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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

Royall Tyler訳

2010年06月28日(月)

 こうして源氏を読んでいるのも7月に宇治でシンポがあるためなのだが、あたし以外の出席者はマジで源氏よみのプロたち。いつもてきとうなあたしが、自分だけが「どしろうと」という状況に心底びびっていて必死に予習しているわけだが、どんなにやったってそれは付け焼き刃でしかないことはわかっている。宿題の多い詩祭でも必死で宿題やってたのに(オランダの詩人ヘルマン・ホルテル)今また宿題、なんかトメの生活とかわらんな。といいつつも、ここではゲットできるものにかぎりがある。寂聴訳とウエイリー訳の日本語訳、それから青空文庫でゲットした晶子訳(でも柏木までしかない)しかないのである。しかたがないからこれだけは手を出したくないと思っていたロイヤル・タイラー訳に手を出しつつあるが、これがまたまたまたまた、そこらの英語とわけがちがって難しいのなんの。どうすんだ、こんなものというくらい難しい。しょうがないから他のと対訳だ。これで読んだ気になってるというのが学生時代からぜんぜんかわんない。この本はむかーし出たばっかりのとき、日本文化を背負った日系人として買わずにおれなくて、つれあいのクリスマスプレゼントにしたのである(当時はまだスコッチでお茶を濁していなかった)。つれあいは読んだが、感想はもちろんはかばかしくなかった。繊細なところのあまり無い男なのだ。熊本に帰れば注文した岩波文庫の原文がひとそろいとどいているので、帰ったら一気読みだーーと思っているが、それまでこのタイラー訳を読まねばならぬ。英語読むのはほんとにつらい。だからこんなの書いてさぼっているワケだ。まったくトメとかわらんな。

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