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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

浜田靖一安保法制特別委員会委員長への要望書文案

2015年07月10日(金)

 安保法制を審議している衆議院特別委員会委員長への要望書文案を作りました。皆様思い思いにご自由にお使いください。

 浜田靖一議員のHPに連絡先があります。

http://www.office-hamada.jp/



 要望書
 浜田靖一衆議院安保法制特別委員会委員長殿

 衆議院安保法制特別委員会において強行採決を行わないよう切望いたします。


 このたび政府より提出された集団安全保障に関する法案はいずれも多くの憲法学者によって違憲であるとされています。閣議決定による安易な解釈改憲によって提案された法案が有無を言わさぬ強行採決によって可決されれば法による統治への信頼が揺らぎかねません。
 国民の間でもこの法案は廃案にされるべきだという意見を多数みることができます。このような法案が与党多数の数の論理で強硬採決されることはまことに遺憾の極みであります。浜田靖一安全保障特別委員会委員長におかれましてはそのご見識を持って強硬採決に踏み切ることなきようお願い申し上げます。

茹で蛙クー・デター

2015年06月07日(日)

 6月5日(金)はフジ、6日(土)はテレ朝が池上彰氏をキャスターにして近隣諸国への敵意をあおるような番組を流しているらしい。安保法制成立へ「国民の理解を求めるため」のキャンペーンか。
 新幹線のグリーン車が積んでいる「ウェッジ」では「激化する中韓の情報戦」なる記事が掲載されている。タイトルを見えるだけで、おおよそ内容の見当がつくので読んではいないけれども。嫌な感じ。ついでに言えば30代、40代のビジネスマンが戦後の歴史に疎いのではないかという疑いを持っている。また第一線の新聞記者やジャーナリストも直観的に危険を感じるほどの基礎的な知識を欠いているのではないかと不安を覚える。首相が「ポツダム宣言を詳らかに読んでいない」というのは、日本国建国の歴史をあんまり知りませんというのと同じ。
 放送局と新聞社を占拠して憲法を無視する法制を敷くのを2日でやったらクー・デター。2年かけてやると、そう見えない。でも「茹で蛙クー・デター」という新語を作ってもいいかもしれない状況。
 特定秘密保護法の時には反中、嫌韓本が町の本屋にあふれた。安保法制では、近隣諸国への敵意を煽るビラを自民党が作り、テレビでは危機を煽る番組を放送している。同じパターンでだんだんと恥も外聞もなくなってきている。

「茹で蛙クー・デター」
 安倍政権の「茹で蛙クーデター」には戦略性を感じる。まず活字で反中、嫌韓。これで特別秘密保護法。それからテレビでより大衆化。どこかでそんな話を聞いたという視聴者の既視感を利用。安保法制をやり下地作り。「違憲だ」という批判に「じゃ、改憲しましょ」と展開させる。

 そんなことをさせてなるものか。
 竜頭蛇尾内閣。
 羊頭狗肉政権。

 うちのHPの管理人の豆ちゃんはこんなことばかり書いていると「機嫌が悪い」と思っているらしいことを知ってびっくりした。政治的関心を持つと「機嫌が悪い」と思い込む豆ちゃんの常識はどこでできたのだろう?興味深々。

久しぶりに鴨川シーワルドへ行ってきました。

2015年05月18日(月)

 館山へ墓参に行った帰りに鴨川シーワールドへ行ってきました。シーワールド生まれのシャチ君がいました。鴨川シーワールドでシャチを飼育しだしたのは1970年10月だそうです。今でもシーワールド生まれの3代目のシャチが生まれたとのことでした。
 父が亡くなったのは1970年9月でした。それから考えてみるとシャチの歯磨きというショーを見たのはきっと1970年8月のことだったようです。叔父が鴨川シーワールドへ連れていってくれた時のことでした。博物館の日の特別講座でシャチくんの歯磨きの映像をみせてもらいました。
 もうすぐ父の50回忌、母は35回忌になります。

安保法制 1新法+10法改正パックって卵の安売りじゃないんだ。

2015年05月16日(土)

 松井計さんが安倍晋三はぼろくそに言う人とやたらにほめあげる人の二極に分かれると呟いていた。前者はさておき後者は安倍晋三の支持者だろう。日本会議系のある一部の人々とそれは重なる。
 安倍晋三を支持する日本会議系のある一部人々については菅野完さんが「安倍内閣を支配する日本会議の面々ーシリーズ 草の保守の蠢動」でリポートしている。

 日本会議系のある一部の人々の政治的目的はどうやら「明治憲法復元」「東京裁判拒否」に集約されるらしい。そういうふうに考えるといろいろ腑に落ちることがある。近隣諸国と歴史認識をめぐる関係悪化は「東京裁判拒否」となれば必至の結果。
 「明治憲法復元」も「東京裁判拒否」もまともに考えれば、あり得ない政治的主張で、こんなものが国会で法案を作り出すことがあるはずがなかった。多くのジャーナリストはきっとまだそう考えている。が、特定秘密保護法 → 安保法制改定 → 憲法改正 と進む。
 憲法改正で人権条項が大幅に削除もしくは改定されることが議論されているのを奇異な目で眺めていたが、明治憲法復元となれば一応の筋は通る。もちろん、それを支持するわけではない。匿名の集団による俗悪な俗論と戦うよりはまだましだ。
 「東京裁判拒否」のほうは、もう日本を孤立の危険にさらす気かと激怒したくなる。ただし、これで行動保守がネオナチに親和性を示すわけも少し理解されてくる。この場合、理解は「受け入れ」を意味しない。支離滅裂な俗悪な理屈にしか見えなかったものに幾分かの筋が通った。
 大阪で「ヘイトスピーチ許しません」のステッカーを営業車にはってくださった日本城タクシーの社長さんとお話をした時に「日本はそんなに右傾化しておりゃせん」とおしゃっていた。同感。ただし安倍晋三は違う。しかも安倍晋三は首相。
「明治憲法復元」「東京裁判拒否」を唱える人々と安倍晋三がどこで結びついたかと考えるとNHKが放送した「女性国際戦犯法廷」の番組改変問題が浮かんでくる。2001年の事件。NHKの番組改編問題を思い返すとその経験をもとに現在の情報統制があると考えられる。まずNHKを経営委員会人事で抑える。それから朝日新聞を従軍慰安婦吉田証言、原発事故吉田調書で叩く。これで「明治憲法復元」と「東京裁判拒否」に立ちはだかる勢力をつぶせる。
 そういう設計をされた筋とその筋を支える理屈がいささか見えてきたと。それが今考えていることなんだけど、一般の多くの人はそれを言っても信じてもらえないよね。たぶん。

安倍首相のバンドンスピーチ

2015年04月23日(木)

 ポスト・モダンの哲学は19世紀の帝国主義、植民地支配の論理から抜け出すための思考だったはずなのに、日本ではアンチ権力の思考として扱われた。この場合のアンチ権力は日本国政府であって、大日本帝国政府ではなかった。
 安倍首相が行った「戦争の反省はしても植民地主義の反省にしない」というのは1980年代から現在のかけての日本の言論の不備と特徴がそのまま生なかたちで現れている。戦略というよりも、思考の不備に無頓着な結果ではないか。
 改憲論議で「基本的人権」が否定の方向で論議されえることがある。安倍政権の支持者に「明治憲法復元」を考える一群の人々がいることはもっと報道されれる必要がある。それなしには、「基本的人権」の否定が何を意味しているのかまったく理解できない。
 アンチ権力という姿勢で現日本国政府に対して被害者(抑圧者)の立場に立ったポストモダンの哲学流行は、1990年代には価値の相対化を産み、サブカルチャー全盛と政治的無関心の温床になった。一方で、敗戦による大日本帝国の破綻を認めようとしない一群の人々は、「基本的人権」に代表される戦後の「日本国憲法」はまったく無視。さらに破綻のもとになった植民地主義も視野の外に置いた点ではアンチ権力の左派とあまり大差がない。
 バンドン会議での安倍首相のスピーチは20世紀後半の日本の言論の不備の特徴が著しく現れたものに見える。
 明治の精神を取り戻せと主張する安倍首相が植民地主義に言及できないのは「戦略」とは言えないでしょう。哲学の欠落でしかない。
 とても残念なことだけど「哲学の欠落」は安倍首相だけではない。安倍晋三を首相にしておく日本社会にもある程度、共有された現象と言わざるおえない。
 第二次世界大戦は戦勝国にとっても敗戦国にとっても共通して200年続いた植民地主義の敗北であったことを歴史の流れの中でもういちど考えなおしてみたい。フランスからベトナム戦争を引き取った米国の苦悩はそこにあったのだろう。

斎王桜と御所桜

2015年04月08日(水)

 上賀茂神社の斎王桜と御所桜。てまえの華やかに咲いているのが斎王桜。おくの葉桜になりかけているのが御所桜です。

うちの桜 (4月1日)

2015年04月08日(水)

 うちの桜。35年前は頼りないような若木でした。子どもたちが中学生になった頃には立派な桜の木。そろそろ老木の域に入ってきているのかしら。ソメイヨシノの寿命は50年くらいだそうです。
 柳が緑の芽を吹いてました。銀杏はまだ冬の姿。今年は辛夷が盛りのうちに桜が満開になりました。どうかすると桜が辛夷を追い抜いてしまう勢い。

斎王桜

2015年04月08日(水)

 今年の春はなんだか花に飢えています。花の名所を浮かれ歩いてみたい心境になっています。吉野の桜はぜひ見てみたいもののひとつですが、日程の関係でたぶん無理そうです。
 吉野の桜の見ごろは4月12日あたりだと聞きました。お出かけになれる方はどうぞお出かけください。
 吉野の桜の変わりと申してはなにでが、上賀茂神社の斎王桜を見てきました。境内には植木市が。1本27万円の源平桃とか30万円の紅梅などちょっと桁が違うのには驚きましたけれども、買手もいたようで売約済みになっている苗木もありました。いました。
 京都のさくらの種類の多さは、花の時期が違うので、だんだんにいろいろな桜を楽しめるようになっています。そこがうらやましいところ。東京もソメイヨシノ一辺倒から、いろいろな桜が植えられるようになったので、もうしばらくすると、豊富な桜を眺めることができるようになるでしょう。戦後、植えられたソメイヨシノの寿命が50年程度なので、そのあとに植えられたほかの種類のさくらがだんだんと盛りに近づいているゆです。
 下賀茂神社から上賀茂神社への土手の桜はみごとでした。

12月2日の日経新聞

2014年12月03日(水)

 ニュースじゃないけど、衆議院選挙告示の日の日経新聞、考えさせられたから、ちょっとぶつぶつ。トップニュースは日本記者クラブでの党首討論。気になったのは「日経平均が年初来高値 原油安で」の記事の下に「日本国債格下げ ムーディーズ」の記事があったこと。
 まず株価が年初来の高値をつけたことについて。3面に「原油安、円安・株価高を演出」とある。この記事の「、」と「・」の違いは大きい。原油安は政府によるものではないが、円安・株高は「演出」だと。「投資マネードル買いに動く 相場に不安定感も」のサブタイトル。なにより目を引いたのは衆議院選挙の告示日に為替相場、株式相場を「演出」と報じたこと。経済新聞が株価の値上がりを喜んでいない。「、」と「・」の使いわけで、現在の相場の危険を告げていること。
 次に日本国債がムーディズの格付け引き下げのニュース。「増税先送りに警鐘」として2面に詳報がある。日本国債は Aa3 → A1 に格下げ。これでAa3の国は中国、韓国、台湾となる。つまりアジアの新興国の国々から日本は滑り落ちたかっこうになっている。5面では「日韓、「政冷」下で連携探る」とあり、朴大統領と日本の経団連会長の会談を報じながら、日韓の貿易縮小を報じる。2012年2013年と日韓貿易は大幅に縮小。安倍内閣の外交姿勢が貿易縮小の大きな原因であることは間違いない。
 2000年代初めにはムディーズの格下げは大きく報道されたのだけど。福島第一原発事故による放射能漏れと同じで「慣れっこ」になったのか「政府に遠慮している」のか、小さくしか報道されない。が、選挙の告示日に日本国債格付けの引き下げが公表された意味は大きい。
 誰かアジア経済や対アジア貿易を研究している日本人の経済学者はいないかしら。探しているので、どなたかよい方を知っていたら教えてください。

島尾敏雄 小川国夫 吉田健一

2014年11月30日(日)

 島尾敏雄の「死の棘」は一般には夫婦間の激しい諍いの繰り返しを描いた狂気の小説として読まれている。が、あれは戦争のもっとも悲惨な後遺症を描いたものではないかと考えている。ひとつの国の国民がすべからく「死」を意識し、しかも「永遠」をなんらかのかたちで身近に引き寄せた時、そこで時間は垂直方向へ伸びて行く。そこでは永遠という時間は、才能に恵まれた詩人のインスピレーションの源ではなく、ごく平凡な俗世を生きる人々共通の体験となる。この体験は戦争が終わり人々が日常を取り戻した時、垂直の時間は横倒しとなり、横倒しとなった永遠は日常生活で「反復」の恐怖を生む。
 島尾敏雄は「出発をついに訪れず」「魚雷艇学生」などの作品で知られる。いずれも海軍の魚雷艇「震洋」の特講隊長として出撃命令を受けながら、8月15日の終戦を迎え、ついに発進の命令はなかったことの顛末を描いた作品である。妻との争いを描いた「死の棘」の系列の作品と、魚雷艇特講隊長の体験を描いた作品は別の系列と作品群とされることが多いが、この二つの作品群は根本のところで、垂直であった永遠の時間が横倒しになるという繋がりを持っている。奄美群島加計呂麻島で生まれたロマンス(妻との出会い)。二人の恋は、男が永遠の彼方にはかなくも終わりを迎えるはずであったのに、戦争の終結はその後の日常に長い反復の争いをもたらす。小川国夫は近代文学辞典(講談社)の「島尾敏雄」の項目で、「死の棘」の二人の出会いに「死」があったことを指摘している。その指摘を待つまでもなく小説のタイトル自体が聖書からとられた「死の棘」という言葉であるところにそれはもう現れていると言えるだろう。
 なかなか抜けない「死の棘」に刺されていたのは、島尾敏雄夫妻ばかりではない。戦争を体験したすべての人々は多かれ少なかれ精神に「死の棘」が刺さっていたと言っていいだろう。本来、垂直なものとしてイメージされる時間が、横倒しとなり、そこでは日常は永遠の反復を繰り返す。
 小川国夫の私家版「アポロンの島」を最初に高く評価したのは島尾敏雄だった。「アポロンの島」に描かれた日常の中に屹立する永遠の光景を島尾敏雄は直截に受け止め、高い評価を与えた。同じ日常の反復でも、月並み屏風に見られるような、あるいは歳時記にみられるような健全な豊かさを備えた日常の反復を愛し、そのに流れる時間を創造したのは吉田健一であろう。横倒しになった永遠を生きざる負えなかった島尾敏雄と、垂直の時間を見た小川国夫と、豊かに流れる日常の時間を創造した吉田健一、そのように並べて眺めてみることに興味を感じている。
 明日から12月。小川国夫さんは12月21日のお生まれだったので、年末になると静岡へお誕生日の会へうかがっていた。小川さんのとご縁は1995年1月にご本人から静岡へ講演に来ないかと誘っていただく電話があった時以来。阪神大震災で騒然としている時だった。

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