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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

涼しい

2008年08月27日(水)

きのうは夕方とつぜんA上番頭から、ハーン旧居でハーンの会があるとさそわれて、行ってみた。おもしろかった。「ナシテ・モーネン」という詩を東京で読んできたばかりだった。というかここのところ朗読するというと、「ナシテ・モーネン」で、それは小泉セツさんから声をお借りしていたのだった。そのあと番頭さんと謀議しつつ愚痴をきいてもらった。
ゆうべ、はじめて除湿をかけずに眠れた。季節が変わる瞬間に居合わせるというのはとてもスリリング。(人が恋に落ちる瞬間なんぞどーでもいいんじゃい)
前橋で目の当たりに見たのも、そういうことであった、季節の変化と同じものであったかとメールかきながらつらつら考えた。人にメールかいたり人としゃべったつ愚痴をきいてもらった。
ゆうべ、はじめて除湿をかけずに眠れた。季節が変わる瞬間に居合わせるというのはとてもスリリング。(人が恋に落ちる瞬間なんぞどーでもいいんじゃい)
前橋で目の当たりに見たのも、そういうことであった、季節の変化と同じものであったかとメールかきながらつらつら考えた。人にメールかいたり人としゃべったりしてると、考えがふとつながる。
つまり前橋でやったワークショップで見たのは、低学年のシャイな天真爛漫さ、3〜5年男子の子犬じみた快活さなつっこさ、4、5年女子のやや懐疑的になりつつあるが前向きなひたむきさ、6年女子の没個性を念じてるみたいな後ろ向きさ(それこそが思春期)、そして6年男子のおとなびたりりしさ、そういう変化が子どもに、それぞれ個性は個性として、でもそれより強力に、「季節の変わり目」みたいにあらわれてきたのを見たのだった。そういう子たちが詩を読み、詩をかいた(自作詩ではなく、筆で書写した)。

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