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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

矢尽き刀折れ‥‥

2008年07月03日(木)

まだ仕事は残っているが、もう時間切れ。出発の用意をします。いつもはその晩にはじめて、二三時間しか寝ないで空港へ、という感じで日本カリフォルニアを行ったり来たりしてるが、今回は、子どもら全員連れて行くので(みんなとロンドンで落ち合う)、ゲルはたたまねばならず、羊は集めねばならず、子どもらはみんなまとめて、大きい子には荷物を背負わせ、小さい子は負ぶっていかねばならず、いや、以前は負ぶっていったが、この頃あたしはトシなので、もう負ぶうような小さい子はいないのだった‥‥。ああ、まだMONGOLから、頭が離れていかない。そこで夜、子どもらが友人を連れてきて、みんなで映画見るといってるので、じゃーあたしはまたMONGOL見てくるといって、ひとりで夜のショウにいったのである。何が見たかったのか、よくわかった。そしてこの映画は井上靖の「蒼き狼」とかとはぜんぜんちがって、歴史物ではなく、神話物である、ということがわかった。昔、少女のころ、「蒼き狼」は熟読しつくしていたので、出てくるモンゴル武将は味方も敵もみんな名前を知っていた。だから、歴史との接点もあるにはあるが、しかしどの人も、名前なんかどうだっていいように出てきては消える。「蒼き狼」も最初は神話からはじまった。「そのもの蒼き衣をまといて黄金の野に降りたちぬ‥‥」。おっと神話をまちがえた。「蒼き狼となまじろき牝鹿‥‥」だ。とにかく、モンゴルの神話を映画化する、というのが監督の意図であった。そうしてみると、きてれつなストーリー展開も納得できた。そして浅野忠信はじつに愛らしく笑い、歌い、馬に乗り、愛して愛され、戦っていた(みんな、あたしがやりたいこと)。とくに後ろ姿がえもいわれぬうつくしさ。さー、ゲルの解体、解体。

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