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父と4時
2012年03月01日(木)
そしたら今日は話す気はあるが、ひどい状態。声がかすれ、口のなかがかわききっているような、ねばねばしているような、そんな話し方であり、またこっちの言ったことにきちんと答えてくれないので、とんちんかんだし。おとうさん、きこえてる?と文節区切りで、はっきりと、言うのにも限界がある。「6時ごろ寝ちゃって9時ごろおきてクスリのんでねたら4時ごろ起きちゃった」となんとかききとれた。しかし呂律がまわってないどころじゃない話しぶりである。4時におきてまたクスリのんでるの、ときいたら、「だってそんなときに起きたってしょうがないだろ」と。父の不安は解る。寂しさもわかる。孤独もわかる。想像できる。想像するだに胸がつぷれる。しかしだからといってこの生き方は、なさけない。納得できない。いやあたしが納得するもしないもないな。それが父の生きざまである。それを引き受ける。ところが、なにもかも引き受けていたら身がもたぬ。むかしの人は、こういうものを引き受けてなお身が持ったのか。
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