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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

泊港

2007年10月22日(月)

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 沖縄は新沖縄文学賞の選考会でした。昨年は夏に岡本恵徳さんが亡くなられて、大城立裕さんと二人の選考でした。那覇に到着すると眉毛の長かった岡本さんのお顔を自然と思い出しました。

 今年から琉球大学の山里勝巳さんが選考委員に加わられることになりました。山里さんとは初対面。選考の結果は主催の沖縄タイムスのホームページでどうぞ。

 宿泊は泊港のホテル。写真は泊港です。この港からは、島々に渡るフェリーが出ています。港のターミナルのビルにホテルがあるのは理解できるとして、なぜか防衛省関係のお役所も同じビルに入っています。

 で、港のデッキにはマンゴージュース屋さんが出ていました。久しぶりに何もしなくて良い時間ができたので、マンゴージュースを飲みながら、港を眺めていました。

 マンゴージュース屋さんは「寒くなりました」と挨拶をするので聞いてみるとフラッペ(カキ氷)はあと10日ほどで終わりにするということでした。港の売店でなにげなく買った週刊文春は、先週、飯田橋の地下鉄の売店で買ったのと同じ号(つまり一号遅れ)でした。良いお天気で、気温はたぶん25度くらいはあったでしょう。

変わった花

2007年10月21日(日)

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 那覇の福州園で変わった花を見つけました。

夕焼け・昼下がりのテレビ・今日の雲

2007年10月19日(金)

 水曜日(17日)の夕焼けはすばらしいものでした。ちょっと気味が悪くなるくらい。法政大学ボアソナードタワー26階にいたのですけど、東京中がピンク色に染まるような夕焼けでした。携帯電話を持っていたのですから、窓越にでも撮影しておけばよかったなあと後悔しています。
 窓のそばに寄って夕焼けを眺めている人がいたのでちょっとおしゃべりしました。日本語のイントネーションが、ネイティブと違う感じでした。たぶんどこかの国から来た留学生か研究者でしょう。

 話は遡りますが、火曜日に長年、考えてみると30年間もお付き合いいただいた税理士さんが亡くなられたというお知らせをいただきました。私の母の同級生のお兄さんでした。86歳というお年で、お葬式は逗子でした。母は金沢八景の関東学院の卒業生でした。だから「逗子」なのかと、改めて初めてお目にかかったときのことを思い出しました。私はまだ大学の一年生でした。

 今年の春先に体調を崩されて入院なさっていた時、お見舞いにうかがうと、お孫さんの書いた絵を見せていただきました。
「この子と僕はちょうど80年、歳が違うの」
 そうおしゃっていました。
 戦争中に軍馬の世話をしたことがあるというお話も聞いたことがありました。
 いつだったか。「これまで経験なさっていちばんひどい不況はいつのことですか?」とお尋ねしたら「そりゃあ、終戦の時だよ。みんな、何もかも焼けちゃってなんにもなかった」と答えられて驚いたことがありました。バブル崩壊なんて騒いでいた頃のことだと思います。


 18日は横須賀線で逗子まで出かけました。で御出棺をお見送りして、逗子の駅まで戻り、そこで喫茶店に入りました。大きなくすのきのある喫茶店なのに、なぜか名前は「ほるとの木」でした。ほるとの木は常緑樹で、一年中、緑の葉が赤く染まってほろほろと落ちます。母の実家には大きなほるとの木があります。沖縄などではほるとの木が街路樹として並木になっている通りもあります。

 このごろは喫茶店でも禁煙なんて店が多くなってきたので、なるべく昔からやっていて、今でもマッチをくれそうな店を捜して入るようにしています。で、黄色いペンキが塗られた喫茶店に入ってみるとカウンターの中には二人の白髪の女性がいました。どうやら二人でお店をやっているみたいです。で、テレビがついていて、ボクシングの亀田選手の謝罪会見を取り上げたワイドショーが流れていました。
 テレビの画面では企業の危機管理の専門家が謝罪の仕方についての解説をしていました。言葉の使い方、頭の下げ方、服装、態度、こまごまと解説をしていると、コーヒーをついでいた方の女性が
「そんなことができるくらいなら、こんな騒ぎは起こしてないの」
 と独り言を言うので、思わず笑ってしまいました。
 もうひとりの女性は
「この子、絵がうまいんだって。だから繊細なんだよきっと。そういう顔してるもん」
 と言っていました。お婆さんというものは、ほんとうによく見ているもんなんだあと感心してしまいました。

 それからまた横須賀線にごとごとと乗って、新川崎の先にある薄野原を気持ちよく眺めて東京駅に戻ってきました。

 昨日は良いお天気だったけれども、今日の東京は曇り空。少し寒いくらいです。9月に韓国の梨泰院で作った革のコートをそろそろ着てもいいかなという陽気になりました。

うずくまる香炉

2007年10月09日(火)

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 ソウルで買った香炉です。

 中国の品物だそうです。最初に入った骨董屋さんで買いました。白い髭をはやした日本語を話すおじいさんと息子さんで骨董屋さんをやっている店でした。

 どうも今回は丸いものに目がゆきました。まるみの感じが好きですぐにこれに決めようとおもいました。なんとなくおしゃべりな感じのする香炉です。

 どこかの家の仏壇で、いや、儒教だから仏壇とは言わないかもしれないのですが、ともかく、並んだお位牌をあいてにぶつぶつ何かをずっと言い続けてきたような感じです。もしかしたら、この香炉は中国語も韓国語も理解できるのかもしれませんが、まだ日本語には通じていないのでしょう。

 なんか言いたそうなんだけど、通訳がいないなあと思っているような感じで、うずくまっています。

どれどれやってみよう

2007年10月08日(月)

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豆ちゃんが教えてくれた方法で写真を掲載しました。
あ、ちゃんとできたよ。

 というわけで、城戸朱理夫妻とでかけたソウルの骨董街で購入した壷をやっとお目にかけることができます。

 城戸さんによると、この壷は日韓併合時代のものだそうです。なんでそれが解るのかというと、青いぼたんの花に緑の葉という図柄の流行があったことと、緑の葉の染料に特徴があるのだそうです。

 で、この壷は悩ましかったのです。何が悩ましいと言って買った時は「あ、あれがいいや。なんとなくイタリアっぽい」くらいの軽い気持ちだったのですが、その跡、なんだかばかな買い物をしたんじゃないか?という疑念にさいなまれました。

 壷は新聞紙で包んでもらい、さらにそのうえにぷちぷちで保護してもらいました。だから、見ないで、悩んでました。家に帰ったら「なんでこんなものを買ったのだろう?」と後悔するんじゃないかしら?とずっと思っていたのでした。飛行機の中でもそれを考えていました。
 
 で、家に帰ったら、なんとなく昔むかしから家にあるみたいな感じで収まったので、ほっとしました。なんでもない普通の暮らしの人の好みというところなのでしょうか。赤い実のなる枝をいろいろ買い集めてきて、挿したら、これまたよく似合っていました。

 だから、ほっとして気に入っています。

かわいい鯛焼き

2007年10月07日(日)

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 いただきもの鯛焼きのお菓子です。かごの中に七匹の鯛焼きが並んでいました。で5匹は私が食べて、1匹を息子が、1匹を娘が食べました。

お誕生日 るん!

2007年10月06日(土)

 ゼミ生に巨大バースディケーキでお祝いをしてもらいました。ケーキは50センチ×50センチ×15センチくらい。ええと最初に見た時はそれが食べ物だとは思えませんでした。段ボールの箱に粘土のクリームで飾りをつけたみたいな、そんな感じで思わず「これって食べられるの?」と聞いてしまいました。

 「もちろん食べられます。48人分あります」

 答えを聞くと、じゃあケーキの断面はどうなっているんだということが気になって、そっさく切ってもらいました。で、ものすごく分厚いバタークリームの層がスポンジケーキの間にあることを発見しました。

 食べました。48人分を12人でおいしくいただきました。アメリカンサイズのパーティケーキ。わざわざ横浜から電車で運んでくれたかりんちゃんありがとう!

 今になって思えばカメラ付き携帯を持っていたんだから写真をとっておけばよかった。ゆんゆん、もし写真のデータを送れるならば、私にデータを下さい。

買いました。

2007年10月04日(木)

 伊藤さん、無事、熊本、ご到着のご様子。なによりです。

 私もまえまえから不思議に思っているんですけど、ネットやパソコンが出てきてから異常に忙しくなってます。なんでだろう?

 あと今年はほんとパソコンをやたら買いました。

 2月にウィンドウズのビスタを。
  これは家のパソコンの調子がおかしくなったので大急ぎで買ったのですけど、今は子どもふたりにすっかり占領されています。

 4月に「牛丼」パソコンを。
 現在、使っているのはこれです。まめちゃんと秋葉原を見物にいって、パソコンのほかにデジカメと電子辞書を買ったのですが、デジカメも電子辞書もなぜか息子の部屋に移動しています。

 7月 大学の研究室にパソコン一式(モニターやプリンターなど含む)
  なるべく小さいのをと要望して、さがしてもらったらパソコン本体は25センチ×25センチくらいの水色の箱になりました。プリンターも持ち運べるほど小さいし、キーボードは無線だし、これが一番優れています。
 もちろん「超漢字」もインストールしました。いざというとき(つまり静岡新聞連載の締切りがぎりぎりになった時)研究室でも仕事ができるようになっています。が、今のところ使っているのは助手の深野さん。

 私は深野さんに聞かないと使い方も良くわからない状態。

 8月に新聞連載のアシスタント用ノートブックパソコン。
 今度の連載は朴文順さんにアシスタントを御願いしています。原稿を書くには書いたけれども送稿を忘れていたなんてことが過去の新聞連載ではありましたから、書いた原稿のあと処理(原稿整理や送稿など)を御願いしています。で、同じ「超漢字」を持とうということになって、ノートブックパソコン(通称アシパソ)を用意しました。

 7月の研究室と8月のアシパソは最近、パソコンのコンサルタンとを始められたつくまさんに面倒を見ていただきました。

 そんなわけで、ほぼ2ヶ月に一台づつパソコンを購入したことになります。

 で、昨晩、気づきました。時々、原稿枚数を間違えるのですけど、その原因は、パソコン画面だったみたいです。今、使っている「超漢字」は画面に400字詰め原稿用紙が表示されるのですが、この400字詰め原稿用紙には、中央の折り返しの表示がないのです。で、2、5枚の原稿を書こうとすると2枚と10行でとめなくてはいけないのですが、これがだんだん分からなくなってくるのです。400字(原稿用紙一枚)の区切りなのかそれとも200字(原稿用紙半分)の区切りなのか?
 
 新聞連載の場合は一日分づつの長さで書いてゆくので、この分量を量る指標はすごく大切になります。あとでパーソナルメディアの加茂さんに報告しなくちゃ。

 締切り間際というか、原稿を書き始める直前って、ばぜか猛烈に買い物をしたくなるのは伊藤さんと同じです。だいたいお金のない時は「食べ物」を、お金のあるときは「洋服」を買っちゃうんですけどね。でも、そういう時にパソコンを買いたいって思ったことはありません。パソコンはあくまで仕事で使うからって感じですね。あ、そうだ、10月になって携帯を機種変更しました。デジカメを息子に持っていかれちゃたから、カメラ付きの携帯のカメラの性能が高いのに変えました。

 ただ、なんだか画像のデータ量が大きいので、ここにアップする写真がうまくとれずにいます。デジタル機器って買ったあと、やたらに悩まされます。

  

「アルネの遺品」とアルフレッド・ウォリス

2007年09月30日(日)

 東京は金曜日の夜11時頃にぽつぽつと小雨が振り出して土曜日は肌寒くなりました。今朝は白い雨が降っています。夏から家の中を片付けていて、荷物をトランクルームに預けることにしたのですが、雨のために荷物運びは中止。来週あたり、お天気の良い日を探し出して運び込むことにします。この雨が上がったら秋になっていることでしょう。

 横須賀美術館でアルフレッド・ウォリスの展覧会を見てからずっとコーンウォールに行きたくなっていました。港町とか漁師町を見て歩くのもいいなと、そんな気がしたのですけど、自分でちょっと首をひねっていたのは、日本の港町を描いた絵を見てもそんな気持ちになったことがないので、そこが不思議でした。

 秋になると写生会という行事が私の卒業した中学校ではありました。港の景色を写生するというのが、通例で、巨人軍の長島選手が選手を引退した日も、その写生会でした。スケッチをしながら、後楽園からのラジオ中継を聞いていました。で、港なのですが、これが中学生にはなかなか描きにくい風景で、写生の対象としておもしろいと感じたことはなかったのです。

 いや写生の対象だけではなく、ちょっと旅行してみたいなあと思ったこともあまりありません。が、アルフレッド・ウォリスの絵を見ていると港町、とくに漁港に行ってみたくなったのです。アルフレッド・ウォリスは70歳過ぎから独学で絵を描き始めた人で、もともとは船乗りであり魚具商だったそうです。その描いた絵を見ていると、ありありと、長島の引退試合のライブが流れていた港の光景とか、風や光を思い出すのです。絵にイメージを喚起する力があるのです。

 私が生まれた横浜も、育った千葉の館山も、港町として日本が画家が風景をたくさん書いています。横須賀美術館の収蔵品の中にも私の知っている土地を描いた風景画がいくつかあります。それらが喚起する思い出と、アルフレッド・ウォリスが喚起するイメージはまったく違うものなのです。前者はちょっと暗い感じで、後者は明るいというよりは、光の明暗はさておいて、幸福な感じがするのです。

 ドイツの作家のジークフリート・レンツの「アルネの遺品」を読んだ時も同じような感じがしました。造船所があるハンブルクの町が舞台になっている小説ですが、この小説を読んだときも、ああ、港町を旅行してみたいなあと思いました。中学校の写生会ではあれほど嫌だった港のごたごたととぐろを巻いているロープとか赤錆の浮き出た碇とか、藤壺のついた岸壁が、情緒的で魅力的な物として目に浮かんでくる感じがしました。この感じはなんなのだろう?こうした目に浮かぶ感じを「想起」と言いますが、なんだか「想起」の仕方が違うのです。どう違うかをうまく説明できなくてもどかしいのですけど、日本の近代文学や近代絵画が「想起させる」感じとジークリフト・レンツやアルフレッド・ウォリスが「想起させる」感じがまったく違うのに、興味を感じています。

伊藤さん 気をつけて

2007年09月29日(土)

 あわただしいご出立のご様子。どうぞ道中、気をつけてお出かけ下さい。

 東京は昨日の夜、小雨が振り出して、今朝はめっきり涼しくなりました。突然の秋の訪れです。熊本では連日、猛暑が続いていたようですが、伊藤さんが御到着になる頃にはそれもひとだんらくしていることでしょう。

 風邪などひかないようにして、お出かけ下さい。道中の無事をお祈りしています。

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