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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

たまには書かないと

2009年02月08日(日)

トイレにつんである犬夜叉をよむともなく読んでるうちに全巻読みたくなり、うちにあるものはすべて読み尽くした。日本にいくたびに買ってるので最終巻以外ぜんぶある(いくつかは日本においてある)。最初のうちはじつにおもしろかった。犬夜叉もかごめもかわいかった。中学生同士の恋愛はとても新鮮だった。戦国伝奇にタイムスリップがくわわってスリリングだった。往年の名作「めぞん一刻」をほうふつとさせたものだ(成就しない恋愛+妖怪)。ところがっ、いつからだろう。絵がかわった。大きな声じゃいえないが、T橋留美子はとっくにいなくなって、影武者が漫画かいてんじゃないか。と思えるくらい絵が違う。こんど最近の巻を熟読してみたら、ところどころ以前のT橋留美子らしいおかしさに発展しうるせりふが諸処に感じられ‥‥ないでもない。やっぱ生きてるんだと思う。が、いかんせん絵がダメだ。かわいらしさがない。のびやかさがない。表情そのものがない。本人が描いてるのならなんでこんなにちがうのか。アシさんに描かせているのか。零細の詩人としては、そこが、どーしても、わからない。もう‥‥奈落も弥勒も天生牙も、どーでもいいと思いつつも買いつづけ(トメが日本語で読めるもののひとつなので)読みつづけているあたしってなんていい読者だろう。ガラスの仮面や花より男子や日露戦争物語や代紋Take2はとっくに読まなくなってしまって、そのうちに終わったらしい(終わってないのもあるらしい)。漫画というジャンルに裏切られた気がするのである。I上さんはそういう意味でも、漫画家にしとくのは勿体ないくらい信用できた。心おきなくその漫画に心身をゆだねることができた。

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