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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

年金と相続税

2010年08月10日(火)

 角りわ子さんがソウルで展覧会を開いたらたいそうおもしろかったそうで、パリでの展覧会の話も聞いた。次はニュー・ヨークで個展を開きたいと言っていた。姜英淑さんは、アイオワ大学で、今度、直木賞をとった中島京子さんと知り合ったとメールに書いてきてくれた。世界はだんだん狭くなっているような気もする。

 で、角さんと晩御飯を食べたときの話題は111歳のミイラになったお爺さんの話。気が弱くって、ご飯のときにミイラの話をするだけでも、ちょっと怖くなるって行ったら「ほんとに?」と呆れられた。長生きのはずのお祖父さんがほんとうは30年前に死んでいたのを、家に中にそのままにしていたという事件は韓国でも大々的に報道されたそうだ。

「あれって年金が目的じゃなくって、相続がこじれたか、相続税が払えなかったかじゃないのかしら」
 角さんにそう言ってみた。
「そうかもしれない」
「だってさ」
 気持ち悪いと言いながら、どんどん想像にのめり込む私。30年前って言えば、新聞には年中、長男の嫁だという人が、年寄りを看取ったのに、相続の権利はないって悩みが載っていた頃だ。気の毒な人になると、結婚してすぐに夫は戦死して、それからずっと婚家の親の面倒を見たのに、財産相続からは外されたって人もいた。
「明治生まれの両親に、大正末から昭和の初め生まれの子どもってのが30年前の親子でしょ」
 それで、法律は終戦後にアメリカが持ち込んだ税制で出来ていて、アメリカ本国よりもずっと革新的な形態になっているから、へんてこなことが起きるわけと、一度回り出した頭はどんどん回る。年金受け取りが目的じゃなくって、相続が問題だったと考えると、報道されていることの辻褄が合ってくる。
「それ、小説に書いたらいいのに」
「水上勉の飢餓海峡みたいなやつ?」
「そうそう」
「ううん。そういうのあんまりうまくないから
「桐野夏生さんだった書けるかしら」
「うん。たぶん。たぶん。思いっきり怖いのが書けると思う。私だと、気の弱い息子が、相続のけりがつけられずに、のびのびにしているうちに言い出せなくなったとか、頑固なお祖父さんが武田信玄ばりに、死して三年はこれを明かすなと遺言したとか、なんだ、間抜けな話になっちゃいそうな気がする」
 なんて話になっちゃいました。

 同じ事件の話題を別の人ともしたのだけれども、それも思い出してみるとご飯のときでしたが、その時は、頭の中にそんなふうに、明治、大正、昭和という具合に時間がくっきりと線を描きませんでした。角さんのペースというか、身体に蓄えている時間間隔が、年金じゃなくって相続だって言う想像を私から引き出したみたいです。だから、会話っておもしろい。

 相続税については、大阪のタクシーの運転手さんから「お屋敷がみんな細かい家やマンションになってます、相続税がよう払えんから」と言う話を聞いたこともあります。それから、住宅地の乱開発も、もとはと言えば相続税の支払いのために土地が売り払われるからだとも聞きました。画家の遺族が、相続税のために絵を売って市場価値を下げるよりも燃やしたほうがマシだって言って実際、絵を燃やしちゃったという話も聞きました。

月日は飛ぶように去る

2010年08月09日(月)

 7月半ばから、さあ、夏休みだぞってわけで、次から次へいろんな人に会って話をしたり、あっちへいったりこっちへ行ったりです。12月の東アジア文学フォーラムのために北九州へも行ってきました。それで、熊本から東京へ来ていた伊藤さんとは、どこか、空の上か、地上か、わからないけれども、すれ違ったらしいのも、伊藤さんのコラムを読んでいたら解りました。

 北九州は30年前に戸畑へNHKの取材で出かけたのが最初。それから、小倉と門司へ「楽隊のうさぎ」の取材で行ったのは、もう12、3年前になるのには、ちょっと「そんなになるんだ!」という驚きでした。北九州の帰りに、湯布院へ。湯布院から別府へ戻って竹細工を見てきました。大分県は竹の産地で、エジソンが電球のフィラメントに使ったのも大分産の竹だそうです。
 北九州から戻って法政大学の富士見校舎で日本編集者学会の定期セミナーで元講談社の徳島高義さんにお話をしてもらいました。それから法政文芸6号の打ち上げ。

 そうそう、家には姜英淑さんからお手紙が届いていました。急ぎお返事を差し上げたのですけど、イギリス旅行の話を「豆畑の友」に書くといいながら、もう1年。ほんとうに月日は飛ぶように過ぎ去って行きます。陶芸家の角りわ子さんから小田急デパートで個展を開きますって葉書が来ていたので、渋谷のオーチャードホールで佐渡裕指揮の「キャンデード」を見た帰りで、小田急へ出かけて行くとなぜか司修さんが個展を開いていました。
 私は「?」という感じ。
「ほんと偶然なの」
 と角りわ子さん。デパートが仕舞ってから、ご飯を一緒に食べました。そんな具合に月日は飛ぶように去って行くのです。角りわ子さんと話したのは、都内最高齢の男性が30年前に死亡していたという事件。
「あれって年金が問題じゃないよねえ」
 って。この話はまた明日。

家庭の秘密

2010年07月10日(土)

 今住んでいる家を買った時、記念に買った洋食器のセットがあります。和食器はいろんな食器を組み合わせて使いますけれども、洋食器は同じセットでそろえると立派に見えるという理由。もっとも、この食器セットは食器棚の中でややお邪魔な存在。お正月にしか使わないのです。が、ティーセットは例外。

 ポットとカップ、それに、シュガーポット、ミルク入れなどのセット。それからケーキ皿。これは時たま、使うことがあります。で、問題はそれが時たまだったこと。ある日、ポットの蓋を開けたら黴の匂いが。
 これは良く乾かさずに戸棚にしまったせいだと、良く洗ってから乾かしておきました。でも、黴の匂いは以前として消えません。ま、そのうち匂いも消えるだろうと楽観的予想で、何度か使用しました。
 ちなみに娘は紅茶を飲むなり、眉をしかめ、匂いには言及せず、紅茶そのものを無視。息子は「なんだか、この紅茶は古くない?」と疑問を呈しました。で、私はポットのせいだとは言わずに「古いかもね」と曖昧な返事をしました。

 なぜ黴の匂いが抜けないのか、深く追求することもなく、ポットを洗ってはよく乾かして戸棚に仕舞うを繰り返していて、ある日、漂白剤を使うことを思いつきました。茶渋はキッチンハイターを使うとよく落ちるのです。漂白剤を使ったら、黴臭さは抜けるかしらと、じばし漬け置きしておきました。
 ポットはみるみるうちに白くなります。が、なぜか、ポットの内側の注ぎ口の穴だけは黒っぽいまま。 
 それで楊枝で、ポットの内側から注ぎ口の穴を突っついてみたんです。どうしたわけが楊枝が穴の中に入ってきません。
 「ありゃ?」
 なにか詰まっているのかしら?とさらに突っついてみました。へたに力を入れると、穴そのものの周囲を割ってしまいかねないので、恐る恐る突っつくこと、しばし。黒っぽい汁が流れ出しました。
「小さなブラシがあったはずだ!」
 昨年の年末に小さなブラシのセットを買ったのです。試験管洗いの形のブラシが、ひとつのリングに極小、小、中、大、特大と5本そろっているブラシセットで、何かの役に立つかもしれないと買ったものでした。
 極小で、そっと穴を突っついてみると、またまた黒い汁が流れ出すのです。極小ブラシがさらに突っついていると、すぽっと、耳くそくらいの黒い塊が流れてきました。どうやら、注ぎ口の底の部分にたくさんの紅茶の屑が詰まっているらしいということが、理解できてきました。これが、どうやら黴臭さの本体だったようです。

 もう、それからは極小ブラシで、注ぎ口の複数の穴をひとつひとつ掃除して行きました。すると、出てくるわ出てくるわ、驚くに値するほどの黒い塊が流れ出してくるのです。極小ブラシを小のブラシに変えてもまだまだ黒い塊が、しかも、初期のやつよりも、やや大きめの断片が流れだしてくるのです。あきれるくらいにたくさんの紅茶葉の屑が詰まっていたのでした。
 これは絶対、息子にも娘にも言えない秘密です。我が家の重大な秘密です。もし、この秘密がばれたら、引越し記念のポットは御はらい箱にされてしまいます。

 でも、もう黴臭くはないんだから、そう言ってもきっと大ブーイングが巻き起こることは間違いありません。

選挙サンデー

2010年07月04日(日)

 バーゲンセールのはがきにつられてふらふらと有楽町へ。有楽町の駅前は、丸井が出来てから、すっかり明るくなりました。電車の高架下だけの一画は昔のまま。いつも行く中華料理屋さんは、その一画にあります。昭和30年代からあるんじゃないかしら?

 扉を開けると一階はいっぱいで「お二階にどうぞ!」と、中国語のイントネーションが残る日本語で案内されました。ずっと昔は日本人がやっていた店だったのだけど、いつの間にか中国人のお店になっています。で、階段をがたがた言わせて2階へ。この階段ががたがたする感じが、なんか、昔って感じがします。

 2階へ上がると、丸井の前で、誰やら甲高い声で演説中。甲高いとがった声です。街宣車には「八代英太」の文字。しかし、八代英太とは違う話手のような気がしました。例によって堅焼きそばを注文。こういうお店で働いている中国人の女性が、年々歳々におしゃれになっている気がします。それから街を行く人も、けっこうおしゃれ。日曜日はとくに、母娘でおしゃれをしている二人が目につきます。あと、日曜日の若い男の人はすごくおしゃれです。街宣車の周囲もそんな人たちが集まっていました。

 すると、なぜか鋭い声で演説をしていた男性が、歌を歌いだしたのです。これが、アカペラなのに、うまい!
「あ、歌いだした」と言って、焼きそばを運んで来た店の人が窓を開けました。いやによく通る声です。「いったい誰だ?」と首をかしげていると「松山千春さん、どうもありがとうございました」って声が。この声はもしかすると鈴木宗男議員ではないでしょうか? 続いて「北海道から出てきたかいがありました」とこれはどうやら歌の主らしいのですが、歌うときと、話すときでは、声が違いすぎ!

「選挙?」
 注文とり以外はあまり日本語がうまくないらしい女性が、仕草を交えてそう聞くので
「そうそう」
「朝からずっと、誰か来てますね」
 と街宣車がいた交通会館の前をさしました。丸井が出来たときに、ガードをくぐる道路を一本塞いで歩道にしてしまったので、選挙演説をするにはちょうど良い広場になっているのです。
「選挙、あと、何日ですか?」
 と聞かれたので
「あと1週間です」
 と答えると
「じゃあ、まだ、毎日、いろんな人、来ますね。有名な人来るね」
 と笑っていました。演説にはそう興味はなさそうでしたけど、歌を耳にした時には、心底うれしそうな顔をした中国人の店員さんでした。

伊藤さん、たいへん。たいへん。

2010年07月02日(金)

 伊藤さん、原稿が消えちゃったみたいですね!私も「ブブゼラの音に起こされて」というタイトルで書いたコラムが一本消えちゃってました。はて、これはどうしたことでしょうか?

 管理人の豆蔵さん、どうしたのか、わかりますか?

#わかりませんが、サーバに雷でも落ちたのかもしれません。こんなこともあろうかとバックアップを取っておいてよかったです。(偶然ですが・豆)

豆ちゃん どうもありがとう!そういえば、雷雨で電車が止まってました。たよるべきは、やっぱり管理人ね!
(中沢)

ブブゼラの音で目が覚めて

2010年06月27日(日)

 伊藤さん、御元気そうで何よりです。

 うちがサッカー王国の埼玉なので、息子は小学生の時、サッカークラブに入ってました。で、娘も「お兄ちゃんが入るなら、あたしも入りたい」と。チームの監督のところへ女の子も入れるかどうか聞きに行ったことがあります。なんでも隣町のクラブには、ナショナルチームのジュニアクラスに入っている女の子がいるチームがあるとのことで、娘もサッカークラブに入てもらえる許可をもらいました。ところが、それやこれや交渉をしているうちに娘のほうが「サッカーって男の子だけじゃん、知らなかった」と言い出して、すっかりチームに入る気をなくしていました。娘はスイミングスクールにも通っていたから、サッカーが沙汰止みになってちょうど良かったのですけど。

 Wカップの初戦、カメルーン戦は「法政文芸」の編集委員と、法政大学近くのカフェで見ていました。見るつもりじゃなくって、編集委員会の帰りにビールを飲んでいたら、突然、スクリーンが下りてきて中継が始まったのです。で、私の隣の山田君が
「あ、入った」
 と叫びました。
「入ったじゃなくて、入れられたんだろう」
 そんな感じで、なにげにスクリーンを見ると日本に1点入っているので「ううん?」。だってブラジル相手に歴史的1点を取ったという試合だった過去にはあったのですから。その日は「入った」の山田君と地下鉄のホームに降りて、顔を見合わせてしまいました。ホームに電車を待つ人が誰もいなかったのです。電車もすいていました。家に帰りついたのは、ロスタイムの時。テレビを見ていた娘とロスタイムの間じゅう、固唾を呑んでいました。

 さて、二戦目。相手はオランダ。この日は大阪芸術大学の出講日。試合時間は帰りの新幹線の中のはず。いつも講師控え室でいっしょになる映像翻訳の男の先生は「今日はサッカーが見たいから、東京に帰らず、実家に帰ります」って笑ってました。
「オランダは強いよねえ」
 と、二人でぼこぼこにされなきゃいいけど、と心配顔になってしまいました。
 新幹線の中の電光掲示板に、絶望的な数字がでなければいいんだけどと、おそるおそる、時々、掲示板を見ていましたが、あの掲示板のニュースはそれほど速報ではなさそうで、サッカーの試合経過は流れていませんでした。そこで一念発起。今まで使ったことがなかったけれども、携帯電話をインターネットにつないでみると、なんと0−0で前半を折り返しているではありませんか!。東京駅に到着する前にもう一度、携帯で試合経過をみると0−1で負けてました。が、思わず「すごい!!!」
 家に帰って、午前3時からの再放送で試合を見ました。けれども、なぜか1点入れられる場面だけ居眠りをしてしまい、目が覚めたら1点入っていました。

 勝つか引き分けるかで決勝T進出が決まる第三戦のデンマーク戦。「あ、入った」の山田君と、午前3時からの中継を見るかどうかで、話をしました。山田君は電車の押し屋のアルバイトをしています。
 日本が勝ったにしろ、負けるにしろ、試合終了時間と朝の出勤時間がぶつかりそう。
「始発電車って、ゲロ吐いてあることがあって、掃除するんですけど、明日はいつもよりもゲロが多そう」
 そうか、そういう心配もあるのかと感心。家に帰ったら娘はもう寝ていました。前々から早く寝て、中継を見ると宣言していた娘です。なんでも娘の会社では、中継を見るために有給休暇をとった人もいるとのことでした。

 午前3時半。ブブゼラの響きで目が覚めました。ちゃんと時間どおりに起き出した娘がデンマーク戦の中継を見ていました。どれ、どれ、と居間へ出て行くと、2点先制点を取っているではありませんか。ありゃ、びっくりと、そのまま、朝まで娘に付き合ってしまいました。3点目が入ったときは、二人で万歳。夜があけてました。娘はそのまま、会社へ。
 夕刻、たまたま乗り合わせたタクシーの運転手さんとサッカーの話になり
「3点目は本田が岡崎に入れさせてやったんだなんて失礼なことを言うやつがいる」
 と憤慨していたので「そうだ、そうだ」と同調。それで200円ほどタクシー代をおまけしてもらいました。

ロストクライム 3億円はどこへ行ったの?

2010年06月22日(火)

 角川映画の「ロストクライム 閃光」を試写会で見てきました。1968年の「3億円事件」を題材にした永瀬俊介の小説を映画化したものです。試写会のあとは、ジャーナリストの魚住昭さん大谷昭宏さんとのトークセッション。大谷さんは事件当時、読売入社1年目の新米記者で徳島の支局にいたそうです。魚住さんが共同通信へ入社したのは、「3億円事件」の時効の頃だったとお話していました。私は事件当時小学校3年生。

 映画ではジャーナリスト宮本役の武田真治が異様になまめかしいのに驚きました。この映画を事前にご自宅でご覧になった魚住さんは「小学校4年生のこどもと一緒に見たので、エッチな場面が出てくると、画面を飛ばしました」と言ってましたが、試写会で見た私はエッチな場面よりも武田真治が出てくると、そのなまめかしさがちょっと怖くなりました。主演は刑事役の奥田英二、渡辺大の二人。3億円事件の主犯の父親役の夏八木勲の存在感もなかなか。でも、武田真治の非存在感と、怖いようななまめかしさについ目が行ってしまいました。

 それで3億円事件ですが、あの事件では奪われたお金は一切使われてないということになっています。大谷さんもそう言ってました。映画の中では3億円は焼き払われたということになっています。このシーンはロマンチックな場面です。焼き払うという選択も、あの時代の全共闘の学生で、良い家のお坊ちゃんお嬢さんだったらあるかもしれないと、ある種の共感を持ちました。

 ある種の共感というのは、「いったいあの3億円はどこにいっちゃったんだ?」というのが、私にとっては子どものときからの最大の謎というか、知りたくてたまらないことだからです。

 お金に番号が振ってあるというのを3億円事件のときに、大人たちの話に聞き耳をたてて初めて知ったのです。強奪されたたのは家電メーカーのボーナスで、1万円札、5千円札、千円札、五百円札、百円札のうちなぜか五百円札だけ銀行が番号を控えていたとのことでした。1万円札を使わせるために、警察がそういう発表をしているのだと、大人たちが話していました。「お札だから埋めておくわけにもいかないねえ」とか「そのうち、お札を撒いてくれるといいんだけど」など、この事件は白バイ警官に扮した犯人が、あっと言うまに3億円を強奪し、怪我人ひとりも出さなかったというので、大人は子どもの耳を恐れずに話をしていたのです。私はこの時、お札には番号が書いてあることや、スイスの保険会社の保険がかけられていたことを知り、それからジュラルミンという金属の名前を覚えました。だから、今でもジュラルミンケースを見ると「あ、お金が入っているんだ」と条件反射的に、じっと見詰めてしまうことがあります。
 お金は焼いちゃったというのは、ある程度の説得力もあるし、あの当時の学生運動のいたずらな空気に対する批評的な場面、つまりロマンチックだけど無意味ということで、それはそれで共感があるのですが、でも、ほんとうに3億円はなくなっちゃったの! と気になってしょうがないのです。

 で、以下のようなことを考えてみました。
 
 現金3億円を担保に、お金を3億円借り出す。これで犯人(もしくは犯人グループ)はマネーロンダリングができるわけです。で、3億円を貸した方は、その現金を時間をかけて小分けにして海外に持ち出す。それで海外で、外貨もしくは金などに交換する。こんなふうにすれば、たぶん、3億円は使ったということがばれずにマネーロンダリングできたのではないでしょうか?昨日のうちに、これを思いついていたら、大谷さんと魚住さんのご意見を聞いてみたんですけどねえ。残念です。いつもあとから思いつくの。

 大谷さんや魚住さんのお話を今朝になってあれこれ思い出してみると、3億円事件では刑事警察と公安警察の組織的な鍔迫り合いがあって、それで捜査が混乱したので未解決になったみたいなニュアンスがあったなあと、納得。映画を見たあとで、ジャーナリストとお話ができるという愉快な経験でした。

神田川のほとり、枇杷の実とたばこ

2010年06月16日(水)

 御茶ノ水駅の近く、神田川を見下ろす喫煙所で煙草を吸っていたときのことです。額や頬に生傷のある、どこか凶悪な感じと憎めない人なつっこさが同居した顔の男の人が近づいてきました。顔の生傷が目立ったので、つい、うっかりまじまじと見詰めてしまいました。すると
男の人も、にっと笑ったのです。
「おや?」と思ったところ
「煙草を1本下さい」と言うのです。
 私にではなく、私の隣で煙草を吸っていたお婆さんに。ほっそりとやせた身体に黒いカーディガンが似合うお婆さんでした。ちょっと見た感じを率直に言うと、飲み屋さんかバーのママという印象。で、お婆さんはポケットからマールボロの箱を取り出して一本、煙草を差出しました。お婆さんが低い声で言いました。
「あんた、医者からたばこを止められているんでしょう」
 神田川が流れるそのあたりは、大学病院が並んでいます。マールボロを一本もらった男は
「ライターは持ってます」
 と自分のポケットから出したライターで煙草に火をつけました。
「お酒もたばこも駄目だって言われているんだけどね」
 一服吸って、そう言いながらにこやかに笑いました。
「私が煙草を上げたからって、あとで、病気が悪くなったなんて言わないでよ」
 お婆さんは念を押す調子でそう言ってから
「だけど、止められないようね」
 と煙を吐き出しました。
「ああ、止めたのは刑務所に入っていたときぐらいだねえ。出てきたら、一日3箱はすっちゃうもんなあ」
 おやおや、最初に顔を見たとき、不思議な雰囲気の男の人だなあと感じたのはそういうわけだったかと、つい聞き耳を立ててしまいました。
「お酒はね、あるんですよ。へんてこな薬が。その薬を飲んでお酒を飲むとね、顔は真っ赤になるし、心臓はばくばくするしで、救急車呼ばなくちゃならないの。医者がそういう薬をくれるの」
 へえ、そんな薬があるんだと内心、びっくり。お婆さんは煙草をふかしながら「ふうん」と気のない返事で男の人の話を聞いてました。このあたりで、私の吸っていた煙草が短くなったので、吸殻を設置された灰皿に捨てて、その場を離れました。自分の好奇心をややもてあました感じでした。御茶ノ水の駅のほうへ歩いて行くと御茶ノ水橋のたもとに、枇杷の実がいっぱい生っていました。誰も手入れをすることがない枇杷の実ですから、ひとつひとつは小さいのですが、日当たりが良いので、きれいなオレンジ色(枇杷色)に染まっていました。その枇杷の実を携帯で写真に撮ろうかどうか、しばらく立ち止まって考えていました。写真を撮るよりも、覚えているだけのほうが楽しい時があるので、迷います。
 すると後ろから声がしました。
「こんなに枇杷の実が生っているの」
 あのマールボロを差し出したお婆さんでした。背筋がぴんと伸びたお婆さんとふたりでしばらく枇杷の実を眺めていました。結局、写真は撮らずに眺めるだけにしました。

箱根で蛍を見てきました。

2010年06月11日(金)

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 ちょうど栴檀の木が花の盛りでした。
 前の日までは一匹二匹が飛ぶだけだった蛍も一雨降ったあとでたくさん飛び回るようになりました。栴檀の花には、美しい蝶々が飛んできていました。卯の花の盛りの季節です。

 泊まったのは塔ノ沢の福住楼。前に流れる早川に蛍が飛ぶことを教えてもらったのは去年の今頃でした。蛍というものを一度見てみたいと願っていました。それと言うのも、横浜から房州の館山へ引っ越した最初の年、私は小学校1年生でしたが、蛍の話を聞きました。安藤君という同級生のお母さんが「このあたりいったいに蛍が飛び交います」と言って、指差したのは、安藤君の家の前に広がる水田でした。安藤君の家は山のすそに建つ農家で、大きな広い土間がありました。蛍の話を聞いたのはその土間でした。

 少し小高いところにある安藤君の家の土間から、那古船形駅にかけて広がる田んぼが見渡せました。その頃は、田んぼの中に一筋の道が走っているだけで、建物といえば小さな駅舎があるだけだったのです。
「いつでも蛍を見物にいらっしゃい」
 と、安藤君のお母さんは言ってくれました。
 蛍が飛ぶのは夜です。だから子ども一人では海岸にあった私の家から、山すその安藤君の家にはいけません。で、私の母の手がすいているときに、連れてきてくれるという約束になっていました。釣船屋を開いたばかりの私の家では、お客さんが乗船の前の晩にやってくるので、夜はなかなか母の手があきませんでした。それに蛍の季節は短いのです。2週間あるかないかです。
 そんなわけで、あっと言う間に蛍の季節は終わってしまい、とうとう安藤君の家に行く機会は訪れませんでした。そして、それが蛍が飛び交った最後の夏になりました。翌年になると、農薬を使用する農家が増えて、蛍の数は激減してしまい、さらに翌年には蛍は飛ばなかったそうです。

 私は田んぼ一面に蛍が飛ぶところを見ることができなかったのが、よほど残念だったのか、安藤君のうちのちょっと暗い土間から、昼の光が降り注ぐ水田を眺めていた時のことをよく記憶していて、蛍の季節になるとぼんやりと思い出します。土間の隅に、麦茶が入ったアルマイトの薬缶があったことがなぜか鮮明なのです。安藤君のうちでは、お父さんは市役所か何かに勤めていて、お母さんが田んぼや畑の世話をしていました。

 福住楼で聞くと、最初に書いたとおり、今年は蛍が出るのも少し遅くなっていて、まだ1匹、2匹がすっと飛ぶだけだという話でした。最初の晩は時折、びっくりするくらいの大雨が降り、とても外へ出て蛍を探す気になれませんでした。翌日、女中さんが「国道の橋の上から蛍をご覧になれますよ」と教えてくれたので、玄関に出てみると、御台所の仕事をしている女の人たちが「今夜はずいぶん飛ぶようになった」と話ながら戻ってきたところに出会いました。
「たくさん、飛んでますよ。いっぱい。いっぱい」
 そう教えてくれたので、国道にかかった橋の上まで出てみました。国道にはひっきりなしにライトを点した車が通ります。はて、こんなに車が通るところで蛍が見えるのかしらと、首をひねっていると、川岸の茂みで、ぽつんと光るものがありました。蛍だとは信じられず、目の錯覚かもしれないと、その小さな光を凝視しました。最初の小さな光の点が消えてしまってすぐに、やはり小さな点がひとつ、ふらふらと川のほうへ、流れました。それでも、なんだか、まだ、目の錯覚のように思えてなりませんでした。ひとつ小さな光の点が川のほうへふらふらと飛ぶのを、追うようにして、また小さな点がゆるやか弧を描きながら、暗い茂みを飛び立ちました。ようやく、ああ、これが蛍だと、そのはかなげな光を目で追いました。一匹は光始めると、それにつられたように、また一匹が光ります。
 光は光を呼び、あちらこちらでぼんやりとした光がすっと柔らかく飛び立ち、実にたよりなげに飛び交うのでした。なんだか、光る綿が風に吹かれているような飛び方で、虫の飛翔の俊敏さとは縁遠い動きでした。

見つけました。書店用文庫目録

2010年06月04日(金)

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 銀座の教文館で「文庫目録を下さい」とお願いしたところ「すみません。今、書店用のものしかありませんから、これをお持ち下さい」と、もらったのが新潮社の文庫目録です。表紙にしっかり「書店用」と印刷してあります。緑色の紐も最初からついていました。初めてみました。

 ゼミの学生が書店で「これは書店用です」と言われたということで、それから学生たちにいろいろ聞いてみました。ネットで直接、それぞれの出版社のHPにアクセスして文庫目録を送ってもらったという学生がいました。どうやら、その手が一番確実に、文庫目録を手に入れやすい方法らしいと解りました。

 銀座の教文館のすぐそばにアップルストアーがあります。iPadの発売の日に1,200人もの人が行列を作ったお店で、新聞にも写真が載っていました。美容院で髪を切ってもらった時、通りかかると、お店の中はiPad一色。なかなかの賑わいでした。ゼミの学生の中にも早速にiPadを手に入れた人もいるようです。

 キンドルやiPadについて報じる新聞記事を読んでいるうちに、これはOS(基本ソフトウェア)のシェア争いに、旧来のメディアが巻き込まれた、もしくは、飲み込まれたのではないかという考えが湧きました。PCのOSではウィンドウズ優位が絶対に動かないように見えています。キンドルのOSは何を使っているのか知りませんけれども、iPadではアップル社のOSが使われているのでしょう。以前、文字コード問題でいろんな人にお話を聞いた時に、あるPCメーカーの御重役が「市場というものは変化を求めるものなのです。だから、必ずウィンドウズ優位が崩れる時がきます」とおっしゃっていたのを思い出したのです。

 一般論としてはその人の言っていたことが理解できたのですが、具体的にウィンドウズの優位が崩れるのはどんな時なのかは想像できませんでした。が、目の前でアップル社のiPadを求める人の行列を見ると、それが1995年にOS「ウィンドウズ95」の発売のときの秋葉原の光景によく似ていたことも手伝って「ああ、これがアップル社の巻き返しなのだ」という気がしてきました。今はそれ以上のことはなんとも言えませんけれども、報道などでは「旧来のメディア対新しいメディア」をいう構図が描かれていますけれども、ほんとうのところはOSの覇権争いなのではないでしょうか?

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