中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
トピックス「豆の実」
   
 

「文学フリマ」ノート

2005年11月24日(木)

文学フリマの前日11月19日は日大芸術学部院生のフィールドワークで皇居周辺をうろうろした。お堀端ではなぜかトレーニング中の高橋尚子選手に行き逢うというハプニングもあった。御茶ノ水から神田明神、靖国神社外堀の法政大学へ回って解散した時には10時近かった。翌日、いささか遅く目を覚まして、紙袋にばたばたとフリマ出店用の本を詰め込んであたふたとバス停に駆けつけたところで日大の名古屋君から電話。
「今、起きたところなので、30分ほど遅れます」
 という連絡だった。名古屋君もフィールドワークにつきあってくれていたのだ。で、彼が30分遅れるなら、まだ荷物を詰め替えても大丈夫だなと判断して家に引き返す。
 本は重いので紙袋では秋葉原までもつかどうかいささか不安だった。おおあわてで旅行用キャリーケースに本を詰め替えた。



 販売用の本は以下のようなもの。
「法政文芸創刊号」「現代小説研究1」「現代小説研究2」(これは法政の藤村先生が出している雑誌)「十六夜」(法政大学文芸コース中沢昼ゼミ)「障子にメアリー」(法政大学文芸コース夜ゼミ 法政には昼ゼミと夜ゼミがあって、どちらでも好きな時間を選べる)とここまでは大学関係。勝又先生が中心で出している「私小説研究」は直接会場へ梅沢先生が持ってきてくれる約束になっていた。
「日本中国女性作家会議資料」「日韓文学者会議IN青森資料集」「日韓国文学者会議原州資料集」(韓国語バージョン)
「日印作家会議山形資料集」いずれも市販されていないけれども日本では初訳の短編小説や詩が収録されていたり、発表用レジュメが収録されている。
 このほかにフリーペーパー「ルクツゥン」を豆蔵さんが持参することになっていた。

 で、キャリーケースをごろごろと引きながら二週間前には同じキャリーケースを引っ張って台北から帰ってきたんだなあと思う。秋葉原改札で、名古屋君と落ち合う。駅がすっかり新しくなっていて文学フリマ会場の中小企業振興会館が駅を出るとすぐに見えた。初参加なのにぜんぜん緊張感なしの二人の視界には、なにやら行列が……。競馬好きの名古屋君が荷物を持ってくれていたので、場外馬券売場を連想する。
「秋葉原にも場外ができたんだっけ?」
「さあ、聞いてません」
「マイルシップチャンピオンだものね」
「先生、マイルチャンピオンシップです」
 昔、いかりや長介と仲本工事が馬鹿兄弟のコントをやっていたけれども、なんだかあれに似た会話をしながら、横断報道を渡った。行列は中小企業振興会館の建物の中へと繋がっている。それでもにわかには信じられずなにか別の催しでもあるのだろうとたかをくくっていた。なにしろものを書いたり読んだりする夜更かし人間が午前中から行列をつくるなんての想像を絶した光景だったからだ。午前中は人も少ないからぽつぽつ用意すればいいやくらいの気持ちでいたが、目の前の行列が文学フリマの受付へ続いているのを見るや否やとたんに駆け足になる。会場入り口の階段を駆け上がり、事務局も受付も無視してそのまま割り当てのブースへ。ブースは昨日、法政の藤村研究室のパソコンで確認してあったからいいようなものの、藤村先生の質問がなかったらそんなことはしてないはずだったから、大パニックになっていたかもしれない。


 あたりを見回せばもうどこも準備万端で開場を待つばかりになっている。「名古屋、並べろ! 本を並べろ!」と叫びつつ、ふっと見れば斜め向かいには澄ました顔の「太平洋プロジェクト」の寶君がいる。こちらは展示用の什器まで製作している。で、隣のブースは机にきれいな布がかかっていた。机に布をかけているブースは多い。そういえば、昨晩、押入れを開けたら朗読会のときに使ったオレンジとグリーンの布がはらりと落ちてきたのだが、あれは神のご加護だったかって、そのご加護を無視しちゃったんだからしょうがない。あわてて並べているうちにも、お客さんはどんどんは会場に入ってくる。で、二階を目指す。二階に何かあるらしいけれども、何があるのかなんてことを考えている暇はない。会場一分前まで何も考えてなかった報いで、3分間でインスタントラーメンのごとくにあらゆることを済ませなくちゃならない。澄まして座っている寶君がうらやましいと思う暇もなし。名古屋君には鋏を買いに行ってもらう。
 梅沢先生が現れる。「私小説研究」はバックナンバーをそろえて持ってきてくれた。あわてずさわがす、きちんと品物を並べてくれる。で、「値札」を書かなくちゃと、マジックを探してごそごそとキャリーバックをあさっているところに読売新聞の持田記者が「こんにちは」ってこれはどっかで見た風景だとデジャ・ビューに襲われる。そうそう成田空港でキャリーバッグをあさっていた時、やはり持田記者が来て「こんにちは」でそのまま、台北までの飛行機の隣の席に座っていたのだ。
 このへんから頭が混乱してくる。鋏を買ってきた名古屋君に今度はキャリーバッグの中から出てきた郵便物の投函を頼む。だって発見した時にやらないとまたずっとキャリーバッグの中に入ったままになっちゃうんだもの。で「ついでにお茶を買ってきましょうか」となかなか気の利いたことをいうので、それも頼む。で、持参した画用紙に値段を書き始めた。そこにパーソナルメディア社の加茂さんがにこにこ顔で現れる。「あああ、あ、あ」としばし絶句していたのは上野と秋葉原でやっているユビキタス実験の「ユビキタス」の単語が出なかったからだ。カタカナ語苦手です。ユビキタス実験と秋葉原ダイビルでやっている展示もみなくちゃと思いながら加茂さんと東京国際フォーラムのトロンショーの話をする。加茂さんには日中女性作家会議の資料集を買ってもらった。それから藤村先生。会場を一回りして、知り合いのブースで雑誌を買ったと言っていた。法政は学園祭の最中なので、藤村先生はこれから学校に行くそうだ。

 大急ぎで値札を書いて、やれやれひとだんらくがつく。ほっとしたところに帽子を被った豆蔵さんが未卯ちゃんを連れて現れる。で、おもむろに「ルクツゥン」を出し
「黒と赤と青のマジック貸して下さい」
 と、さらさらとポップを立ったまま書いてしまったのに感心する。こういうことをやらせると豆蔵はうまいんだなあと思った瞬間になぜか学生時代にお茶の水の某書店でレジに立っていたときのことが突然よみがえる。

 紅茶にマドレーヌを浸して食べてプルーストもびっくりなくらいの鮮やかなよみがえりかただった。その時は友人のピンチヒッターで、書店のレジでアルバイトをしていた。で、自分の本がレジ前に積んであったんだけど、それをさんざんけなした学生グループがいて、レジの前でまさか「自分が著者だ」とも言えずに青ざめてしまった。こういうのをトラウマって言うのだろう。 どうも急激に会場に飛び込んだのが悪かったみたい。臆病な日本の私。

 幸い、トラとウマは殴りあったり蹴りあったりはせず、ロシア式抱擁をしている。ヒゲだらけの口のトラがウマと抱き合って、馬面にぶちゅとキスをしているのである。ちょっと、どういう顔をしいいのか判らない心境で、ブースに座っていた。「♪窓の外は神田川〜」って、え、神田川じゃないの? ともかく背中には川が流れていて、ガラス越しにまぶしい日差しが入ってくる。目の前には日大や法政の知った顔が通り過ぎて行く。隣は梅沢先生である。頭の中ではトラとウマがロシア式抱擁を繰り返している。それなのに、身体は視覚的刺激に反応して学校に出勤しているような感じになって来る。シュールだ。隣の梅沢先生は落ち着いてお客さんに「私小説研究」の説明をしている。会場を一回りしてきた豆蔵さんがお写真をぱちり。なぜか小学生みたいにVサインを出してしまった。トラウマ頭+教員的身体反応=小学生か?

 事務局代表の望月君が来て行列は「桜庭一樹と桜坂洋がコラボレーション作品を出品するという情報がネットで流れたから」と教えてくれた。そのほかに同人誌「銀座線」の皆さんや「零文学」の皆さんが来てくれる。二階に流れていたお客さんもそろそろと一階に降りてきて、あっちのブースこっちのブースを覗いて歩いている。むかいの「太平洋」さんは、私の頭の中でトラとウマがロシア式抱擁を繰り返している間に売り子が寶君から河上さんに交代していた。その間にもぽつぽつ、自分のブースにもお客さんがあって、本を買ってくれる。本を買ったあとで名刺をぱらりと落としてくれたお客さんもあった。ようやく身体が場所に馴染んでくる。トラもウマもロシア式抱擁のキスのくり返しに飽きてきたみたいだ。
 並べた本ではゼミ雑誌がよく売れた。もともと昼ゼミ「十六夜」は刷り部数が少ないので一冊しかもって来られなかった。これはすぐになくなった。夜ゼミの「障子にメアリー」は5冊全てが早い時間になくなった。で、これから市谷の法政大学まで行って追加のゼミ雑誌を持ってくるかどうか相談する。学園祭なので研究室にいつものように入れるかどうかが判らない。名古屋君が自分のかばんの中から日大の比恒ゼミの雑誌を出す。
「これ売っちゃいましょうか」
「あ、売ろう。売ろう」
 ってまた馬鹿兄弟のノリになっている。でも、日大のゼミ雑誌って学校の予算で作っているんだから値段をつけて売っちゃまずいんじゃないかなという話になって、少し頭が冷える。
「しかも中古だし……」
 と名古屋君。法政のゼミ雑誌はゼミ生が自前で作っている。
 値段のことは少しばかり事前に考えていて、ゼミ誌の「500円」は高いんじゃないかという意見もあって、「100円でいい」とか「50円」というゼミ生もいたけれども、500円というのはだいたい紙代印刷代の原価に近い数字なので、原価くらいはなんとかしようということで「500円」にした。「法政文芸」は1000円。
「私小説研究」は定価800円と決まっていて、この日は10%オフで720円。
「現代文芸研究」はやはり定価800円で、閉会まぢかになったら600円まで下げていいというのが藤村先生の指示。そのほか、外国作家との会議の資料集は 1000円にした。原州の日韓文学者会議資料集韓国語版は梅沢先生が韓国に行くから「お土産に」と買ってくれた。韓国語の勉強もしているらしい。日本の作家の作品が翻訳されているので対照して読むのにちょうどいいということだった。資料集の1000円は文学フリマでは高いほうだったが、こちらは翻訳料などもあるので、かなりの原価割れになっている。ほかのブースでは100円とか200円あるいは300円という値段の雑誌も多かった。
 「ルクツゥン」はもともとフリーペーパーなので無料。で、そのルクトゥンを見ていた男の人が「今、財布持ってくるから」と言うので「フリーペーパーですからお持ち下さい」というと「じゃあ、これもあげる」ともらったのは「世界で一番高い5円」の野田吉一さんの「鯉神」だった。「来年度(06年)より値上げのお願い」というちらしが挟み込んであって「来年度よりの定価は、コストの50〜70パーセントを考えております。むろんなお、赤字覚悟です」とあった。
 名古屋君の比恒ゼミの雑誌は無料で配ることにして(と言っても一冊しかないけれども)ゼミ雑誌がなくなったあとに置いておいた。

 腰が落ちついてくると、今度は好奇心がうずきだす。トラもウマもいささか呆れ顔になっていた。梅沢先生は御用があるとのことで、交代の大西さんが来てくれた。この頃になるとブースは大西さんと名古屋君にほとんど任せて場内をうろうろ。

 というわけで、この日購入したりもらったりした雑誌は以下のとおり。

「鯉神」    野田吉一
「太平洋」  
「早稲田文学 フリーペパー1号」
「ナカザワゼミ」CD版   明治大学法学部のゼミでした。
「女流パチプロの優雅な日々」  岡田安里
「かみのうた」
「読ではいけない」
「婦人文芸」81号
「零文学」1号2号3号
「幸い探して」  梁瀬陽子
「木曜日」18号19号20号21号
「銀座線」第10号
「十二ヶ月」2号
「もう、どうだっていいじゃん」
「若木文学」 2005年 前期
「風の月」
「樹の月」
「環の月」
「Satze Katze 2」
 
以上です。

 怒涛の5時間でした。で、そろそろ閉会の16時が近づいた頃に「太平洋」さんに打ち上げを便乗させてもらうように頼んだ。で16時。「閉会です」のアナウンスで二階からも一階フロアからも拍手が沸き起こる。で、またばたばたとキャリーケースに荷物を詰め込んで「さあ、これを着払いの宅急便に出してみんなで打ち上げに行くぞ」と手を叩いたら、着払いの宅急便伝票が見あたらない。どうもキャリーバッグの中に入れてしまったらしい。キャリーバッグをあけようとしたら、今度は鍵が開かない。ダイヤル式錠前の数字を合わせてもうんともすんとも言わない。数字は間違ってないのにこれはどうしたことかと一瞬焦ったが、伝票をもう一枚もらって家に荷物を送り、鍵は壊すことにした。

 翌日、家についたキャリーバッグの鍵を「もしかすると、偶然にナンバーを変える操作をしてしまったのかもしれない」と類推して、ためしにひとつだけ番号をずらしてみたらあっさりと開いた。

 ご協力いただいた皆さん、本をお買い上げいただいた皆さんどうもありがとうございます。来年はオリジナルエディションの作品を持って文学フリマに参加したいと思います。どんなエディションにするのかはこれからじっくり(3分間ではなく)考えてみます。

「豆畑の朗読会」演目ノート

2005年06月25日(土)

豆蔵(ながしろばんり、vo,g)
 ・6月の雨の夜、チルチルミチルは 作詞作曲:友部正人
 6月の夜の朗読会ということでオープニングはこれがよかろうと。惜しむらくはこの曲のときにしっかり雨を降らしてくれればというところ。むしろ雨を呼んでしまいました。
 ・夜明け前 作詞作曲:ながしろばんり
 9.11と同時に生まれて、三年たって徐々に曲がついていった。曲で語るという「希釈」がなければ、とても飲み込めないし、吐き出せない。
 ・探索鉄道デ 作詞:ヨケマキル 作曲:ながしろばんり
 ネット詩界の天才愉快犯・ヨケマキル作品に頼み込んで曲をつけさせてもらった。ながしろライブではスタンダードのこの一曲を、初めてお目にかかる方へ。

太平洋プロジェクト(寳洋平,txt、河上大樹,music、下原資翠,T-shirt)
 ・寶洋平「サーカステント」(書き下ろし)
 童話作家・安房直子の短編「青い花」からインスパイアを受け、その世界をベースに続きを書いた作品が「サーカステント」です。河上さんと下原さんにも「青い花」を読んでもらったうえで、音楽、Tシャツをそれぞれ用意してもらいました。

そら吹き(氷月そら,fg+加藤一真,vn)
 ・ベートーヴェン「三つの二重奏曲(Drei Duos)より第一曲

深山洋平(reading)+山本慧之(music)
 ・深山洋平「永遠」(書き下ろし)
 本来はもっと長い話になるようなイメージを持っていたのですが、朗読会用に少しストーリー性をもたせました。イメージよりもずっと良い作品になってくれたように思います。音楽選びも予想よりは楽に進められました。聞いてくださった方に映像を届けやすい音楽を選べたと思います。
 作品のテーマなどは読んでくださった方、朗読を聴いてくださった方の想像に任せます。皆さんの心に少しでもこの作品が留まってくれれば幸いです。
 音楽は大学の友人が担当してくれました。ちょっとしたハプニングもありましたが、それはご愛嬌。本番2時間前に音を流す人物がいないことに気付き、「音、流して。」と就活帰りの彼を呼び出し急遽音楽担当に。たまたま会場の近くにいたからいいものの、いなかったらどうなってたことやら。これでは何もないほうがおかしいですよね。

中沢けい(reading)
 中沢けい「雨の日と青い鳥」(光村図書 国語2所載)
 2006年から使用予定の中学校2年生用国語教科書のための書き下ろし作品 ただし朗読会バージョン。

朗読会レポート「豆畑には蔵がある」

2005年06月16日(木)

written by マニエリストQ



パーソナルメディア社からお祝いの花籠をいただきました! 3席ばかり後方、最後尾の席から、女性の左頬を少しばかり見ることができて、その頬がいかにも楽し気に動いている。楽し気に動くほっぺとはどんな動き かと聞かれても、さあどんなだろう、とにかく楽しそうなんだよ、と言うしかない。楽しいほっぺの女性と魅力的な朗読者たち。楽しさが2倍になってマル得な、初めての「豆畑の朗読会」は、いま真っ盛りなのだった……。

 2005年6月11日土曜日。紫陽花、曇天。思い出したかのように時たまぱらつく小さな雨粒。
 黒のロングスカートできめた中沢さんが、会場入り口の外に灰皿を持ち出し、満面の笑みで煙草をふかしていました。開演前の余裕か、はたまた緊張か。少しばかり紅潮した中沢さんのお顔。挨拶を交わしたドスのきいたその声で、まさか緊張のはずがあるわけなかろうとすぐに分かりました。すでに会場の席を占めている観客と、三々五々やってくる「豆畑ファン」に、うれしさいっぱいの中沢さんなのでありました(多分そうだったのでしょう)。
会場は千代田区神田は小川町の小川町画廊。普段は画廊の、外から丸見えで、適度な広さの白い会場です。中に入ると外の曇天と比してその白い空間が眩しく、正面の壁面を飾る対の垂れ布が唯一、淡い彩りで清楚な感じを漂わせています。まさしく豆畑色です。
 ところで、このたびレポートを仰せつかった私ですが、私、酔いました。もちろん朗読会にもですが、会場に用意されていたあの素敵な赤ワインに酔ってし まったのです。チーズがおいしかったなあ……未卯さんごちそうさまでした。ですので、細部の記憶がございません。そんな奴がなんでレポートするかと言います と、これも二次会での酔った勢いで、中沢さんの掛け声に思わず挙手してしまったしだいです。後悔の盆踊りです。

豆蔵師匠です。今回の選曲は朗読会仕様だとか。 さて、朗読会。まずは「豆畑の友」管理人、豆蔵さんがトップバッターです。
 いきなりホームランがかっ飛ばされました。そういっちゃあなんですが、あの風体で、なんで、どこから、あのような、人心を惑わすくすぐるお声が出るのでしょう。時々宙をさまよう視線がとても愛らしいです。寺門に人を脅す仁王様とまで中沢さんに称されているのに(ちなみに私は彼を大仏頭と呼んでます)。実
を申しますと、豆蔵さんの音楽は何度か聴いています。しかし、今回はいつもに増して素敵でした。気合い入りまくりでした。最後の節の唸りともいえる、詩を歌ったものは凄かったです。手術台の上で出合った蝙蝠傘と便器(失礼)みたいに、あれはまさしくシュールです。異質なものの出合いそのものです。人を驚かすのは威風堂々の風体だけではなかったのですね。堪能いたしました。
 通行人が物珍し気に会場を横目にしながら通り過ぎていきます。観客の皆さんは、それぞれ赤ワイン、白ワイン、オレンジジュースなどを飲みながらの観戦? です。席は満席になっています。途中からやってくる人もいらっしゃいました。
 豆蔵さんのホームランに気をよくしたのか、皆さんの緊張もほぐれたようです。

太平洋プロジェクトの寶さん。シャツのデザインは今回の作品に合わせた特別なものです。  そして、大平洋プロジェクトさんの出番です。
 まずはネーミングが壮大です。私はてっきりどこかの会社のお名前かとばかり思っていました。なにを作ってるチームなんだろうと考えたりもしました。気の合ったサラリーマン同士が集って活動してるんだなきっとなどと、まあその辺りは結局定かではなかったのですが、朗読をされた寶洋平さんの説明によると、自分たちは世界に向かってバラエティーなことをやっていくんだということでした。納得。その日のユニホームも下原資翠さんによるデザインのTシャツということでした。朗読の内容はその場にいた人のお楽しみ。音楽担当は河上大樹さん。終わったあとで緊張が解けたのか、一服しながら、音楽が予定と違ってたろうがと楽しくやりあってました(ごめんなさい。これはひょっとしたら後半の深山洋平さんのほうだったかも。酔ってます)。

「そら吹き」の氷月さんと加藤さん。右端にドリンク担当の未卯さんも見えます。   いよいよです。わがQBOOKSのアイドル詩人氷月そらちゃんのお出まし。手にしたカップのワインがひとごとながら緊張で微かに波立っております(そんなわけありゃしません。カラですもん。そっと未卯さんに目配せ)。実はこれまた、そらさんのファゴットを聴くのは二度目の私なのです。けれど、こんなにも間近 で、そしてヴァイオリンとの二重奏を聴くのは、今日がはじめてです。
 いやー、またまた大ホームラン! 演奏曲はベートーヴェンの「3つの二重奏曲」の第1曲。ヴァイオリンの加藤一真さんとファゴットそらさんの「そら吹き」さんは、もうなんというか、一心同体です。絶妙な掛け合い漫才みたいです(もち、ボケ方は一真さん)。ジェラシーさえ感じます。「楽譜は作曲家からの一様の手紙で、それを音楽で朗読する」と当日の立派なパンフレットにありましたが、こんな素敵な朗読もあったのですね。恐るべし朗読。奥、深し。金鳥蚊捕りも夏間近。

 と、単独ホームラン続きですでに得点3を重ねる豆畑チームではありますが、中沢監督はそれでも情け容赦なく、眼光鋭く叫ぶのであります。
「畳み込めー!」
 中沢さんがこんなにもテンション高いとは意外だった……ひょっとして、比呂美さんも……ブルッ。カリフォルニアの陽気は如何なものですか?

深山さん。CDを掛ける順番が違っていたのは実はこちらですよQさん(^^;)   はい。それはさておき、深山洋平さんです。
 朗読が今回で3回目ということですが、これだけのものはそうそうできるものではないです。朗読内容はこれもまた居合わせた人だけのお楽しみ。かなりの長丁場ともいえる圧巻ものでした。これこそ朗読の神髄「聴かせる」というものなのでしょう。駄目押しの長大ホームランです。ポップなお兄さんも頷くように聞き入っている姿が印象的でした。朗読に限らず、会という催しの素晴らしさは、こういった様々な人がある意味偶然に出合い、そして一点に集中できる劇的な空間を共有できるということなのでしょう。それは、価値観は個々にそれぞれ、という前提でのことではあるのですが。深山さんとは一服しつつ少しお話ができま した。ぜひ、うちの次の朗読会にも参加してくださいね。
 外はいささか暗くなり、少しばかりちらほらと雨?

真打登場。教科書の文章はなんと教科書用の書き下ろし。  いよいよもって、豆畑の朗読会はラストのリーディングを迎えようとしているのです。それは全観客の待望でした。『うさぎとトランペット』が生で味わえるのです。突如、雷光一閃、稲妻。中沢けいの黒い影が背後の白い壁に巨大に伸び、竜舌蘭に埋もれた地下から漏れひびく巨人の呻き。天宙にはかしましく飛び交う天使たち……と、……なに?
「中沢、変更しちゃいます」 
「朗読内容、変更しちゃいます」耳を疑う観客一同。
「教科書が今さっきできあがったの。で、こっちやります」どよめく会場。
 そうなのです。作品が掲載された教科書が、できたてホヤホヤで届いたのであります。おーっと、これまた大お年玉。本邦初の教科書朗読。さらに著者自身による貴重な朗読。まだ誰も見ても読んでもいない教科書。ちなみに、これは冒頭の頬楽し女史からのものだそうです。

 朗読会がこれで終わってしまうのだろうかと、誰もの内心に一抹の寂しさを投げかけつつ、中沢けい朗読が進んでいくのでした。なにを思い、なにを感じながら、いま朗読にあるのでしょうか。今日の朗読会にどのような思いを馳せているのでしょうか。などと詮索するのは実に愚かなことです。それどころではないのです。まあまったく、ただただ楽しんでいるだけなのです。そういうお人なのです。 て、中沢さん、違ってたらごめんなさーい。
 そしてついに、第1回「豆畑の朗読会」は全朗読を終えたのです。そのあとのパーティも最高でした。酔いました。はじめから酔ってましたけど。いずれにしても、大成功おめでとうございます。次回開催が待たれます。豆蔵さん、頑張ってください。

お疲れさまでした!

 と、これで終わったかに思えた朗読会。なんと二次会があったのです。でも私はただ酔っただけですし、ひたすら長文駄文になっていますので、ここでは割愛。最後になりましたが、銀座「きらら」で銀恋をデュエットしてくださった中沢さん、ありがとうございました。豆蔵さん、未卯さん、お疲れさまでした。出演された皆さん、そして貴重な時間をご一緒できた観客の皆さん、感謝。またお会いできる日まで、さようなら……なお、このレポートには脚色された部分がありますのでご了承ください。そんなこと言われなくとも知っとるわい、てその通りでございます。
打ち上げでの記念撮影。最後まで愉快な朗読会でした。

 

(まにえりすとQ・詩と小説のQ書房主宰)→Q書房



 写真:中沢けい・豆蔵

「豆畑の朗読会」予約受付中!

2005年06月03日(金)

 日時:6月11日(土)16:30 Open、17:00 Start
 (終了後ささやかなパーティーあり)
 会費:1000円(飲み物および少々のおつまみがつきます)
 場所:小川町画廊

 出演: 中沢けい、そら吹き(氷月そら+加藤一真)、太平洋プロジェクト(寶洋平、河上大樹、下原資翠)、深山洋平、豆蔵(ながしろばんり)

 40席予約受付けます。(6月3日時点、半数ほど埋まっています)
 また、お席の予約が満員の場合は立ち見の場合もございます。御了承ください。

 御予約はこちらまで。

豆畑の朗読会・着々と準備中!

2005年06月03日(金)

 いよいよ間近になってまいりました! おたのしみに!
 予約については下記を参照してください。

「うさぎとトランペット」の中に出てくる音楽

2005年02月07日(月)

「大きな古時計」
 花之木公園でトランペットの練習をしていた有木が、単調な音階練習に飽きた時に吹く曲。平井堅が歌って最新流行になりましたが、私の音楽の教科書には載っていました。たぶん30年前くらい。

「ナブッコ」
 有木のトランペットが「ところてーん」と響く曲。花之木中学の定期演奏会で演奏された曲。

「ベストフレンド」(作曲 松浪真吾)
 ピンクバナナが定期演奏会の曲目に選んだ曲。
 実際には2003年のコンクール課題曲です。人気のある曲で聞いていてもおもしろい。映画「スウィングガールズ」にもちらりと出てきます。
 「全日本吹奏楽2003」から北海道代表のウインドアンサンブル・ノールの演奏を参考にしました。2003年10月19日の宇都宮文化会館のライブです。

「アルメニアン・ダンス・パート2」(作曲 A・リード)
 結婚の舞曲 ロリの歌
 ピンクバナナがコンクールで演奏する曲。コンクールでは毎年どこかが演奏している曲です。A・リード自身が指揮をしている東京佼成ウィンドオーケストラの演奏を参考にしました。参考にししたCDにはA・リードのインタビューも入っていました。

「狙いうち」
 山本リンダが歌っていた歌謡曲です。高校野球の応援にはよく使われます。
 有木が野球の応援に借り出されて吹く曲。最近の高校野球では選手が自分の応援の曲をリクエストしているなんてこともあるそうです。炎天下の応援と吹奏楽では同じ楽器でも音色が違うのでコンクールの時期が重なっているための苦労話はよく聞きます。高校野球の応援にも流行があるみたいです。私の頃は「コンバットマーチ」でした。
 映画「ドラムライン」はアメリカンフットボールの応援にでるマーチングバンドを描いていますが、主役はマーチングバンドのほうです。で、日本でも応援のブラスバンドにもう少し注目していただいてもいいのではないかと思います。

「BR」(作曲 天野正道)
 宇佐子とミキちゃんがコンクールで聞く曲。
 たぶん交響組曲というタイトルが入っていたの思うのですが、今、参考に使用したCDが見当たりません。天野正道の曲は「GR」などもよくコンクールで演奏されます。「BR」は映画バトルロワイヤルのテーマです。この曲を聴いている時のふたりの様子を書くのが一番楽しかったです。日常の中に激しく運命の扉が開く瞬間があって、それを感じ取れるのは、やはり、そういう要素を10歳の女の子でも持っているからだと思います。

「ビビデバビデブ」の替え歌
 銀河くんとエリカちゃんが歌う替え歌。

 やめてよして
 さわらないで
 垢がつくから
 あんたなんか嫌いよ
 ビビデバビデブ

 私はこの歌をうちの娘から教えてもらいました。初耳の歌でぎょっとしたのですが、伊藤比呂美さんと津島佑子さんは子どもの頃に歌っていたそうです。1960年代(昭和30年代)には東京の子どもにとってはポピュラーな替え歌のようですが、房総半島にはまだ伝ってきていませんでした。

「キャンデード」
 川島がピンクバナナの定期演奏会でやってみたいと言った曲。

「チェロコンチェルト」(作曲 ドヴォルザーク)
 雪の日に黒髪さんが聞いている曲。

「アイネ・クライネ・ナハトム・ジーク」の替え歌
 ミキちゃんが歌う替え歌。
 ばか
 あほ
 どじ
 まぬけ
 へんたい
 ぶす
 ごりら

 もちろん原曲はモーツアルトです。
 私が小学生時代には日本語の歌詞がついて(その風静かにふけばひとえ咲きの野薔薇)音楽の教科書に載っていました。道端でこれを歌っている小学生の集団を見つけた時は思わず「ヴラボウ!」って叫んじゃいそうな心境になりました。

「マイ・ウェイ」
 花の木中学が定期演奏会で毎年演奏して3年生を送り出す曲

「新世界から」 (作曲 ドヴォルザーク)
 有木と川島の会話の中に出てくる曲。
 
「真夏の夜の夢」の替え歌
 しょうちゃんが歌っている歌。松任谷由美が歌っていた曲の替え歌です。
 髪がない
 あああ、はげて行くわ
 ひろがるおでこ

 これも娘が歌っていた歌です。どうしてこういう歌を覚えてくるのだろう? でも思わず笑っちゃいました。

「ああ、やんなっちゃった。ああ、驚いた」 牧伸二の歌
 ウクレレを買った宇佐子のお父さんが思い出すうた。
 今で言えばギター侍の波田陽区みたいな弾き語りのコメディアンの牧伸二の歌で、最後に必ずこの文句がつきました。
 にきびができた
 どうすりゃいいんだ
 ロゼット洗顔パスタ付けたら
 白くてきれいになっちゃった

 というCMソングがありましたが、そのほかにもいろいろ即興で歌ってました。うる覚えですが、東京都が路面電車(ちんちん電車)の廃止を決定した時には、幼稚園に通う坊やが言いましたという前提で
 ちんちんとられちゃ たいへんだ
 ああ、やんなっちゃった、ああ、驚いた

 とやってました。どことなくのんびりした調子がおかしいコメディアンでした。
 子どもの時に覚えたことってくだらなくても忘れないんですね。

「クラリネットこわしちゃった」
 ミキちゃんと朝岡先生がクラリネットで合奏する曲
 パキャマラード パキャマラート パオパオが「さあ、友よ一緒に前進しよう」という意味だいうのは未確認情報ですが、なんでもちゃんと調べる新潮社の校閲から苦情が来ないところをみるとほんとにそういう意味なのでしょう。

+ 伊藤比呂美さんの「うさトラ」書評はこちらで読めます。

「楽隊のうさぎ」と「うさぎとトランペット」の音楽

2005年02月03日(木)

「コンドルは飛んでゆく」「テネシーワルツ」
 花の木中学の校長先生の鼻歌。前者はサイモンとガーファンクルの曲で70年代に大流行していました。後者はもっと前の曲。江利チエミが歌っていました。

「交響的譚詩 吹奏楽のために」 (作曲 露木正登)
 奥田克久が一年生の時に演奏したコンクールの課題曲。課題曲は年度によって定められているのですが、ノンフィクションではないので、これまでのコンクールで人気のあった曲や印象に残る曲を選んでいます。
 「楽隊のうさぎ」の時は取材に協力してくれた皆さんが、この曲では勝てるとか勝てないとか、どこそこの学校の演奏は神業だったとか、実際にコンクールに出場するのかと思うような侃々諤々の議論になりました。
 ただ演奏するのではなくて「書く」という前提に立つと書きやすい曲とどうもこれは文字にはしにくいなあという曲がありました。

「ハンガリー民謡『くじゃく』による変奏曲」 (作曲 S・コダーイ)
 奥田克久一年生の時のコンクールの自由曲。

「アランフェス」
 ミズ・スーザンとOBの気楽な遊びの演奏に使われた曲。ある年代以上の方にはテレビの「必殺」シリーズのなかで響くやつと言えばすぐにメロディーが浮かぶはず。

「シバの女王 『ベルギス戦いの踊り』 『夜明けのベルギスの踊り』 『狂宴の踊り』」 (作曲 オットリーノ・レスピーギ)
 奥田克久2年生の時のコンクール自由曲。
 原稿を書くためには一度聞いただけではなかなか書けないので、CDを見つけ出してこれを何度も何度も聞いて、音の構成を聞き分けながら書きました。最初は総譜を使うつもりだったのですが、私には総譜は読めないので、CDを使うという方法にしました。
 それにしても指揮者というのはすごいなあと思ったのは、あんなに複雑な楽器の音が総譜に沿っているかどうかを聞き分けてしまうのですから。
 参考のためにCDには「吹奏楽の伝説 千葉市立土気中学校吹奏楽部」を使いました。「くじゃく」も「シバの女王」も同じ土気中学吹奏楽部の演奏が参考になっています。
 「楽隊のうさぎ」にはどこの学校の演奏を参考にしたともか書かなかったのですが、土気中学吹奏楽部のOBのお母さんという方からあれは「土気」の演奏でしょうと言われたのには驚きました。そのときはたまたまコンクールを聞きにいっていたのですが、お母さんのグループに会場で声をかけられたのです。お子さんたちは中学を卒業してしいましたし、もう吹奏楽をやっていない人もいるということでした。でも、吹奏楽がすっかり気に入ってしまったお母さんたちは子どもとは別にコンクールを毎年楽しみにしているというお話でした。
 「シバの女王」を編曲された小長谷宗一さんからも「バンドパワー」の通じてご連絡をいただきました。

「ラ・マルシェ」 (作曲 植村譲司)
 奥田克久2年生の時のコンクール課題曲。
 コンクールの課題曲は毎年、公募で選ばれています。「ラ・マルシェ」を作曲された植村譲司さんからも連絡をいただきました。高校の先生ですが、音楽の先生ではありませんでした。
 「楽隊のうさぎ」では思いもよらぬ方からご連絡を頂戴することが多くてほんとうにびっくりしっぱなしでした。

「交響詩 はげ山の一夜」 (作曲 ムソルグスキー)
 奥田克久がお母さんとけんかをした次の日の朝、頭の中に鳴り響いている曲小倉祇園祭の歌。
 お母さんと福岡のおじさんのところに行ったときに克久が聞いた歌。
 小倉の祇園祭は小説「無法松の一生」で有名になりました。「無法松の一生」には太鼓のみだれ打ちとか暴れ打ちというのが出てくるというイメージがあって、なんとなく勇壮な太鼓を想像していましたが、実際は京都の祇園のおはやしに良く似たチン・トン・シャンというみやびやかなお囃子のお祭りです。正式なお祭りのお囃子とは別に太鼓の競演会があります。競演会ではそれぞれのグループが工夫をこらした演奏をしています。かなり遠くから(例えば横浜とか)の参加者もあるとのことでした。

さよなら「子ども」たち〜「楽隊のうさぎ」を読んで

2005年02月03日(木)

太平洋プロジェクト・寶洋平



 中沢けい「楽隊のうさぎ」を読んでいるあいだずっと、胸のなかになにかあたたかいものがいた。もしやうさぎが棲みついたのか? なんて思っていたのだが、読み終えてしばらくしてわかった。充足感だ。それはいまもまだ、たっぷりと残っている。

 主人公の少年、奥田克久は中学でブラスバンド部に入る。ちょっとドジで、小学生の頃いじめられた経験から何かあると心を閉ざしてしまう癖をもっている。だが、あるとき近所の花の木公園で見かけて以来胸に棲みついたうさぎが、粗野な同級生から嫌がらせを受ける局面で現れるようになり、ピンチを軽やかに切り抜けるための助言をくれる。時にはうさぎに助けられながら、ブラスバンド部の練習、同じ仲間や先生、両親との関わりをとおして強くなっていく克久。そしてブラスバンド部は全国コンクールに出場、本番で楽曲の最初と最後を飾るティンパニの担当をした克久は、演奏を成功に導いていく。――そんな話だ。

 新潮文庫の勝又浩の解説によれば、ブラスバンド部の中高生やその両親を中心に広く読まれているという。うなずける。明晰な文章で隅々まで詳しく描かれていて、登場人物や起こる出来事がリアルだからだ。実際、ネット上にブラスバンド部の中高生や、その両親だとわかる読者からの感想の書きこみが散見される。

 ただ、そのように「ブラスバンド」小説として思う存分堪能できるこの作品は、実はそうした枠からはみ出たところの豊かさを問題にすべき種類の作品であるように思える。冒頭に書いた「充足感」は、この小説の底に流れるある切実で過剰な力がもたらしたものだと私は考えている。作品内に「今じゃなければできない演奏がある」という言葉が出てくるが、この作品こそ中沢けいのそういう種類の仕事だったのではあるまいか、直感的にそう思った。

 過剰な力とは? それを知るために、中沢けいの小説を書くスタイルについて改めて確認しておきたい。中沢けいは知的な作家だと考えられていて、それはもちろん正しい。ただ、ここで知性というのは、外来の新しいものにいち早く反応して整理したりアレンジして取り出してみせることを指すのではなく、自らの身体感覚、つまり実感ベースで捉えた世界を構築していくという意味である。だからむしろ、世界に腰を据えたうえで全身を使って小説を書いている、と考えたほうが理解しやすい。このスタイルは、ただでさえ破綻を抱えながら日々更新し続けていくこの社会を大げさに糾弾したり破壊してみせたりするのではなくその反対で、そうした社会を引き受けたうえで実感に基づいた価値観を提示するベクトルに向かう。中沢けいの作品のなかに流行語とか固有名詞が出てきたり、新奇な素材が扱われることはほとんどないが、読めば必ず「現在」の社会の空気が立ち上がってくるのは、この態度によるものが大きいだろう。

 一つ、例を挙げる。中沢けいはしばしば、母親を「女親」、父親を「男親」と表現してきた。そうすることで、父、母という役割の固定観念を切り崩しながら、「親になった女」「親になった男」からの視点を獲得している。近代社会の最小構成単位とされる「父」と「母」と「子」が、中沢の小説世界にあっては「親になった男」と「親になった女」と「子」として描かれる。実感ベースで捉えた世界を構築していくというのは、そういうことだ。

 このことを確かめたうえで「楽隊のうさぎ」のなかでとりわけ印象的だった場面を見てみる。克久が中学二年の夏休み、母親である百合子が自分の陶器店の買い付けを兼ね、福岡の実家に克久に旅行へ行くことを提案する。が、克久はブラスバンド部の練習があるから行けないのだと答え、言い合いになる。なかなか折れない百合子は子どものようにむくれた顔で横を向いたりして、克久はそんな母親のふるまいをまるで周囲の女の子のようだと感じて困惑する。このときの百合子の女親としての心理を引用。

 それでも、百合子には、この夏を過ぎたら、子どもらしい克久を連れて歩くことはできそうにない予感があった。……中略……春を待っていたら、子どもらしい克久の面影はすっかり消え失せているかもしれない。


 かつては子どもらしい「子」だったはずの克久と一緒にいられる時間に「終わり」が来ようとしている。十四歳といえば、その「終わり」とは何よりもまず身体の成長によって起こるものだろうし、また、ブラスバンドのような自分のフィールドを見出したことによって一個人としての都合が出てくることでもあるだろう。この「終わり」に、誰も抗うことはできない。そして同時にそれは前述した「親になった女」「親になった男」からの視点にも、ある決定的な変化が起こらざるを得ないことを意味している。「楽隊のうさぎ」が基本的には克久の視点から語られながらゆるやかにその母親である百合子に移ってゆくのも、この「終わり」と深い結びつきがある。おそらく、この小説は中沢けいにとって、親の視点から子どもらしい「子」を描き得る最後の作品なのだ。切実で過剰な力。それは「子」の「終わり」を意識した「親になった男」「親になった女」から送られた、「子」に対する過剰なまでに強い愛情であり、メッセージである。「楽隊のうさぎ」を読んでそれをたっぷりと受け取ることができる私たち読者は、ほんとうに幸せだ。

 寶洋平さんの太平洋プロジェクトはこちら。

うさぎとトランペット 「無口な女の子」

2004年12月26日(日)

 『うさぎとトランペット』(新潮社・1890円)

 そうだ、「うさぎとトランペット」の主人公は耳の良い無口な女の子にしようと直感的に考えました。それがいちばんふさわしいような気がしたのです。こういうプランはたいてい急に思いつくので、なぜそう思ったかを説明しようとすると後から無理に説明をくっつけたようになってしまうことが多いのですが、今度の「うさぎとトランペット」は書き進んでゆくうちに、どうして無口な女の子を選んだのか、自分でもだんだん解ってくる感じがしました。

 しかし、その前に大問題がありました。前作の「楽隊のうさぎ」の時は私が音痴だというのが大問題だったのですが、これは小説では音は読者の皆さんに想像していただくわけで、実際に本から音が出るのではないので、一件落着。作者である私はリズム感が悪くて、歩き方がへんで、時々、自分でもあひるみたいだなと思うくらいなので、とても打楽器奏者にはなれません。

 で、今度の大問題というのは私がおしゃべりだということでした。生まれた時から喋っているみたいな子だとしょっちゅう言われました。まあ、生まれた時はさすがに「おぎゃあ」と泣いていたのでしょうけれども、最初に「パンツ」と言ってからずっとしゃべり続けているわけです。「パンツ」の次は「帽子」という言葉を覚えて「帽子、帽子、帽子」と唱えながら縁側を歩いていた話をエッセイに書いたことがあります。で、無口な女の子を主人公にして小説が書けるのかというのが大問題でありました。

 書き出してみるとこれがおもしろほどどんどん書ける。ほんとうにこんなに無口な子を書くのがおもしろい仕事だとは思いませんでした。

 じっといろんな音に耳を澄ます女の子。そういう宇佐子を主人公にしたこの小説は少し変わった小説と思われるかもしれません。ふつう小説は主人公の身の上にいろんな出来事が起こるものです。でもこの「うさぎとトランペット」の宇佐子の身の上にはそういう波乱万丈のドラマは起きません。耳を澄ます女の子の周りでいろんな出来事が起きているのです。

 5年生になった宇佐子は自分がいじめられたのではなく転校生であるミキちゃんを巡ってクラスの中に緊張関係ができてきたのに耐えられなくって熱を出してしまいます。そのミキちゃんは四年生の時にお母さんを亡くして、あんまりクラスの中のことには興味を持っていません。「うさぎとトランペット」の中ではベルディのレクイエムに良く似た「BR」という曲を夏の吹奏楽コンクールで、宇佐子とミキちゃんが聞く場面では、ミキちゃんの心の中を通り過ぎた夜と嵐が8分の自由曲の中に凝縮されている様子を隣りの席の宇佐子が感じ取っている場面を書きました。この場面は私が好きな場面のひとつです。ミキちゃんが体験した「嵐」や「夜」は言葉にするとうそ臭なるような痛烈なものですが、隣りの宇佐子が感じ方を書くことによってそれを描くことができるのです。

 言葉にできないものを言葉で表現するのは、小説をいう表現技法の持っている最大の特徴と言えるでしょう。宇佐子を書いているうちに私はそのことを改めて再認識しました。それに私たちは、いつもいつも何かを自分で体験して感情や考えを作り出しているわけではありません。耳で聞いたり、目でみたりすることで、自分が体験していないことについても、想像力を大きく広げているのです。耳で聞くことにも目で見ることにもドラマがあるということができるでしょう。だから、宇佐子の耳を通してドラマを描くのはたいへんに楽しかったのです。
「楽隊のうさぎ」の読者の方は、宇佐子の家の前に立っていた素焼きのうさぎは、「楽隊のうさぎ」の主人公の奥田克久が、彼を支配しようとしていた同級生の相田と出会う場面でちょっとだけ出てくる素焼きのうさぎだと気付いていただけたかもしれません。奥田克久と相田はまるで、大人になりかけた熊の兄弟が、偶然、秋の山道でであった時のように、テリトリーを犯す敵でありながら、どこか幽かにひとつの巣穴で育った時の懐かしさが残っているという場面でした。あの場面で克久のうさぎは素焼きのうさぎとして固まってしまいます。その素焼きのうさぎは、実は宇佐子のお父さんが娘の誕生を祝って門柱の前に据えたものでした。

 「うさぎとトランペット」では「楽隊のうさぎ」の花之木中学吹奏楽部は顧問のベンちゃんが学校を移動してしまったために、かつての吹奏楽部ではなくっています。実際、そういう現実に突き当たった経験を持っている人も多いでしょう。そして続編を書くにあたって、「楽隊のうさぎ」の冒頭に登場した宗田、川島、有木の3人のうち私は有木をミキちゃんのそばにより沿わせることにしました。花之木中学吹奏楽部でクラリネットパートで部長を勤め、高校生になってからは「本気でやらない部活なんて」といったん入部した吹奏楽部を止めてしまう青年です。宇佐子が高らかなトランペットの響きを寝床の中で聞くのはこの有木の一人での練習の音です。クラリネットパートだった有木がほんとうはトランペットをやりたくて、中学のときから密かにトランペットを吹いていたというのに驚いた読者もいるかもしれません。もともと「楽隊のうさぎ」はそれぞれがすごく孤独で独立しているのに、、共同作業をする吹奏楽に興味を持ったことから書き始めた小説ですが、有木はそういう特徴が出る登場人物でした。そしてそれはどこかミキちゃんが急激に(まさに運命の扉が開くように)経験した「夜」や「嵐」をごくゆるやかに時間をかけて経験している青年というイメージにつながりました。無口な宇佐子はばらばらになってそれぞれの道を歩いている花之木中学吹奏楽部の部員の声や音もよく聞いてくれたと思います。

 「BR」が映画「バトルロワイヤル」のテーマで、その「バトルロワイヤル」に興味を持っていた小学生の女の子が同級生を殺害するという凄惨な事件を起こしたのはまったくの偶然でした。私はこの偶然に驚きました。次のトピックでは「楽隊のうさぎ」と「うさぎとトランペット」、伊藤比呂美さん風に言えば「楽うさ」と「うさトラ」ですが、そこで使った音楽を紹介します。

 挿画・装丁の小林孝亘さんについてはこちら

↑前のページ / ↓次のページ

ページ移動 / [1] [2]
   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ