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フェデラーとナダル
2011年01月29日(土)
テニス好きのつれあいが、全豪オープンにのめっておる。で、あたしなんて興味これっぽっちもないのに、フェデラーが負けたのナダルが負けたの、いちいち聞かされておる。父には、白鵬が負けたの琴奨菊が負けたの、聞かされて、もう少したてば坂本だ松本だ(あ、これはあたしがファン)と聞かされる。ま、世界がひろがっていいとも言える。2〜3日前からなんとなくいじいじしたモードにはまりこんでいる。抜け出せない。仕事が(とくに「一冊の本」のが)うまくいってない。何やってるかわかんなくなった。法華経にたいする熱も、どっちに向けていいのかわかんなくなった。身辺のこと、父のことや死のことは、今、なんだか書きたくない。「漢である」も身辺のことだけど、ぜんぜんちがうところを見ているので気楽に書き出してこねこねできる。やりかけの親鸞が宙ぶらりんで気になる。「日系人の現在」をもっとつきつめたい。ところが、これもまたどこへ行くのかわかってない。たぶん英語と日本語の間に落っこちてしまいたいのだと思う。やりたいけど、コワイからなかなか踏み切らずにいる。この感じ、ひきずるとやばいなと思いながらひきずっているのは数独で数字をみつめているせいだ。twitterでじっさいの読者と接触する。それがものすごく怖ろしいことであると、はじめて認識した。
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