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サウナと現代文学
2013年11月19日(火)
夜、何もかも済んで、まだジムがあいてる時間だったので、ちょいと、おふろに入りにいってきた。いや、うちにもおふろならある。しかしジムにはうえっとさうなというのがある。梅雨時の熊本の照葉樹林なんか目じゃないほど、しめってもうもうとしたところにさらに蒸気がしゅーーーっと吹き出してきて一寸先も見えないのだ。そのなかでうずくまって汗をしたたらせているのが好きだ。残念ながらそこは女専用のジムなので、かえって、水着着用でないと、サウナにもジャクージにも入れない。食事のときつれあいが、本の話をしきりにするので、食傷したというかうんざりしたというか。彼はけっこうな本読みで、ニューヨークタイムズなんかで推薦してある本をかたっぱしから買って読んでいる。このごろは電子図書だからかんたんに買えるから、ますます買って読む。好きなのはカルめの現代文学のようだ。そしてあたしに講釈をたれるのである。文学とはなにか。あたしは彼に、けっして、他の絵描きの話をしないし、ほめもしない。むかし荒木経惟さんに言われた、夫の同業者のことはぜったいほめるな、と。それ以来そのことばを忠実にまもっている。しかしうちのつれあいは、そういうことを荒木さんに言われてないんだな、かわいそうに。で、あたしはやすやすとむかついている。嫉妬半分もどかしさ半分。これを嫉妬といいたくないが、嫉妬とよばずになんと呼ぼう。
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