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タケと「おみみ」
2011年10月01日(土)
タケの顔がかしいでいる。タケの耳(シェパードの耳は立っている)、とくに左耳がアレルギーによる耳だれで、それはもうほんとに幼い頃からタケをなやましてきた。今でこそ耳が遠くなって聞かないですんでいるが、昔は、「おみみ」ということばに「ボール」や「ぼう」や「どうしたの?」よりも反応したものだ(「ごはん」と「さんぽ」にはもちろんかなわない)。「ボール」と「ぼう」はもちろんテニスボールと棒っきれだが、「どうしたの?」はあたしらが心配そうに言う声音とあわせて覚えて、何をしていても、「どうしたの?」というと、すわりこんで足をあげて足のうらに何かささっていたい、みたいなフリをしてみせたものだ。だからこっちも、ときどき「どうしたの?」といって、用もないのにそのポーズをとらせて笑ったものだ。おっと話が長くなった。これだから年寄りは。「おみみ」というと、どこにいても、硬直して逃げたいが逃げちゃいけないというジレンマにもみくちゃになった。というのも、それは耳だれをきれいにするために、酢のにおいのする液を耳の中に入れて、ティッシュと綿棒でぐりぐりとこすられるということを意味しておった。「おみみ」というと、動作をやめて、逃げられない(逃げたい)になるので、トメなどはときどきそれを「やめろ」の意味に不正利用していたものだ。そういうわけで、タケの耳は耳だれだ。ときどきひどくなり、300ドルかけて、医者できれいにしてもらったりもした。ところが数年前、もう5年くらいになるかも。タケの左耳がふくらんだ。医者につれていったら、耳だれがひどくなってタケが耳をふるので空気がたまったということだった。悪性のものではないから、ほっといて大丈夫といわれて、ほっといた。やがて空気はぬけて耳が垂れた。なんでも、ハチ公もそうだったそうだ。それで左耳が垂れている。ああやっと本題に。かしいでいるのは、その垂れ耳のある左側だ。耳だけじゃなく、何をしていても、なんとなくかしいでいる。ニコのボールをうばいたいとき、愚連隊が顔をしゃくりながら相手に近づくように(漫画で見ただけで、本物をみたことはない)顔をかしげてニコに近づいていくが、それとも微妙に違う。タケの意思とは関係なくかしいでいる。不思議である。
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