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なんと、灯油が1,700円だって!
2007年12月06日(木)
北海道旅行から帰ってきた息子が、北海道じゃあ灯油の値段があがってたいへんなんだと話していたが、ネットで灯油が一缶1,700円台になったというニュースを見つけた。
正直に言って「ええっ、ああぁ」という感じ。一缶750円くらいで買えた年もあったのだから、それからくらべたら1,000円も上がっている。いや、1,000円以上の年って石油ストーブを使っている我が家では、記憶していないから、こんなべらぼうな上がり方は初めてだ。
これじゃあ、灯油がなくては冬を越せない北国の人は、暮らしていけないって値段になっている。まだ、上がるのかしら? ガソリン代の値上がりも深刻だけど、車はあまり使わないから、灯油のほうが衝撃が大きい。
酔っ払ったあとで
2007年12月05日(水)
ちょっとだけボードレールの「悪の華」を安藤元雄訳で呼んでいたら、しごく、幸せだった。ぼやぼやとした靄のかかった夕暮れで、西の空が淡いブルーとピンクに染め分けられてゆく時刻の物憂さが、身体にしみこんでくるようだった。学校にいたり、街に出かけていたりすると、空の高いところから振ってくる物憂さは、身体の上をすべり落ちてしまうものだ。
もっと、ぼんやり本を読んでいたいけれど、ああ、仕事、仕事、仕事しなくちゃ。
昨日、新丸ビルで鴨を食べた。鉄砲で撃った小さい鴨を炭火で焼いたやつ。それから、丸の内中通りをペニンシュラホテルまで歩いた。丸の内警察のそばで、ちょっと前まで占領期の名残のような英語の看板が出ているアーケードのあったビルがホテルに建て替えられていた。
ペニンシュラホテルのバーで飲もうと思ったら、満席だった。エレベーターに乗り合わせたサラリーマンのおじさんとお兄さんの中間くらいの年齢の人(いったいいくつだ?)が「こんなところ、世間知らずの女の子を連れてきたら、すぐに口説けるよなあ」って話していたけど、たぶん女の子のほうがリサーチは詳細にしているはずだろうなって、苦笑いがもれたけど、気づかれなかったみたい。白い制服のきれいなボーイさんがいた。ボーイさんだけど女性。親切そうな微笑の持ち主だった。
なんて、思い出している閑に仕事しなくちゃ。東京駅から有楽町、汐留あたりはここのところ、急速に再開発が進んで、だんだん見たことがない街になっていく。
今年の秋
2007年12月03日(月)
今年の秋も終わりです。
薔薇の土を買う。
2007年12月02日(日)
薔薇を植え替えるための土を買ってきた。植え替えにはちょっと遅い気もするけれども、寒くなるのも遅かったのでまあいいかと思っている。
一重の赤い花が咲く茎の太いつる薔薇で、一昨年までは春にも秋にもたくさん花をつけていたけれども、今年はさっぱりだった。そろそろ植木鉢の土の力がなくなってきたみたいなので、ビニール袋に「薔薇の土」とかいてある大袋を買ってきた。
ベランダに植木鉢を並べるのはいいけれども、最初の頃、つまり20年前は土を買うのには、ものすごく心理的抵抗があった。土なんか買わないで、どこか空地か斜面からとってくればいいような気がして仕方がなかった。周囲には雑木林が多いので、良い土がいっぱいある。けれども、いざ、土を取りに行こうとすると今度は不審者と間違われそうで、それはそれで心配だった。水道ってものが珍しかった時代にはきっと水道代を払うのに、心理的抵抗があったのかもしれないなあとその頃、想像してみたりした。
そう、そう。ミネラルウォーターが出てきたばかりの頃、飲み水なんかわざわざお金を出して買う人がいるのかいって大人が話していたのを覚えている。いや、私が育った家だって、水道はあったけれども、井戸も併用していて、飲み水としては井戸水のほうがだんぜんおいしかった。ポンプも電動じゃなくて、手動だったから飲み水は「只」でしかも「ミネラルウォーター」だった。
でも水道代を払うのに心理的抵抗があったことなない。が、土となると違って、どうしてもどこかから掘ってこなくちゃいけないような気がしてならなかった。
で、その心理的抵抗のために最初は「赤だま土」とか「腐葉土」など土の種類を選んで、自分で配合していた。とは言え、しょせんベランダなので、配合してもなんだかちまちましている。なんだかプラモデルとか、そういうキットがそろった玩具を組み立ているみたいな気分だった。そう思った時「パンジーの土」とか「薔薇の土」とか「観葉植物の土」とかいてある袋の土を買うのになんの抵抗もなくなってしまった。
薔薇の土を買うことは買ったけれども、またしばらく植え替えをする時間がなさそう。でも、土さえ買ってあれば、ちょこっと閑になった時にさっさと植え替えができるだろう。
息子の北海道旅行のお土産と東京駅
2007年11月29日(木)
息子が北海道旅行に行った。で、お土産は「白い恋人」と「毛蟹」と「じゃが芋」だった。お兄ちゃんのお土産に妹は「若い男の買い物とは思えん」のひと言。
でも蟹は鍋にすることにしたので、妹のほうもそれはこころ待ちにしている。じゃが芋は「インカの目覚め」と「レッドムーン」。「インカの目覚め」は時々、飲み屋さんなんかで見かけたことがある品種だけど「レッドムーン」のほうは初めて見た品種。「レッドムーン」はさつま芋みたいに赤い色をしている。
ここのところ再開発がぐんぐん進んでいる東京駅を文芸評論家の井口時男さんと歩いた。中央公論2月号の鼎談の帰りだ。鼎談のもうひとりは作家の三田誠広さん。「太陽の季節」から「ノルウェーの森」まで、戦後から昭和が終わるまでの青春小説がテーマ。
で、東京駅とじゃが芋にどんな関係があるのかと言えば、どちらも見慣れているはずなのに見たことがないものになっていたこと。
子どもの過去 老人の未来
2007年11月26日(月)
子どもは未来だって言われます。そのとおりなのですが、とうの子どもは「未来」というものがあまり想像できないようです。うちの子どもたちは、最初は「夜」と「朝」の区別しかありませんでした。暗い時は「夜」明るい時は「朝」と呼んでいました。だから夕方でも明るければ「朝」でした。
「明日」とか「明後日」という感覚が理解できてきたのは何歳頃だったか? よくは思い出せません。でも、息子が小学校の一年生の時は、夏休みの始まりの日に真っ青な顔をして宿題をやっていました。こんなにたくさんの宿題は「明日までに」終わるはずがないとあせっていたのです。夏休みが40日あることをうまく理解できなかったみたいです。で、40日あるということを言って聞かせると、それですっかり安心して、40日後に一晩で宿題を片付けることになりました。こんなことになるなら、彼の誤解を解かずに夏休みの初めに宿題を終わらせるようにしとけばよかったのに、と呆れたものです。
だから年末年始の行事については、彼らが小さいときには、なかなかその流れを飲み込んでももらえないうえに、私のほうは印刷所が年末年始に閉まってしまうとか新聞の新年の別刷りの入稿をしなくちゃいけないとかで、だんだんにお正月の準備をするなんていう心境になれませんでした。子どもが高校生くらいになると「お母さん、年賀状はどうするの?」なんて聞いてくれることもあったのですけど、頭が年内納めの仕事でいっぱいいっぱいなので「それどころじゃない」って顔をついしてしまいます。高校生くらいの子ってプライドが高くて無視されたと思うと、もうあとはそれっきりで、何も言わないっていう態度にでることもしばしばで、年末で手いっぱいなんだなあなんて思ってくれればいいのに、と言う親の期待は裏切られて、紛争勃発なんてこともありました。
過去をたくさん持っている老人は、過去から未来を予測する能力があります。「来年のことはわからない」とか「生きていないかもしれない」とか言いながら、5年先10年先を見通すような話を聞かせてくれることがあります。未来がたくさんあるはずの子どもには、未来を見通す力が乏しくて、過去がずんずん積み重なっている老人は未来を見通したたがるということを考えるたびに、人間の時間感覚は不思議なものだなあと思います。
ビオラと葉ぼたん
2007年11月25日(日)
ビオラと葉ぼたんを植えました。
小さい葉ぼたんは毎年、植えたいと思いながら、買う時期を逃していました。クリスマスが過ぎて、お正月が来るという頃にはもうどこにも売っていないんです。
今さらと、言われそうですけど、クリスマスの準備よりもお正月の準備のほうが早く始まるのに、ようやく気がつきました。年賀状の売り出しは11月1日だし。それを過ぎると気の早いデパートやスーパーマーケットは「おせち料理」の予約を始めるしで、どうもあとから来るお正月の準備のほうが先にくるクリスマスよりも、早くに準備が始まるんだって気づくのがあんまり遅いと言われそうですけど、例年、11月のうちは「来年」のことは考えたくないなあと思っていたんです。12月になちゃえば「来年」は「来月」なんだから、これは仕方がないかって感じで、あきらめて「来年」のことを考えていました。
今年はなぜお正月の準備のほうが、クリスマスより先だと気づいたのかと言えば、相談する人がいたからです。お正月をどんなふうに過ごしたいのかを息子と娘に尋ねました。それから年賀状の宛名書きをパソコンに入力するのを助手の深野さんに頼みました。おかげで、あ、世の中全体が、クリスマスよりもお正月の準備を先に始めるのかと気づいたわけです。
子どもが小さいときはクリスマスは一大イベントで、なにしろサンタクロースを呼ばなければいけないわけで、そんなことから、まずクリスマスをなんとか乗り切る、それからお正月の準備という頭になっていました。サンタクロースを喜ぶ子どもは、大人とちがってお正月をどう過ごすかなんていう相談の相手にはなりませんから、その頃にできた習性が残っていたんです。
で、お正月になると「ああ、小さな葉ぼたんを買っておけばよかった。苗を植えておけばよかったのに」と毎年、残念に思っていました。葉ぼたんの苗を植えられたということは、つまり、子どもが大きくなったということになります。
私の曇っている左側
2007年11月24日(土)
眼鏡を使いはじめてからかれこれ2ヶ月がたちました。目が悪いと自覚したためか、左側が見えていないというのがしきりに気になります。ものの輪郭がほとんどとれていませんし、光を発するものは滲んで見えます。
レンズの問題ではなく網膜の問題だそうで、ぼやけている左側を意識するたびに、眼科で見せてもらった左の網膜の写真を思い出します。乳白色の地に赤い血管が走る網膜の半分くらいが、いくらか暗い色をしていました。どんよりとしたその色は、医師に指摘してもらわなければ、色の違いがわからない程度のものですけど、そのせいで、これだけものがぼやけているんだなと、時々、自分の目玉の奥を覗きこんでいるみたいな気持ちで、左側のぼやけた景色を眺めています。
眼鏡ってのは、こんなに不自由だったのか、本を読みながらお茶を飲むたびに、曇ってしまうレンズを拭いています。先週あたりから急に寒くなって、赤、黄色に色づいた東京の景色も左側だけは、ぼんやりといささか曇っています。右と左と違う景色が見られると思えばこれも悪くないかなあと、まあ、これは負け惜しみですね。
NHKの収録では、眼鏡が必要な場面もあるかとテーブルの上に近く用(文字を読むための眼鏡)を置いていたのですけど、取り出す場面はありませんでした。
NHKのブックレビュー収録
2007年11月23日(金)
NHKのブックレビューの収録で、作家の北方健三さん、大沢在昌さんにお目にかかりました。特集で、推理作家協会創立60周年をやるということで、歴代理事長の逢坂剛さん、北方健三さん、大沢在昌さんが御出演ということで、書評欄の収録ででかけていた私も北方さんと大沢さんにちょっと御挨拶しました。以前、あることで漫画家協会のちばてつやさんから御相談を受けて、北方さん、大沢さんにちばさんを御紹介したことがあって、そのままになっていたのですごくおくればせの御礼。
御礼に行く前に、タバコを一本吸ってから、お三方の控え室に顔を出そうと思って喫煙所にいったら、なんのことはない、北方さんは細巻きの葉巻を、大沢さんは紙巻きを、二人で吸っていて、結局、喫煙室で御挨拶がすんでしまいました。
北方さんからは「本、送ってこないじゃないか」と、いや、それは本が出てないからで(冷汗)はははと笑いながら「歴史小説書いてます」と言ってしまいました。北方さんからはこの25年くらいの間、ずっと御著書が出るたびにお送りいただいています。それから藤沢周さんも含めて、4人で新聞連載の話をしました。
「朝から殺戮シーンを読ませるな、なんて投書がくるよ」というそばから「朝から射精のシーンだってあるじゃないか」とかなんとか。まあまあ、以下略。そうそう北方さんも日経新聞に連載中でした。「失楽園」や「愛ルケ」が載っていたのと同じ朝刊でした。それにしても、北方さん、大沢さんともに笑う声がでかいこと。隣の部屋で、特集ページの打ち合わせ中も「わはは、わはは、わはは」の連続が響いてきました。
書評の司会は藤沢周さんと中江有里さん。書評は久間十義さんに北上次郎さんでした。久間さんに会うのも久しぶり。北上さんは新潮文庫のアンソロジーの編者としてご縁がありましたが、お目にかかるのは初めてでした。放送は日曜日朝8時から、再放送が同じ日の深夜0時からです、いずれもBS2です。
あ、入れちゃった。
2007年11月23日(金)
豆ちゃん、ちゃんと入れました。今朝からぜんぜん入れなかったんですけど……。なんだかきつねにつままれた気分。
はい、ちゃんと入れました。
伊藤さん、こんなことも時々あるんです。
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