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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

次郎物語

2008年05月08日(木)

きのうは一日、必死で「次郎物語」を読んでしまった。もういっこもういっことやめられなくなって、第五部まで。青空文庫に入ってるのである。青空文庫は、やはりこういう境遇なので愛用させていただいている。ふりがながカッコつきでついてるのがうっとうしく、Wordにうつして、縦書きにして(でないと、読んだ気がしない昔の人間なのさ)カッコつきのふりがなを取ったり、旧かなを新かなに直したり(子どもたちに読ませたいとき‥‥うちのや日本人学校のや)しているうちに、本で読んでるより熟読できる。
「次郎物語」は、子どもの頃、第三部まで、ほんとうにこれでもかというくらい読み耽ったものだ。子どもの頃の愛読書といえば、「ドリトル先生」とか「ロビンソン・クルーソー」とか「家なき子」とかばっかり思い出していたが、そういうのはごく小さいときで、小学校後半から中学校前半は「次郎物語」で明け暮れていたことを今、思い出した。引用されている「葉隠」にもしびれたものだ。
40年たって読んでみても、さして印象は変わらない。一部より、二部や三部のほうが好きなのも以前のとおりである。これが佐賀のはなしであるとはうすうす知っていたが、先日熊大のA上さんと話してたとき、ふと「次郎物語」の話になって、「下村湖人は五高ですよ」とA上さんがいった。縁かもしれない。年譜を読んでみたら、下村湖人の父親が酒屋を熊本市内で開いていたそうだ。縁かもしれない。
その上今回は、上京してからの青年塾の場所が「下赤塚」というとこに設定してあることに気がついた。下赤塚といえば板橋区‥‥縁かもしれない。
次郎の子ども時代の風景、木々や川や空気のにおいと、上京してからの風景とが、ぜんぜんちがうことには、九州がどこか知らずに読んでいた40年前にも、気がついていた。こうして九州に住み着いてみると、よくワカル、その違いが。照葉樹林の濃いい九州と、武蔵野の漠然とした雑木林の平地である。40年前にいたく感動した、堀を干してとったうなぎの蒲焼きは、40年後も、とてもうまそうに読めた。鶏をしめてつくる具だくさんの鶏汁も、つぶれたようかんも、箱いっぱいのかすてらも、とてもうまそうに見えた。

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