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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

父と正月

2012年01月03日(火)

今年のお正月は、父と差し向かいでいても、ハレやかな食べ物を食べていても(でも、はぜの甘露煮とたたきごぼうと昆布巻とお多福豆が各100グラムずつに、きんとんとかまぼこと伊達巻きしか入っていないおせちは、まるで去年のグルーポンのおせちのようだった)、父はすっかり遠くのほうへ行っちゃってこっちを振り向いてくれないのでとてもつまらなかった。それでもどこかであたしを頼っているのはよーくわかる。願わくは、それがたんに自分の世話をするものの一人としてではなく、56年間ずっと可愛がってきた娘として向かいあってほしいのだが、どうも今年は、彼自身が生きることでいっぱいいっぱいで、そこまでの余裕がないようだ。お年玉もほしかったけど、くれなかった。食べてる最中も、トイレに行って帰ってきて下痢の話をしたりもする。いろいろ父が喜ぶだろうという企画を(めずらしい食べ物とか映画のDVDとか)しても、自分の興味、というか、自分の世界にないものは受けつけなくなっており、あっさりと却下され、あるいは予定の変更をよぎなくされる。だから何にも自主企画はできないで、彼の単調な、水戸黄門みたいな単調な生活にくくりつけられて逃げられない。ときどきあたしにパシリ的仕事を要求する。それが雑な口調のときは(たまにある、娘としては聞いたことのない口調である)おもわずむかついて、おっとっとと自分をなだめる。何を、余裕のない人間にむかって本気になっておるのかと。父の悪口を友人にこぼち散らすのは、かえってよくないということもわかった。その瞬間は、声に出して吐き出すことでストレスの度合いがさっと下がるが、ここもいやあそこもいやと声に出していってるうちに、父の悪いところばかり見えてくる。しかしそれは父の本質ではなく、本質は老いに裏に隠れているのだ。本質は、あんなに可愛がってくれて、自分よりも大切に思ってくれて、頼りにもしてきたおとうさんだ。だから、父の欠点をあげつらうようなかたちの愚痴はこぼさないことにした。

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