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正法眼蔵随聞記と選択本願念仏集とこんどの「詩人の聲」
2010年11月04日(木)
顔はかゆいわ眠れないわでうじうじしているのは何故かと考えたところ、例のしめきりなのだな。このところずっと正法眼蔵随聞記を読んでいたのだが、わかるかというと、正法眼蔵よりはずっとわかりやすいのだが、よくわかるとはとてもいえないし、座禅というもので何もかもOKにしちゃおうというところに今一つ納得がいかない。またこんど読もうと思って脇に置いて、中断していた選択本願念仏集を読み返しているけど、こっちはもっとずっとわかりやすいけど、なんでも念仏でOKってところがやっぱり納得いかない。とっつきやすいけど、何か鋭利なものをのど元につきつけられて覚悟しろよと言われてるような気がする。で、その覚悟はできてない。しかたがないから夜中に起きていて、「連環記」を手よみしたり、音楽買ったりしていた。11月18日のStar Poet Galleryでやる「詩人の聲」では「ラニーニャ」(むかし書いた「小説」)を読もうと思っていたので、二十年くらい聴いてなくて忘れかけていたショパンをきいとこうと思って英雄と軍隊と雨だれをi-tunesで購入したのである。この夏、M脇さんが日米の高校生たちに、「今どきの人は曲を1曲ずつ買う、ぼくたちはアルバム単位で買ったから売れない曲もしっかり聴けたし、作り手の何を作りたいかを受け取ることもできた」と力説していたのを聞いて、激しく同意したものだが、こうやって1曲ずつ買えるのはやっぱり便利だ。グレングールドはやってないし、アムランもやってない(やってるかもしれないけどi-tunesではなかった)から、とりあえずアシュケナージのにした。こういうおじさんの巨匠のを選んでしまうっていうのがなんか自分を信じられない感じ。ほんとはカノコみたいな未熟な若いやつのまちがいだらけのぐちゃぐちゃな演奏が聴きたいけど、名前しらないし、カノコのショパンは出てないし。サンタアナらしくてものすごく暑い。犬を洗ったらノミがいっぱいいた。
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