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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

し〜ちゃんは哺乳類

2016年03月09日(水)

し〜ちゃんは哺乳類
クジラのおともだち
し〜ちゃんはぱいぱいが好き
し〜ちゃんは哺乳類
イルカのおともだち
し〜ちゃんすくすく
し〜ちゃんはおぼちゃが好き
太古の海をまだ覚えている

春一番

2016年02月14日(日)

 昔の赤ちゃんが今の赤ちゃんを抱えてやってきて、嵐のように去っていった。しーちゃんのお父さんがインフルエンザに罹患しので緊急避難。お父さんはおうちでひとりお薬を飲んでインフルエンザと戦っていたとか。
 今の赤ちゃんの「泣くぞ警報」(声は出さないで顔だけ泣き顔になる)は昔の赤ちゃんそっくり。で、ばあちゃんはどうも風邪をひいたみたい。インフルエンザでなければいいけど。
 昨晩は大風。どうも春一番らしい。いろんな夢を見ました。胸のつかえがほどけるような夢を見たけど、目をさましたらみんな忘れちゃった。風が止んで陽がさしてきました。

終戦後のことを知りたい。

2016年01月04日(月)

 1月2日のサウジアラビアが47人の人を処刑したそうです。IS関係のほかにイスラム・シーア派の聖職者が処刑されたことをきっかけにサウジアラビアとイランの間の緊張関係が高まり、イランのサウジアラビア大使館が群衆に襲われました。今朝、サウジアラビアはイランとの国交断絶を宣言。
 日本、韓国、米国は1月中にも3か国外務次官級協議を開く予定とか。開催されれば、昨年4月に続いて2回目になります。北朝鮮の有事が想定されている可能性を感じています。
 あっちでもこっちでも第二次世界大戦で作った秩序(国境線)がゆらぎ始めている。ヒットラーが政権掌握する過程への興味もあるけど、蒋介石が参加したカイロ宣言(1943年)からヤルタ会談(1945年2月)それからポツダム宣言(1945年7月)について知りたい。第二次世界大戦の戦後処理については、一般的に知られていることがあまりに少ない気がする。戦争反対の立場から開戦に至るプロセスはよく研究され、一般的な知識としても共有されているが、戦争が終わったあと、どのような対処をしたのかは共有されている知識が少ない。私が高校へ通っていた40年前。第二次世界大戦の戦後処理はまだ「知識」というよりも「体験」に入っていた。終戦後の預金封鎖や東京裁判それに続く朝鮮戦争やサンフランシスコ講和条約は社会運動として語られるのではなく身近な人の「体験」として耳にしていた。第二次世界大戦で作られた秩序が揺らぎ始めているのを感じると「体験」を「知識」に変えるプロセスがいかに重要なのかを痛感する。終戦から35年くらいまではなまなましい「体験」であったけれども、その後の35年は「体験」を「知識」に変えるプロセスが必要だった。
 終戦の翌年のお正月はたくさん雪が降ったと亡くなった母が言ってました。日本人は「敗戦」を「終戦」と言い換えるからいけないと言われるけれども、「終戦」という言葉を使っていた時のほうが「敗戦」の実感がその言葉の中にこもってました。「敗戦」と言い出してからのほうがなんだか軽薄になった。
 生きていれば今年81歳になるはずの母はお正月になると終戦の翌年のお正月は雪がたくさん降ったという話をして、それから家の前で行き倒れた人がいたことを決まっているみたいに話していました。行き倒れた人の胃にはミカンの皮が3つしか入ってなかったとか。食糧不足は戦後のほうが深刻だったと。
 暮れに亡くなられた野坂昭如さんは昭和5年(1930年)の生まれで「闇市焼跡派」を名乗っていた時期がありました。終戦の時、15歳。野坂さんくらいの世代には戦後処理は「体験」そのものだったわけで。

朝鮮半島

2016年01月02日(土)

 正月早々にたいへん恐縮ですが、もの言わざるは腹ふくるる心地と申しますので、御勘弁願います。
 南北の軍事境界線の地雷爆発で韓国兵士2人がそれぞれ両足切断、片足切断の重症を負ったのは2015年8月のことでした。これをきっかけに南北が軍事的緊張を高めたのは皆さま、ご記憶のことでしょう。この軍事的緊張を和らげる役割を果たしたのは北朝鮮の対韓国政策統括の金養建氏だそうです。
 この金養建氏が暮れの29日に交通事故で亡くなったそうです。

25日 岸田外務大臣の韓国訪問と慰安婦問題協議の妥結のニュースが突然流れ出す。
27日 慰安婦問題協議について、憶測情報が流れ、韓国政府が抗議。
28日 岸田外務大臣韓国訪問。日韓外相会談。1時間程度の協議で従軍慰安婦問題の妥結を発表。
同日 中国が日韓の協議の妥結を歓迎
29日 米国が従軍慰安婦問題の妥結を歓迎するメッセージ
同日 岸田外務大臣の「ユネスコ世界記憶遺産に慰安婦資料登録はなくなった」という趣旨の発言に韓国が抗議
30日 韓国が慰安婦協議妥結について日本の「少女像撤去の約束が「ねつ造である」として抗議
同日 少女像が撤去されなければ、財団設立の資金10億円を支払わないと日本政府高官が発言。首相補佐官だと言われています。
同日 慰安婦支援団体の抗議活動活発化。ソウルの日本大使館が入居する建物へ入って抗議した学生30名が逮捕される。
同日 北朝鮮が金養建氏が交通事故で死亡と発表
31日 北朝鮮で金養建氏の葬儀に金正恩氏出席
同日 朴槿恵大統領が国民に向けて妥結を冷静に受け入れるようにメッセージを発表
同日 米国、日本についで中国とホットラインを開通させる。

 以上のような流れになっています。今年の秋から冬にかけて日本海側の海岸には白骨化した複数の遺体を乗せた北朝鮮の船が流れ着いています。週刊新潮によると金正恩氏が漁業捕獲量の増産を指示したために無理なノルマを課せられた漁民だということでした。
 金養建氏は29日の18時に交通事故で死亡とされていますが、このニュースがどこまで信じられるかも、多くの疑問の余地が残っています。死亡したこと、それから、粛正ではないことはほぼ事実でしょう。いつ死亡したのか。29日以前の可能性は充分あります。仮に1週間前だとすれば22日になります。また交通事故に関しても疑問は残ります。交通事故という発表は何等かの手段で殺された。つまり暗殺の可能性がないとは言い切れないのです。粛正ではなく暗殺であったとすると、北朝鮮で反体制的な暴力の行使があったことも推測できるようになってきます。

 そのような推測をすると日韓の慰安婦問題妥結の急展開と中国、米国の支持表明の速さの理由が北朝鮮内部の異変にあるように考えられてくるのですが。杞憂でしょうか。杞憂だといいのですけどね。

 以上は1月1日にFBに書き込んだ文章のコピーです。1月1日の時事通信の報道によると北朝鮮の金正恩総書記は韓国との関係改善に努めると年頭所感を発表したそうです。

ほんもののおばあさんになりました。

2016年01月02日(土)

 幼稚園のときに「大きくなったら何になりたいの」と聞かれて「おばあさん」と答えたら「それはだれでもなれるから、ほかに何かない」と言われました。女の子はたいてい「お嫁さんになる」と答えていた時代です。昨年は8月30日に国会前で雑踏の整理をしていたのに、31日にはICUに放り込まれ絶対安静を告げられました。心臓疾患が大事に至る一歩手前で発見してもらいました。息子がネット検索で適切な病院を見つけてくれたのは大手柄でした。そんなわけで「おばあさんになるのも」どうしてなかなか、誰でもなれるというわけでもなさそうです。

 年末にほんもののおばあさんになりました。女の子が生まれました。17、8年前、つまり20世紀の終わりころから出産に父親が立ち会うのは常識化していると聞きました。出産立ち合い準備講義を受けてから立ち会うのだそうです。出産に立ち会うまでの経過をお婿さんから聞くのもなかなか楽しい経験でした。

 生方先生から香りのよいいちごを頂戴しました。
 いちごの香りを嗅いだら、弟が生まれたときのことを思い出した。まだ2歳の時でしたから、母から聞いた話を覚えているだけですが。いちごをひと箱買ってもらって、「これからおかあさんは病院だから、いちごを食べておうちで待っているんだよ」と言い聞かせられたそうです。いちごをひと箱全部食べていいと言ったら、すごくうれしそな顔をしていたそうです。で、そのころ住んでいた金沢八景の切通の家の門前でいちごの箱を抱えて産院へ行く母を見送ったと。弟は6月の生まれですから、露地ものの出盛りのいちごを買ってもらったのでしょうねえ。いちごの箱を独り占めしたいとずっと言っていたそうですから、そのころから子豚でした。

あけましておめでとうございます。

2016年01月01日(金)

おさるのシャルロットちゃんです。

どんどこどんどこ

2015年12月07日(月)

 ただいま。京都・北山の紅葉を見て、裾野まですっきりと晴れ渡った富士山を見て、東京駅で新幹線を「のぞみ」から「はやて」に乗り換えて、仙台の枯れた木立を眺め、それから東京に戻って銀座でベビー用のバスローブを買って安保法制反対のデモに沿道から手を振り、おうちに帰ってきました。

 ええと。どっから思い出せばいいんだっけ? ああ、そうだ。明日には京都の「うるわし屋」さんから赤と黒の塗り分けの漆のお皿が届くはず。久しぶりでした。「うるわし屋」さんを覗いたのは。御所では紅葉が赤く染まっていました。それから丸善本店へ。じゃなかった。「花政」で仏手柑を見つけました。仏手柑は丸善本店で対談をした平野啓一郎さんへお土産。仏手柑もさることながら、茎にさした試験管状の水入れを珍しがってもらいました。丸善本店の対談をお運びいただきました皆様、どうもありがとうございました。

 で、木曜日には東京へ戻って、金曜日はまた京都。新幹線で車掌さんに「毎日ご利用ありがとうございます」と言われた。前日と同じ車掌さんと気づき、苦笑しました。岩倉の精華大学へ。鈴木隆之さんと対談。北山の紅葉はもう終わりでした。鈴木さんに錦市場の「HALE」へ案内してもらいました。「HALE」は錦市場の小路を入ったところにある町屋をレストランに直したお店。小さな中庭には苔がびっしりと生えていて、それで「花政」にあった苔のプレートを思い出しました。畳1畳ほどのプレートにいろいろな種類の苔が盛り込まれていたのです。あれって中庭を作る材料だったのかしら。

 土曜日。京都で目を覚まして、晴れ渡った東海道を新幹線でどんどこどんどこ東へ東へ。途中で良く晴れた大井川と富士山と見て、東京駅乗り換えで、こんどは「はやぶさ」で北へ北へと走って、とろりと居眠りをしたら仙台へついてましたとさ。「火星の庭」さんへちょこっと寄ってお茶をいただきました。東北大学へ。タクシーを拾ったら「明日だったら地下鉄が開通しているんですけどねえ」って。仙台の地下鉄東西線は12月6日開通。イルミネーションも12月6日に点燈ですって。東北大学でのカク・ヨファンさんとの対談。お越しいただきました皆様、ありがとうございます。

 で、仙台の朝市! セリを買うんだと出かけてみれば、今日は12月最初の日曜日でおやすみでした。仙台駅構内でフカヒレの缶詰ゲット。というわけで、仙台のお土産はフカヒレの缶詰でした。
 先週、ゼミで京都と仙台のお土産を持ってくるよと言ったら、中継地点のお土産はないのですか? と質問した学生がいた。はいはい。京都と東京と仙台のお土産ね。

朴裕河氏の起訴に対する抗議声明

2015年11月27日(金)

11月26日の記者会見で発表した抗議声明全文と賛同者54名です。
朴裕河氏の起訴に対する抗議声明
『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河氏をソウル東部検察庁が「名誉毀損罪」で起訴したことに、私たちは強い驚きと深い憂慮の念を禁じえません。昨年11月に日本でも刊行された『帝国の慰安婦』には、「従軍慰安婦問題」について一面的な見方を排し、その多様性を示すことで事態の複雑さと背景の奥行きをとらえ、真の解決の可能性を探ろうという強いメッセージが込められていたと判断するからです。
検察庁の起訴文は同書の韓国語版について「虚偽の事実」を記していると断じ、その具体例を列挙していますが、それは朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています。
そもそも「慰安婦問題」は、日本と韓国の両国民が、過去の歴史をふり返り、旧帝国日本の責任がどこまで追及されるべきかについての共通理解に達することによって、はじめて解決が見いだせるはずです。その点、朴裕河氏は「帝国主義による女性蔑視」と「植民地支配がもたらした差別」の両面を掘り下げ、これまでの論議に深みを与えました。
慰安婦が戦地において日本軍兵士と感情をともにすることがあったことや、募集に介在した朝鮮人を含む業者らの責任なども同書が指摘したことに、韓国だけでなく日本国内からも異論があるのは事実です。しかし、同書は植民地支配によってそうした状況をつくり出した帝国日本の根源的な責任を鋭く突いており、慰安婦問題に背を向けようとする日本の一部論調に与するものでは全くありません。また、さまざまな異論も含めて慰安婦問題への関心と議論を喚起した意味でも、同書は大きな意義をもちました。
起訴文が朴氏の「誤り」の根拠として「河野談話」を引き合いに出していることにも、強い疑問を感じざるを得ません。同書は河野談話を厳密に読み込み、これを高く評価しつつ、談話に基づいた問題解決を訴えているからに他なりません。
同書の日本版はこの秋、日本で「アジア太平洋賞」の特別賞と、「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」を相次いで受賞しました。それはまさに「慰安婦問題」をめぐる議論の深化に、新たな一歩を踏み出したことが高く評価されたからです。
昨年来、この本が韓国で名誉毀損の民事裁判にさらされていることに私たちは憂慮の目を向けてきましたが、今回さらに大きな衝撃を受けたのは、検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出たからです。何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由にかかわる問題です。特定の個人を誹謗したり、暴力を扇動したりするようなものは別として、言論に対しては言論で対抗すべきであり、学問の場に公権力が踏み込むべきでないのは、近代民主主義の基本原理ではないでしょうか。なぜなら学問や言論の活発な展開こそ、健全な世論の形成に大事な材料を提供し、社会に滋養を与えるものだからです。
韓国は、政治行動だけでなく学問や言論が力によって厳しく統制された独裁の時代をくぐり抜け、自力で民主化を成し遂げ、定着させた稀有の国です。私たちはそうした韓国社会の力に深い敬意を抱いてきました。しかし、いま、韓国の憲法が明記している「言論・出版の自由」や「学問・芸術の自由」が侵されつつあるのを憂慮せざるをえません。また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。
今回の起訴をきっかけにして、韓国の健全な世論がふたたび動き出すことを、強く期待したいと思います。日本の民主主義もいま多くの問題にさらされていますが、日韓の市民社会が共鳴し合うことによって、お互いの民主主義、そして自由な議論を尊重する空気を永久に持続させることを願ってやみません。
今回の起訴に対しては、民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断を強く求めるとともに、両国の言論空間における議論の活発化を切に望むものです。
2015年11月26日
賛同人一同

賛同人
浅野豊美、蘭信三、石川好、入江昭、岩崎稔、上野千鶴子、大河原昭夫、 大沼保昭、大江健三郎、ウイリアム・グライムス、小倉紀蔵、小此木政夫、 アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀代、川村湊、木宮正史、   栗栖薫子、グレゴリー・クラーク、河野洋平、古城佳子、小針進、小森陽一、酒井直樹、島田雅彦、千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎、竹内栄美子、   田中明彦、茅野裕城子、津島佑子、東郷和彦、中川成美、中沢けい、    中島岳志、成田龍一、西成彦、西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、 馬場公彦、平井久志、藤井貞和、藤原帰一、星野智幸、村山富市、     マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男、四方田犬彦、李相哲、 若宮啓文  (計54名、五十音順)
Asano Toyomi, Araragi Shinzo, Ishikawa Yoshimi, Irie Akira, Iwasaki Minoru, Ueno Chizuko, Okawara Akio, Onuma Yasuaki, Oe Kenzaburo, William Grimes, Ogura Kizo, Okonogi Masao, Andrew Gordon, Kato Chikako, Kano Mikiyo, Kawamura Minato, Kimiya Tadashi, Kurusu Kaoru, Gregory Clark, Kono Yohei, Kojo Yoshiko, Kohari Susumu, Komori Yoichi, Sakai Naoki, Shimada Masahiko, Senda Yuki, Soeya Yoshihide, Takahashi Genichiro, Takeuchi Emiko, Tanaka Akihiko, Chino Yukiko, Tsushima Yuko, Togo Kazuhiko, Nakagawa Shigemi, Nakazawa Kei, Nakajima Takeshi, Narita Ryuichi, Nishi Masahiko, Nishikawa Yuko, Thomas Berger, Hatano Sumio, Baba Kimihiko, Hirai Hisashi, Fujii Sadakazu, Fujiwara Kiichi, Hoshino Tomoyuki, Murayama Tomiichi, Mike Mochizuki, Motohashi Tetsuya, Yasuo Yoshinori, Yamada Takao, Yomota Inuhiko, Lee Sangchol (Li Sotetsu), Wakamiya Yoshibumi

「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」韓国語バージョンです。英語バージョンは制作中。
박유하 교수 기소에 대한 항의성명
『제국의 위안부』의 저자인 박유하 교수를 서울 동부검찰청이 「명예훼손죄」로 기소한 것에 대해 우리들은 커다란 놀라움과 깊은 우려를 금할 수 없습니다. 작년 11월 일본에서도 간행된 『제국의 위안부』에는 「종군위안부문제」에 대한 일면적인 인식을 넘어 다양성을 제시함으로써, 사태의 복잡성과 배경의 깊이를 포착하여 진정한 해결의 가능성을 찾고자 하는 강한 메시지가 담겨 있다고 판단되기 때문입니다.
기소와 동시에 발표된 보도자료에 의하면, 검찰청은 본서의 한국어판이 「허위 사실」을 기술하고 있다고 단정하고 그에 대한 구체적인 사례를 열거하고 있습니다. 그러나 그것은 박유하 교수의 의도를 있는 그대로 정확히 이해하려고 하지 않고 선입견과 오해에 의거하여 내린 판단이라고 생각합니다. 무엇보다도, 이 책으로 인해 위안부 할머니들의 명예가 훼손되었다고는 생각하기 어려우며, 오히려 위안부 할머니들이 경험한 슬픔의 깊이와 복잡함이 한국인들뿐만 아니라 일본의 독자들에게도 전해졌다고 느끼는 바입니다.
「위안부 문제」는 한일 양국민이 과거의 역사를 되돌아보고, 제국일본의 책임을 어디까지 추궁해야 하는지에 대한 공통된 이해에 도달함으로써 비로소 해결이 가능해지는 문제입니다. 이에 관하여, 박유하 교수는 「제국주의에 의한 여성멸시」와 「식민지지배가 초래한 차별」의 두 측면을 파고들어 이제까지의 논의에 깊이를 더하였습니다.
위안부가 전쟁터에서 일본군 병사와 감정을 공유하는 경우가 있었다거나 모집에 관여한 조선인을 포함한 업자의 책임 등을 이 책이 지적한 데 대해, 한국뿐만 아니라 일본 안에서도 여러 가지 이견이 존재하는 것은 사실입니다. 그러나, 이 책은 식민지지배를 통해 그러한 상황을 만들어 낸 제국일본의 근원적인 책임을 날카롭게 지적했을 뿐이며, 위안부문제로부터 등을 돌리고자 하는 일본의 일부 논조에 가담하는 책이 결코 아닙니다. 또한, 여러 이견들을 포함해서 위안부문제에 대한 관심과 논의를 환기시킨 점에서도 본서의 의의는 크다고 할 수 있습니다.
기소에 관한 보도자료에 의하면, 박유하 교수의 「잘못」의 근거로서 「고노담화」가 거론되고 있습니다. 그러나 이에 대해서도 강한 의문을 느끼지 않을 수 없습니다. 이 책은 고노담화를 섬세하게 읽어내고 이를 높이 평가하면서, 담화를 기반으로 한 문제해결을 호소하고 있기 때문입니다.
이 책의 일본어판은 올해 가을 일본에서 「아시아태평양상」특별상과 「이시바시 탄잔기념 와세다저널리즘대상」을 잇달아 수상하였습니다. 이는 「위안부문제」를 둘러싼 논의의 심화를 향해 새로운 한발을 내딛은 것이 높이 평가 받았기 때문입니다.
작년부터, 한국에서 이 책이 명예훼손의 민사재판에 휘말리게 된 것에 대해 우리는 우려의 눈길을 보내왔습니다만, 이번에 더욱 큰 충격을 받게 된 것은 검찰청이라는 공권력이 특정 역사관을 기반으로 학문과 언론의 자유를 억압하는 행동을 취했기 때문입니다. 무엇을 사실로 인정하고, 역사를 어떻게 해석할지는 학문의 자유에 관한 문제입니다. 특정 개인에 대한 비방이나 폭력선동을 제외하고, 언론에 대해서는 언론을 통해 대항해야 하며, 학문의 장에 공권력이 발을 들여놓아서는 안 된다는 것은 근대 민주주의의 기본원리라고 여겨집니다. 학문과 언론의 활발한 전개야말로 건전한 여론 형성을 위한 중요한 재료를 제공하고, 사회에 자양분을 공급하기 때문입니다.
한국은 정치행위뿐만 아니라 학문과 언론이 권력에 의해 삼엄하게 통제되었던 독재시대를 헤쳐 나와 자력으로 민주화를 달성하고 정착시킨, 세계에서 보기 드문 나라입니다. 우리는 그러한 한국사회의 저력에 깊은 경의를 품어 왔습니다. 그러나 현재, 한국의 헌법이 명기하고 있는 「언론・출판의 자유」나 「학문・예술의 자유」가 침해 받고 있는 것을 우려하지 않을 수 없습니다. 또, 한일양국이 이제 겨우 위안부문제를 둘러싼 해결의 실마리를 찾으려고 하는 때에 이번 기소가 양국민의 감정을 불필요하게 자극하여 문제의 해결을 어렵게 하는 요인이 되지 않을까 걱정됩니다.
이번 기소를 계기로 한국의 건전한 여론이 다시금 움직여지기를 강하게 기대하고 있습니다. 일본의 민주주의도 현재 많은 문제를 드러내고 있습니다만, 한일 양국의 시민사회가 공명해 감으로써 서로의 민주주의, 그리고 자유로운 논의를 존중하는 분위기가 영구히 지속되기를 진심으로 바랍니다.
이번 기소에 대해서는 민주주의의 상식과 양식에 부끄럽지 않은 판단을 법원에 강하게 요구함과 동시에 양국의 언론 공간을 통한 논의의 활성화를 절실히 기원하는 바입니다.
2015년 11월 26일
성명인 일동
浅野豊美(Asano Toyomi, 아사노 토요미)、蘭信三(Araragi Shinzo, 아라라기 신조)、石川好(Ishikawa Yoshimi, 이시카와 요시미)、入江昭(Irie Akira, 이리에 아키라)、岩崎稔(Iwasaki Minoru, 이와사키 미노루)、上野千鶴子(Ueno Chizuko, 우에노 치즈코)、大江健三郎(Oe Kenzaburo, 오에 겐자부로)、大河原昭夫(Okawara Akio, 오카와라 아키오)、大沼保昭(Onuma Yasuaki, 오누마 야스아키)、小倉紀蔵(Ogura Kizo, 오구라 키조)、小此木政夫(Okonogi Masao, 오코노기 마사오)、加藤千香子(Kato Chikako, 가토 치카코)、加納実紀代(Kano Mikiyo, 가노 미키요)、川村湊(Kawamura Minato, 가와무라 미나토)、木宮正史(Kimiya Tadashi, 기미야 타다시)、グレゴリー・クラーク(Gregory Clark, 그레고리 클러크)、ウィリアム・グライムス(William Grimes, 윌리엄 그라임스)、栗栖薫子(Kurusu Kaoru, 쿠루수 카오루)、河野洋平(Kono Yohei, 고노 요헤이)、アンドルー・ゴードン(Andrew Gordon, 앤드류 고든)、古城佳子(Kojo Yoshiko, 코죠 요시코)、小針進(Kohari Susumu, 고하리 스스무)、小森陽一(Komori Yoichi, 고모리 요이치)、酒井直樹(Sakai Naoki, 사카이 나오키)、島田雅彦(Shimada Masahiko, 시마다 마사히코)、千田有紀(Senda Yuki, 센다 유키)、添谷芳秀(Soeya Yoshihide, 소에야 요시히데)、高橋源一郎(Takahashi Genichiro, 다카하시 겐이치로)、竹内栄美子(Takeuchi Emiko, 다케우치 에미코)、田中明彦(Tanaka Akihiko, 다나카 아키히코)、茅野裕城子(Chino Yukiko, 치노 유키코)、津島佑子(Tsushima Yuko, 쓰시마 유코)、東郷和彦(Togo Kazuhiko, 도고 가즈히코)、中川成美(Nakagawa Shigemi, 나카가와 시게미)、中沢けい(Nakazawa Kei, 나카자와 케이)、中島岳志(Nakajima Takeshi, 나카지마 다케시)、成田龍一(Narita Ryuichi, 나리타 류이치)、西成彦(Nishi Masahiko, 니시 마사히코)、西川祐子(Nishikawa Yuko, 니시카와 유코)、トマス・バーガー(Thomas Berger, 토마스 버거)、波多野澄雄(Hatano Sumio, 하타노 수미오)、馬場公彦(Baba Kimihiko, 바바 기미히코)、平井久志(Hirai Hisashi, 히라이 히사시)、藤井貞和(Fujii Sadakazu, 후지이 사다카즈)、藤原帰一(Fujiwara Kiichi, 후지와라 키이치)、星野智幸(Hoshino Tomoyuki, 호시노 도모유키)、村山富市(Murayama Tomiichi, 무라야마 도미이치)、マイク・モチズキ(Mike Mochizuki, 마이크 모치즈키)、本橋哲也(Motohashi Tetsuya, 모토하시 데츠야)、安尾芳典(Yasuo Yoshinori, 야스오 요시노리)、山田孝男(Yamada Takao, 야마다 다카오)、四方田犬彦(Yomota Inuhiko, 요모타 이누히코)、李相哲(Lee Sangchul, 리상철, Li Sotetsu, 리 소테츠)、若宮啓文(Wakamiya Yoshibumi, 와카미야 요시부미)  (54명)

ガジュマルの赤い実

2015年11月08日(日)

 那覇で。ガジュマルの木に赤い実がなっていた。赤からだんだん紫になるみたい。ガジュマルの古木にはキジムナーが住んでいると言われます。赤い髪、赤い顔をしている樹の妖精だそうです。絵に描いてあるキジムナーは男の子が多いのですが、女の子のキジムナーもいるとのこと。なかには夫婦で子どもを連れているキジムナーもいるとか。魚獲りの名人で、キジムナーと一緒に魚を獲ると大漁だそうです。魚の目玉が好物。獲った魚の中に目玉のない魚が混じっていたら、それはキジムナーが食べたあとだそうです。
 私の従妹に魚の目玉が大好物という子がいました。ごく小さい時の話で、叔母がごはんのしたくをしていると、お膳の焼き魚の目玉が全部なくなっていたこともあったそうです。「めんめ、めんめ」と言いながら魚の目玉を食べてしまったとか。叔母の育った家、つまり私の母の実家ですが、その家は金沢八景の平潟湾に面していて、おおきなホルトの木がありました。常緑樹ですが、真っ赤に染まった葉が一年中、ほろほろと散る木でした。太い幹は黒褐色でざらざらした肌をしていました。私と弟はこの木の下でよく遊んでいました。それが「ホルトの木」だとわかるまではただ「どうも南方の木のようだ」とだけで、なんの木なのか、その名前もはっきりとはしませんでした。三浦半島の沿岸部ではまれに「ホルトの木」を見ることができるようです。ひょっとするとあのホルトの木と一緒にキジムナーが黒潮に乗ってやってきていたのかもしれません。ガジュマルではありませんが、キジムナーの中にもきっとそそっかしい奴はいることでしょう。魚の目玉が好きな従妹はキジムナーと友達になっていかのかも。

 首里から那覇へ下る坂道に、まちがいなくキジムナーが住んでいるガジュマルの木がありました。たくさんの気根を垂らした大きな樹でした。「ここに大きなガジュマルの木があったのですよ」とタクシーの運転手さんが、いかにも残念そうに、その古木が切り倒された跡を教えてくれました。母の実家にあったホルトの木も、とうとう切り倒されました。キジムナーはまた潮に乗ってどこか住みやすい古木があるところを探しに出かけたかもしれません。
 写真のガジュマルの木は、那覇の国際通りに那覇市伝統工芸館「てんぷす那覇」の前に若いガジュマルの木です。近くにはハイアットリージェンシーホテルもできました。このガジュマルにキジムナーが住む頃には、あたりの様子もずいぶん変わっているかもしれません。

欧州の混乱は戦争へ?

2015年10月17日(土)

 ドイツ銀行の経営状態が悪いという話が昨年から出回っているそうです。もし、破綻すればリーマンショック以上の痛手を世界はこうむりそうです。またEUも破綻しかねません。そこへ北アフリカ、中東から多くの難民が押し寄せているのが現状。

 10月9日付で時事は以下の記事を掲載しています。フランス、シリアへ2度目の空襲(すみません。私はどうも湾岸戦争の時に出てきた「空爆」という言葉に馴染めません。「空襲」のほうがずっと実感があります。「東京大空襲」は呑み込めるけど「東京大空爆」は喉にひっかかる棘みたいな感じ))とのこと。

「【パリ時事】フランスのルドリアン国防相は9日のラジオ番組で、仏空軍がシリアで前日夜から未明にかけて、過激派組織「イスラム国」の訓練施設に対して2度目の空爆を実施したと明らかにした。
 国防相は「ラファール戦闘機が爆弾を投下し、目的を達成した」と述べた。また、さらなる爆撃を検討していると説明した。 」
 戦争しますと言って始める戦争は珍しいものです。1月にパリでのテロ事件。フランスのシリアへの空襲。ドイツをめざす難民の大集団。もう欧州での戦争は始まっていると言えるでしょう。今のところは戦争と言わず混乱で収まっていますが。そこにドイツの経済破綻が訪れば混乱は「戦争」へと姿をかえる可能性が高まったと言えます。
 ユーラシア大陸の西の戦争に、極東(← 欧州の混乱を見ているとこの言い方がとても実感を持ってきます)の日本が巻き込まれないかが重要な局面で、わざわざ、中東に出かけてISに攻撃の口実を与えた安倍首相のおそるべき無能はいったいどうしたものでしょう。安倍首相の「無能」は、首相を囲むブレーンの「厚顔無恥」に由来しているようです。第二次世界大戦と日中戦争、太平洋戦争の敗北を認めない人々が安倍首相のブレーンだということが指摘され始めています。「戦前回帰」というよりも「戦前固執」と言ったほうがいいかもしれません。ユーラシア大陸の西で「第三次世界大戦」と呼んでもいいような戦乱の狼煙があがっている時に、ユーラシアの東の果ての島国で第二次世界大戦前に固執する人々が空気頭の首相を担いでいるのを、宇宙人が眺めていたらさぞかしおもしろいでしょう。その宇宙人が戯曲家の才能を持っていたら、さぞかし愉快な喜劇を書くことでしょう。


 ドイツ銀行を巡る暗い噂。ドイツ発の世界恐慌の可能性も!?

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151016-00064330-hbolz-eurp

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