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最初のお誕生日
2016年10月06日(木)
遠い昔になりました。
ホルトノキ
2016年09月25日(日)
淡路町から昌平橋の方向へとことこ歩いていたらホルトノキの並木があった。まだ植えられたばかりで、ちょっと落ち着かないなあという感じの並木だった。ホルトノキは常緑樹だけど、葉が落ちる前になると真っ赤に色づく。一年中、真っ赤になった葉がほろほろと散っている木。母方の祖父母の家に大きなホルトノキがあった。紅い葉がほろほろ散る木の名前を誰も知らなくって「なんだかわからない木」と呼んでいた。とても大きな木で家を建て替える時も切ってしまうと土地が崩れるかもしれないからと、そのまま残ったのだけど、とうとう枯れてしまった。 神社の境内には「御神木」として大切にされている巨木があります。ホルトノキも伊東の神社に大きな木があるそうです。日本で一番おおきなホルトノキと2番目におおきなホルトノキがあるとか。ちょっと見に行きたいなと思ってます。
いちじくの甘煮を作りました。
2016年09月06日(火)
盛岡の第一回文学フリマ岩手へ法政文芸編集委員会の学生諸君と出かけてきました。ここのところ新幹線の移動が重なったので、帰りは仙台で一泊しました。 仙台の朝市へ。あおいイチジクが出回る季節です。イチジクを買って甘煮を作りました。白砂糖で煮て、お酢を赤ワインを加えました。あとから考えると酢よりもレモン果汁のほうがよかったかもしれません。でも美味。
もうすぐたっち
2016年09月03日(土)
し〜ちゃんははいはいができるようになりました。 し〜ちゃんはえんちょができるようになりました。 し〜ちゃんはたっちをしようとしています。
パルコの思ひ出1
2016年08月08日(月)
河出書房新社にいらしゃった長田さんのお誘いで、長野の塩尻の図書館に講演に行ってきました。塩尻は筑摩書房の創業者である古田晁の故郷です。図書館には筑摩書房刊行の本が寄贈されていました。渋谷のパルコの思ひ出がなぜ塩尻の図書館の話から始まるかと言えば河出書房新社は千駄ヶ谷にあって、その河出書房新社にいた編集者のみなさんと渋谷そして辻井喬氏の思い出が結びつくからです。因縁というには薄い結びつきですが、たまたま河出の編集者の話を長田さんをお話をして帰ってきたら、渋谷パルコ閉店のニュースが流れていたのでした。
パルコが出来たのは1969年の「池袋パルコ」が最初。「東京丸物」閉店にあたって小佐野賢治仲介で西武百貨店が資本参加で「パルコ池袋」ができたと。渋谷への進出は1973年。昭和になおすと48年ですね。私は中学2年生。パルコのテレビCMを見て「何だろう?」と不思議に思ってました。商業施設のCMには見えませんでしたから。
パルコが渋谷で進出してからのテレビCMは21時にはまっくらになってしまう田舎の中学生には、実に刺激的な謎でした。探せばなんでもあるユーチューブですが、その頃のパルコのテレビCMは見当たりません。たしか小林麻美が赤いドレスでダンスを踊っていたCMがあったような。どなたかご記憶ででしょうか。パルコ渋谷閉店で「若者文化の発信地」などの紹介文を読むと違和感があるのは、田舎の中学生にはパルコのテレビCMは「大人への憧れ」を誘うものだったことに強い印象を持っているからです。
で、渋谷パルコのTVCMが盛んに流れた頃(少しあとからもしれませんが)流行した言葉が「大人の女」です。「大人の女」と言ってもサザエさんのおかあさんのおふねさんや、青島幸男が演じる意地悪ばあさんをさしているわけではありません。パルコのCMに出てくるような人。流行語の「大人の女」を女優さんに例えれば、沢村貞子さんではなくって岸恵子さんかな。あと女優を引退してからエッセイストをして活躍した高峰秀子さん。そのあたりかしら。「女こども」と「おばあさん」の間にいる「大人の女」への憧れが詰まっているような場所が渋谷パルコ。先日亡くなられた柳瀬尚樹訳のエリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」が出たのは1973年。柳瀬さんの翻訳は1976年だったからパルコ渋谷進出と時を同じくしているわけです。ナチス協力者として戦後ながらく無視されていたレニ・リフェンシュタールの再評価や そういうパルコが陣取る渋谷は私にとっては苦手な街。ある時「あなた、パルコがあるほうが山手線の内側だと思っているでしょ。あれは山手線の外側だからね」と言われて、ちょっとだけ地理感覚の修正に成功。その時は東京に出てきて10年以上が過ぎていました。
【パルコの思い出】はまた気が向いた時に続きをかきます。
シネマ・イーラさんからいただいた夏野菜
2016年07月29日(金)
浜松の木下恵介記念館でおこなわれた「楽隊のうさぎ」上映会に行ってきました。 シネマ・イーラさんからおたくの畑でとれたての夏野菜をどっさりいただきました。
安倍内閣は原発事故隠し内閣
2016年07月07日(木)
本日(7月7日)東京新聞朝刊27面。小泉純一郎、細川護熙連盟で「トモダチ作戦被害者支援基金」の全面広告。「すでに7名が命を落とし、現在もなお400名を超える方々が、ガンや白血病等の健康被害に苦しめられています」福島に派遣された米軍にこれだけの被害が出ている。 東日本大震災の救援に派遣された米軍にこれだけの原発事故の被ばく被害が出ているのだから、当然、日本の自衛隊、消防関係者、行政関係者それから当時福島に住んでいた人々にも被ばくによる健康被害は出ていると推察される。東京新聞の特報面の手前に広告を出した小泉、細川の両氏は出したそう推察されることを当然、計算しているはず。ここまで手の込んだことをやらなければ、福島原発事故の被ばく被害をうったえることができないのが今の日本なのか。選挙では原発に触れられることがないのか。そもそも参議院選挙も充分に報道されていない。テレビで参議院選挙があまり報じられないのも異常なら、改憲が争点になるのも尋常ならざることで放ってはおけないけど、福島原発事故で放射線による被ばく被害が大規模に出ている可能性があるのを米軍兵士支援の基金設立広告で推測しなきゃならないのは、もっと異常な話。
自民党改憲案のトンデもなさに驚いて、安倍内閣が原発堅持政策をとっていることを忘れそうになる。さらに福島原発事故で進行している被ばく被害には目をむけられなくなる。安倍内閣は原発事故隠し内閣。
鰯のにぎり
2016年07月01日(金)
大阪の「千年町樋口」さんの鰯のにぎり。 新子の8枚付けのにぎりもごちそうになりました。惜しいことに写真を撮るのを忘れてぱくりと食べてしまいました。
梅雨鰯とか入梅鰯と言うのだそうです。梅雨の頃の鰯は脂がのってとても美味。参議院選挙で、あちらの方もこちらの方も走り回っています。選挙が終わったらまた大阪の周防町の「千年町 樋口」さんへ行きたいなあ。誰か誘おうかしら。
反権力から抜け出して
2016年06月21日(火)
「反権力」の集会やデモと「有権者としての意思表示」の集会やデモは、見た目は似ているけど、その内実はまったく異質なものだ。18日(土)新宿東口街宣でミサオ・レッドウルフさんと初めて直接お話をした。2012年6月に首相官邸前の反原発脱原発集会が大きくなった時、集会の中止を告げるミサオ・レッドウルフさんのアナウンスを、おうちにいた私が一生懸命、タイピングしてツイッターで流したのはミサオ・レッドウルフさんは知らないことながら、あの時からお話してみたかった人。あの時、有田芳生さんは群衆の中の一人として「不穏な感じ」とツイートしている。
外務省脇から官邸前へと坂を上る人が多すぎて混雑しているのを、群衆の中の一人の有田芳生さんは「不穏な感じ」とツイートした。警察の機材を借りて集会の中止を告げたミサオ・レッドウルフさんはあとからだいぶ非難されていた。「反権力」の眼で見るからそういう非難が湧くのだろう。「反権力」が目的化してしまった場合には「警察の協力するなんて許しがたい」という態度になる。が、反原発の官邸前抗議も、ヘイトスピーチへのカウンターも、それから集団的自衛官を認める憲法解釈から始まった安保法制反対も「反権力運動」ではない。有権者としての意思表示だ。この違いは大きい。「反権力」を標榜する集会やデモに政治家は近づけない。「反権力」を標榜する集会やデモはけっきょく、それそのものが目的化しています。「有権者としての意思表示」のデモや集会は政治家と有権者の関係性を変える力がある。首相官邸前抗議から昨年の国会前集会は野党共闘を実現させた。
政治家と有権者をより近づけた存在として、その結びつきをしっかりとさせたのは「行動保守」を自認する右派のほうが先んじていた。ネトウヨ諸氏が自民党ネットサポーターズクラブのメンバーを自称していたのは、そういうわけだったのかと、今さらながら驚いたり呆れたり。
戦後女性列伝
2016年04月03日(日)
咲いた桜の花が雨に煙っています。おはようございます。昨日、思いついたことなんだけど「戦後女性列伝」みたいなのを書いたらおもしろいだろうなあと。 1946年の第22回総選挙で当選した女性議員だけでも39人の女性議員がいる。このなかには郵政保護法を提出した加藤シズエ、福田昌子、大田典礼もいた。加藤シズエは長生きで2001年に104才で亡くなっている。お嬢さんの加藤タキさんは48歳の時の産んだお子さん。松谷天光光、のちの園田天光光も長生きで1919年生まれで亡くなったのは2015年だから96才まで生きた人。政治家なら市川房江や土井たか子も忘れちゃいけない。2014年に94才で亡くなった山口淑子も日中米で活躍した女優から政治家に転身した人。デヴィ・スカルノもなかなか波乱万丈のおもしろい人生を生きている人だけど、まだお元気なので書きにくいかもしれない。 中ピ連の榎美佐子は1945年生まれ。まさに戦後の人。1992年頃をさかいに行方不明とか。 たまたま政治家からたどりだしたけれども、そのほかにも作家はもちろん、スポーツ選手、アーティスト、実業家、司法官、官僚、など分野ごとに活躍した女性がいて、その人たちの略伝を並べるだけで、具体的な戦後70年史が描けそうなんだけど。 リストだけでも作ってみようかな。どなたかやってみませんか。
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