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うちの薔薇
2008年05月25日(日)
伊藤さん、おつかれさまです。
うちのベランダも薔薇が咲きました。去年の秋に薔薇の土を買って植え替えてやった薔薇です。
母の日
2008年05月13日(火)
伊藤さん、次郎物語は佐賀が舞台なんですね。あんまり九州だと意識したことはありませんでした。次郎が正木のおじいさんを尋ねて冬の田んぼを歩く場面なんて、自分ちの近所(つまり房州)で考えていました。そのうちに佐賀に連れていって下さい。そうだ!下赤塚の下村湖人のお墓におまいりしたら、ここに写真載せますね。
先週の日曜日は母の日だったので、花屋さんに行ってカーネーション赤20本、白3本買ってきました。白3本はお仏壇用。お仏壇が小さいので、それ以上あっても飾りきれないのです。で、赤20本は長い丈のまま、ガラス瓶にさして玄関に置いておきました。指示行動ですね。
息子の反応 「あ、今日は母の日だった。はははは」
娘の反応 「こういうのは一週間前にやらないと意味ないね。だってその日の夜になって気づいてもしょうがないから」
だそうです。来年は一週間前にスプレー咲きのカーネーション50本で玄関の入り口をふさいでやろう。と母は思うのでした。
伊藤さん、次郎物語は
2008年05月08日(木)
私も愛読しました。うちの本名が本田で、弟は生まれたとき、長男なのに「次郎」にされそうになりました。親子で愛読していたんですね。あと作者の下村湖人のお墓はうちの近くの下赤塚にあります。まだ行ったことはないけど。こんど行ってみます。うちから歩いていけるところなの。
ラコステのポロシャツ
2008年05月07日(水)
ラコステのポロシャツを買いました。ポロシャツって言えばラコステっていう時代がありました。高級ブランドが注目を集めた頃で、ラコステは手が届く高級ブランドって感じで紹介されていました。
それでちょっとそんな頃のことを思い出していたついでに、欲しくなってしましました。白と紫を買ったつもりなんだけど、紫のほうは「ピンクだ」と家では言われています。薄い紫なの。でもピンクに見えるらしい。
うちのさくら それから
2008年05月06日(火)
青い実がなっています。
河のほとりで飲んだお茶
2008年05月03日(土)
河のほとりにイ・ビョンジュの文学碑があり、そのそばに藤棚がありました。藤棚の藤はまだ咲いていません。藤棚の下で水色のチマを身につけた人々が、そよそよとお茶を入れていました。胸元から足首にかけて大きく開いたチマは河からの風に揺れて、それがたった今しがた河から上がってきた水の精のように見えました。
河東はお茶の産地でもあるのだそうです。
ソウルでは麦茶とかコーンのお茶をごちそうになることが多く、グリーンティーは貴重です。
お茶を入れるとき、湯冷ましに白磁の片口を使っていました。その白磁の片口がなかなか使いようさそうでした。ひとつ持っていたいものだと河東からソウルに戻り、仁寺洞に出かけました。土曜日の夕方の仁寺洞の賑わいに驚くとともに街がすっかり様相を変えているのにも、目を見張りました。
昨年の9月にも仁寺洞を歩いているのですが、その時は夜遅かったので、あまり気づきませんでしたが、文房四宝と骨董、それに紙屋とお茶道具屋さんの多い街が、今ではファッションと現代美術とお土産屋さんの街に変貌していました。木版刷りの民画のグリーティングカードが欲しかったのですけど、今ではもう制作していないそうです。だとすると私の机の引き出しに残っている木版のカードは貴重品ということになります。しかたなく韓紙の封筒と便箋を買いました。白磁の片口は、土瓶とくみ出し茶碗がセットになったものを見つけましたが、これを日本まで持って帰るのを考えると、今回はあきらめました。が、なんでもないこんな道具は次に行った時にあるかどうか、今のソウルの変化の早さを考えると、これも幻になってしまうかもしれません。
以前から欲しかった改良韓服を上下で買いました。夏にはそよそよとして気持ちよく着られます。もっともうちのばか息子は「焼肉屋の店員に見える」と言っていました。ま、確かに高級焼肉店では、定員さんが改良韓服を着ています。
慶尚南道と全羅南洞の間を流れる河
2008年05月03日(土)
河東は慶尚南道と全羅南道の境目に位置する街です。ソウルから高速道路を使って5、6時間かかりました。写真は慶尚南道と全羅南道の間を流れる河です。イ・ビョンジュの文学碑はこの河の岸に建れられていました。
韓国では桜と菜の花が同時に咲くことが多いらしく、テレビの天気予報では黄色く咲いた菜の花に桜の花びらが散り掛かる映像が繰り返し放送されていました。河東では、もう桜の花は終わって、河岸はつつじの花が満開でした。外国に出るときは筆談のために分厚いノートを持って行きます。今回もオレンジ色の分厚いノートを持っていったのですが、そのノートにいつのまにか赤いつつじの花が一輪はさまっていました。
この河ではたくさんのしじみがとれるそうです。朝ご飯にはラーメンの丼くらいの大きさの器でおいしいしじみ汁がでました。白いスープに殻なしのしじみ、それに韮を細かく切ったものが吸い口として浮いていました。これがおいしい。パウダー状のとうがらしをくわえるとさらにおいしくなりました。 しじみのほかに梅の実の産地でもあって、ごちそうになって梅酒も良い香りでした。韓国では梅の木は、幹を切って、背の低い状態にして育てるようで、最初は梅の畑を桑畑と見間違えました。それからいちご!鶏の玉子ほどもある大きくて甘いいちごをいただきました。
河東は写真のように穏やかでうららかな春の日でしたが、この日のソウルを大荒れの天気だとテレビが報じていました。大雨が降り、大風が吹き、さらには雷までなって街路樹が横倒しになったり、バス停の屋根が吹き飛ばされたりしていました。
韓国に行ってました。
2008年05月02日(金)
一週間ほど韓国に行っていました。
伊藤さん、ご心配いただきましてありがとうございます。生きてます(笑) 韓国のイ。ビョンジュ文学祭に行ってました。イ・ビョンジュは韓国の作家です。韓国南部の河東(ハトン)にイ・ビョンジュ文学館ができて、そこでのシンポジウムに参加してきました。それからイ・ビョンジュ国際文学賞が今年からできたそうで、ベトナム人の女性の作家が第一回の受賞者だそうです。あと中国人の女性の作家と、インド人の男性の作家とそれから、メキシコに住んでいるスペイン人の作家が来ていました(スペイン人は男性)
写真はイ・ビョンジュの文学碑の前を行われた記念式で、韓国式のお茶を出してくれた人たちです。なんか河から抜け出てきたみたいな水色のチマ(スカートみたいなもの)を着ていました。遠くからみると「おそろい」なんだけど、近づくと、例えば背縫いにステッチが入っている人がいたり、チョゴリ(上着)に地紋があったりとそれどれ個性的でした。
うちのさくら
2008年04月18日(金)
さとうにしきの花です。ベランダのプランターですがちゃんと赤い実がなります。いつもソメイヨシノが咲き終わった頃に咲きます。
春は危ない
2008年04月15日(火)
ここのところ、大阪、静岡と新幹線で移動していました。新幹線で走り、学校の廊下を走りの繰り返しでした。春は新入生の季節です。学校はまだ学内の建物の位置などがわかっていない新入生があふれていて、大混雑。走りたくても走れないこともありました。
電車の駅でも真新しいスーツを着た新入社員らしい人をたくさん見かけます。新幹線の中にも、緊張した面持ちの人が幾人も乗っていました。それから、団体旅行の人々。こんなに団体旅行が多いのかしらと思うほど、昼前後の新幹線には団体旅行の人が大勢乗っていました。
団体旅行の添乗員さんも新入社員。大阪駅でおろしたての制服を着た添乗員さんをみかけました。頬がふっくらとして、満面の笑みにはりきっている気持ちが滲み出していました。手にはこれまた新しい旅行社の旗。見ているだけで気持ちが良くなるような新米の添乗員さんでした。
手にした旗をすっと掲げて、新幹線から降りてきたお客さんを集めます。集まってきた人々の先頭に立ち、背筋を伸ばして、歩く姿がどことなく誇らしげでした。新幹線ホームのスピーカーが切迫した声を放ったのは新米添乗員さんが旗を掲げて、下りのエスカレーターに乗った時でした。 「添乗員さん、添乗員さん、ホームでは旗を使わないで下さい。ホームでは旗を使わないで下さい」 駅員の声はほんとうに切迫したものでした。が、新米添乗員さんは意気揚々と下りエスカレーターに運ばれてもう姿を消していました。駅員さんのあの切迫した声はぜんぜん彼女の耳に届いていませんでした。きっと彼女はコンコースで、あの満面の笑顔でお客さんの数を確認していることでしょう。
たぶん、駅のホームで旗を振ると、列車の運転手が、安全確認のための旗を見間違える危険があるのでしょう。どうかすると大事故の原因にもなりかねないのはあの駅員の切迫した声が物語っていました。 ああ、春は危ない。 そうは思っても、駅員さんの切迫した声と、添乗員さんの誇らしげな笑みのコントラストには微笑を誘われました。ほんとうに春は危ない。
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