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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

時差ボケと父と母

2009年04月26日(日)

やっぱり時差ボケなので夜はコテンと寝入れるが、夜中に起き出し、朝まで起きて昼前にまた眠り、午後寝て起きるという感じできのう、きょうと。いつもは何が辛いといって、つれあいにゆり起こされるのがつらい。泥沼からからみつく藻やら何やらをひきずりながらずりずりと引き上げられる感じがして。だから今回はあたしが寝ているときは何があっても絶対に起こすなかれと頼んである。この時期は、起きていても何もやる気がおきない時間帯というのがあり、ほんとうにぼけーーーーとしている。母のことを思わないかというとそうでもない。思い出すのはお棺の中の顔である。昔、父が、棺の中の死に顔を見てしまうと、目に焼きついてしまって生前のいい顔を思い出せなくなるからといって、絶対に見なかった。たぶん彼は、自分の父親も母親もみなかったに違いない。親戚のものもみんなそれを知っていた。ところが今回は、納棺師さんのプロのわざで、棺の中の母が、5、6年若返ったようにいきいきとして、寝たきり老人仕様の短髪もかっこよくまとめられ、化粧も念入りにして、まったく昔の母のままで、今にも立ち上がるか、怒鳴り出すかしそうに見えた。いや、よく怒鳴る母であった。だから父は、最後の最後まですがりついて、顔をぺたぺたと撫でまわしていた。病院にいたときは父が母の顔を撫でたり手を握ったりすると、「おお冷たい」といっていやがっていた(でもいつも手を握り合っていた)ので、「今はむこうの方がつめたい」と、ドライアイスですっかり冷たい母をさわりながら、ジョーク(に聞こえないが父がいうとジョークなのである)をいってたのである。で、父は、毎日、「きょうは病院にもいかないし」とかならずつけくわえる。「だから用がないから一日ゆっくり寝てるよ」と。

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