協力いただきました皆様どうもありがとうございました。
とらとらとら
2012年11月29日(木)
天王寺動物園のとら。
天王寺動物園の犀
2012年11月27日(火)
天王寺動物園を見てきました。
天王寺動物園は通天閣がある新世界からすぐそこという場所にあります。天王寺動物園の中からも通天閣はよく見えるくらいです。碁会所や将棋倶楽部が並ぶじゃんじゃん横丁からも目と鼻の先。最近は水中のカバの生態展示をしていることが話題になっています。古い動物園ですが、動物展示の方法はしだいに新しくなっている様子です。檻の中で動物が退屈そうに、時には、ノイローゼじゃないかしらと心配になるほどうろうろしてたりする動物園はもう昔の話のようです。新世界のようは繁華街からすぐに動物園があるという立地が珍しく感じられます。というより、別世界が隣同士であるような感じがしました。
動物園を歩いていると「象の糞譲ります。お一人様一袋」という表示がありました。象の糞はよい肥料になるようです。
京都の炭屋さん
2012年11月26日(月)
京都、出町柳の近くできれいな炭を売っている炭屋さんをみつけました。茶道で使う炭のようです。
茶道に使う炭にいろいろ種類があることは織田作之助の小説で知ってましたが、本物を見るのは初めてでした。きちんと切りそろえられていて、いろいろ用途が決まっているようです。その織田作之助の小説のタイトルが思い出せなくって困っています。が、良い炭を焚くための炉の灰にも気を配る男で、家の若い女中さんを自分の妾にしていると、そんな話だったと思います。 女中さんが炉の灰の扱い方を知らないので、怒り出すという場面がありました。灰とか炭とかにこれほど美醜へのこだわりがあるのかと、その小説を読んだ時に感嘆したものですが、京都の炭屋さんに並んでいる炭をみると「なるほど」と頷かれました。
以前、京都の古道具屋さんが買ったうさぎ型の手あぶりがあるので、あれにきれいな灰を入れ、形の良い炭を入れたらいいかなと考えはするものの、炭のことも灰のこともよく知らないので、躊躇しています。
那覇の嵐の後
2012年11月10日(土)
6月、7月、8月と那覇へ出掛けるたびに台風が来るので「嵐を呼ぶ女」だと笑っていましたが、幸い、台風は進路が那覇から逸れてくれました。6月の時は台風が過ぎたあとの緑の瑞々しさにみとれたものです。
ところが9月末の台風17号は那覇を直撃。ツイッターに流れてくる映像を見ると、軽自動車が強風に吹き飛ばされ、くるくる回っていました。NHKのニュースでは、ロングの車両が横転した画像もありました。
台風17号来襲から1ヶ月ちょっとの那覇へ行ってきました。タクシーの運転手さんの話では、強風のために窓ガラスが割れたマンションもあったとのこと。7月、8月は大きな台風が来るという予報のわりには、実際は大したことがなかったのに、9月の17号は予報は控え目だったにもかかわらず被害は大きくなったとのことでした。
これが台風の傷跡かと、那覇の街にいたるところで見たのが、枝の枯れた街路樹。南洋杉も、ホルトノキ、ガジュマル、シュロ、フクギ、アカギどれもこれも、枯れた枝があるのです。台風で吹きあげられた潮風をまともに受けた影響がまだ残っていました。大風で海から潮が吹きあげられ、そのあと晴れ間が広がったので、一時は木という木が全て茶色に変色したとの話でした。
そこは台風に慣れた南国の木々で、そんなことも何度も経験済みなのか、しばらくすると新しい芽が吹いてきたそうです。またブーゲンビリアなどは、枯れたあとにわっと花をさかせ、避寒桜も時ならぬ花をちらりほらりとつけたとのことでした。それにしても、台風が巻き上げる潮の威力はすごいものです。
金源祐さんにコラムをお寄せいただくことになりました。
2012年11月06日(火)
ご紹介が遅れましたが、ソウル在住の金源祐さんに「豆畑の友」へコラムをお寄せいただくことになりました。金源祐さん、ありがとうございます。
金源祐さんが我が家に遊びにおいでになった時、うちの息子はまだ小学生でした。たまたま赤いTシャツを着ていたので「レッドボーイ」と呼んでかわいがってくださいました。金源祐さんは身長180センチ以上ある偉丈夫で、チビッ子だった息子はびっくり仰天していたのも、楽しい思い出です。
朝鮮半島情勢は、刻々と変化しています。金源祐さんがご覧になる昨今の韓国、日本の様子をどう描いてくださるのかを楽しみにしています。
公開された修復後の東京駅
2012年11月04日(日)
長く修復工事中だった東京駅の修復が終わりました。ずいぶん見物の人で東京駅周辺は賑わっています。
東京駅を背にして東京中央郵便局は取り壊しの予定でしたが、大揉めに揉めて、結局、外観を残し、内側に新しい建物を建てるという工法で新しくなりました。丸ビル、新丸ビルは、全て取り壊し、低層階をもともとの丸ビル、新丸ビルのデザインに即した外観にするという工法をとったそうです。ですから、東京駅の丸の内広場を囲む建物は、街の眺めの連続性を持たせるための3つの方法の展示場のような具合になっています。
東京駅丸の内口のタクシー乗り場はこれからは地下へ入ってしまうそうで、雨の降った時などは今までよりも利用しやくなりそうです。
遠き山に日は落ちて
2012年09月23日(日)
初島は熱海から船で30分ほどのところにある小島です。小さな港があります。港のふちには、釣やダイビングのお客さんを相手にした食堂が並んでいます。
食堂でお昼を食べ、塩湯だという温泉にのんびりと浸かり、夕方の最終の船で熱海に戻ってきました。
熱海のカモメ
2012年09月20日(木)
法政文芸の編集委員の諸君と熱海へ出掛けたのは9月半ばのこと。その時はこのまま永遠に夏が続くのではないかと疑われたほどの暑さでした。それからわずか2か月で東京はすっかり冬の気配です。椚や欅、それに銀杏が赤、黄色に染まる暇のないような冷たい雨が降っています。
北京では50年ぶりの大雪とか。万里の長城で遭難した日本人観光客がいたというニュースも入ってきました。ソウルもたいへん冷え込みが厳しいそうです。
熱海沖の初島へ渡り、海水の温泉に浸かってのんびりしていたのが、わずか2か月前とは信じられません。初島の海水の温泉はなかなか快適で、冬でも太陽のしたで、はだかでのんびり過ごせそうです。(2012・11.6記)
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