ぴーちゃんと教え子とシッサスとシダ
2008年10月31日(金)
この頃二代目ぴーちゃん(ホオミドリウロコインコ)が、グリーングリーン(セキセイ)のカゴに入り浸っていて、人間を忘れかけておる。手を差し出すと怒ってやたらに噛むばかりで愛想もくそもないのである。さすがのあたしも、めんどくさくなってほうっておいたが、これではよくある気の荒い感じ悪いもてあまし者のインコじゃないかと思い立ち、きのうからせっせと肩にのっけている(そして噛まれる)。ワルシャワで日本人学校の教員していた、むかーーし。現地採用ってかたちであったが、実は先に行っていたNさんを追いかけていった。当時は戒厳令だったから、ビザをとるのもたいへんだった。Y上先生やM菱のO田さんに尽力していただいた。行こうかどうしようか考えているときに、当時親しかったH泉社のM浦さんには、「売り出し中の今そんなとこに行ったら、みんなに忘れられるから絶対行ってはいけない」といわれ、ずっと年上の詩人のY木さんに親が反対しているんだけど行きたいんですよねといったら、「親を殺してでも行った方がいい」といわれて、決意したのを覚えている。なんていうことをなぜ思いだしたかというと、当時の教え子がこのサイトにメールをくれたのである。管理人のNしろBりさんが転送してくれた。ちょっとこれには、かなり、感激した。ろくな教師じゃなかったけど若かった。その子のことは、顔も名前も家族もくっきりと覚えていた。日本人学校には世界のクラシック大全集みたいなのがあって、放課後それをむさぼるように聴いていたものだった。数年後二回目に行ったときは、ワルシャワ大学の日本学科に入り浸って、そこの蔵書の中のだれも読まない古典全集をむさぼるように読んでいた。今は植物にむさぼるように水をやっている。きのうはブドウ科のなにか(たぶんシッサス。葉が裏紫)と見たこともないようなへんなシダの仲間(クラマゴケに近い感じ)‥‥いま、HomeDepotで1鉢3ドルセールやってるのである。
スリップと独居老人とエピデンドラム
2008年10月29日(水)
スリップしてた。こんな日記がつづいたしにゃ、読者が閉口しちまうなあ、園芸サイトじゃないんだし、とやっと気づいたあたしである。 ここんとこの植物三昧はただごとではなかった。まるで『ミドリノオバサン』(筑摩書房)書いてた頃の日々がもどってきたみたい。夫の不在で、思いっきりマーキングしたかったのかも。 うんと掃除して、ものを捨てて、片付けて、夫が帰ってきたときにはぴっかぴかの我が家で、「すごい」と言わせたかった気持ちもあるにはあったが、家の中のぐちゃぐちゃは手つかずで、植物の整理整頓と植え替えばかり出来てしまった。数も増えたし。 きのうはついでにエピデンドラムの高芽取り(茎の上に高芽が出るので、それを集めて小鉢に植え込んでやると、そこからまた伸びていく)もしたが、もうこれ以上、何もしないと決意した。父の禁煙のようである。86歳になった父は今、禁煙中。 父(独居老人)と母方の伯母(やはり独居老人)は同い年、一月ちがいの誕生日、こないだ伯母の誕生日に電話して、いくつになったの? ときくと、伯母は「87よ、いやあねえ」といっていた。で、父に、いくつになったの?ときいたら「もう85だよ、おれは」といっていた。おかしいじゃないか、計算が合わないじゃないかと思い、計算してみると、実は二人とも86である。この年になると、年取ったという事実だけでじゅうぶんなのだな、ということを知った。そのあと伯母に電話して、87じゃなくて86じゃない?といっても「そお?」ととぼけているし、父に、86だよ?といっても「そうかい?」ととぼけていて取り合ってくれない。
サンセベリアとザミオクルカス
2008年10月28日(火)
小学4、5年生の子どもくらいに育った(身長の話をしている)大ザミオクルカス(ここの左に写真があるでしょ? 手前にちらりと見えているのがこのザミオクルカス。向こう側はこないだ動かした大モンステラ)、このごろ葉っぱがばかに汚れているので、外に出してシャワーしてやった。このあいだのシャワー日に、これだけは出してやらなかったのである。そしたら殻状のカイガラムシ発見。あわててアルコールで除去し、洗浄し、ついでに背の高い鉢がほしかった入り口ワキに移動させた。 サンセベリア、2鉢を外に出してシャワーしようとしたら、ひと鉢は、以前ニコがあんまりほじくるので土の上にニコよけの石をしきつめておいたのだが、それがかたまって、息ができにくくなってる感じ。で、石をぜんぶ取りだして、風とおしをよくしてやった。もう一個の鉢は、ぎゅうぎゅうづめになってきたので、植え替え。あいた鉢(白い陶器鉢である)にはちょうど行き場所のなかったディフェンバキアを入れた。 ザミオクルカスをそのまま外においておくか、植え替えたほうのサンセベリアと交替させて、ザミオは中に入れるか、ずっと考えている。
ザミオクルカスとヤブソテツ
2008年10月27日(月)
ゆうべ、つれあいが帰国してたいへん忙しい。きょうはつれあいが台所の改装したいから、イケアにいこうというので、連れて行き、あまり良くない植物のセレクションの中から、ザミオクルカスの小鉢とヤブソテツの小鉢、テラコッタの大鉢(これは安かった)を買った。ザミオクルカスの鉢は、茎のほかに葉を何枚も土に挿してあった。それで考えたのが、水漬けにしたら根が出てきたやつを鉢に植え込んだがそのまま育たなくなってしまったザミオクルカス。伸びもせず、腐りもせずに、だまって鉢の中でゆゆらゆらしていたが、あれもこうすればいいかもと思って、さっそく掘り出して、植え替えた。掘り出してみたら、なんと土の中に大きくふとった芋のような根ができていた。これは折れちゃった茎を水漬けにしておいて根を出させたので、こんな大きな芋根は、土に植えてから出たのである。上の方の葉を切り取り、茎そのものは短くして、もう一回植え直した。葉は挿した。
カラテアとスパシフィラムとアンスリウム
2008年10月26日(日)
調子のよかったカラテアにカイガラムシ発見し、たちまち洗浄、なんとか食いとめたい考えであるが、まんがいち、広がった場合にも、入り口外の半日陰園芸場に出せばいい。そこはけっして墓場でも病院でもないので、気が楽である。どうして風に吹かれるとカイガラムシはいなくなるのであろうか。 調子の悪かったスパシフィラムとアンスリウムを抜いて、よく洗い、水漬けにした。このアンスは、カノコが高校生のとき、何を思ったかふと買ってきたのである。あたしだって花くらい買うわよ、みたいな勢いで。それにしちゃ、アンスはへんてこな花だ、高校生少女が選ぶには。あれから7年。長く保った。よく咲いた。 きょう、夫帰る。だから掃除している。こうしてせっぱつまった掃除しないでも、いつ夫が帰ってきてもいい状態で暮らしたいものだとしみじみ思った。
ナツメヤシ用の鉢とシクラメン
2008年10月25日(土)
きのう買ったナツメヤシに合う鉢がどうしてもない。ほんとはあるが、それは室内用に使える良い鉢なので、外に置くナツメヤシには使いたくない。外にはやはりメキシコ産の焼きの甘い鉢を置きたい。それはテラコッタで、ぶ厚く、軽めで、とても安いが、すぐぼろぼろになるといってつれあいなどはとてもいやがる。しかしあたしは、外に置く鉢はそうやってぼろぼろになってもらいたい。ぼろぼろはぼろぼろで味があり、植物の生長とともに変化していく。変化しないしっかりした鉢など、生あるものとの伴走に役立たないではないか。と思ってまたHomeDepotへいき、大鉢2個と土の大袋と小さなてのひらサイズの赤シクラメンを窓際用に3鉢買ってきた。 ここまで書いたらEリンがグチこぼしにきたので聞いていたのであった。「女の絶望」を地でいってるあたしの生活である。 つづける。それでナツメヤシを植え替え、ベンジャミンを植え替え、汚れた鉢をぜんぶ洗った。だいぶ家の中も家の外も植物で立て混んできた。しかもみんないきいきしてきた。その上ここ数日の大整理で、大きな良い室内用鉢が二つもあいた。そこにぴったり入るものがないので、室内用植物(サトイモ科かシダの仲間かクズウコン科が欲しい)の中サイズを買ってこねばならない。もぐらたたきのような生活でもある。
ナツメヤシ、その他
2008年10月24日(金)
サンタアナなので、やけになって、買い物のついでにHomeDepotにいき、買ってしまったものがナツメヤシの幼木。それからスバシフィラムとディフェンバキアとフィロデンドロンの何か(たぶんオキシカルジウム)と、それからアワみたいなの。これは感謝祭シーズンの飾り物。それからいつもの赤と緑のベゴニアのつり鉢。アワみたいなのは、トウモロコシみたいな葉と茎に紫色の大きい穂を直立させている。問題はナツメヤシだ。だいすきな植物サイト「米村花き」にも載ってない(紫アワも載っていない)。「湾岸戦争のとき、中東からデイツ(ナツメヤシの実)を輸入できなくなったんだって、それで困ってカリフォルニアのデイツを使うようになったんだって」ときのうオタフクのお好み焼きソースをお好み焼きにかけながらトメに話していたものだ。モンステラが室内にいないとほんとうにクリーンになった。何もかもが、カイガラムシがつかずに育っていく。 ところで、紫アワは、Ornamental Millet(飾りアワ)で調べたらみつかった。Pennisetum glaucum 別名を Purple Baronというのであった。「熊本文学隊」のHPからこのページにリンクできるのだが、そこでは文学隊の有能番頭A上さんが、いつも苦労して本の画像を入れてくれる。すごいリサーチ能力である(本職は大学の研究者なのだからとうぜん、こうしてあたしごときが言うのもおこがましいが)。その助けになればと思って調べておいたのだ。見てる? A上さん?
サンタアナ
2008年10月23日(木)
外に出たら熱気でもわっ。散歩にいってもこういう日はつまらない。きのう大モンステラをとうとう一人で動かした。台所入り口のワキのところに、大モンステラ、小モンステラ、サンセベリア、シェフレラ、キフゲットウ、クロトン、ベンジャミン、フイリベンジャミン、チランジアキアニアとならべたてたのである。そこは日陰と半日陰。外だからカイガラムシも吹き飛ばされる。なぜ今まで気がつかなかったろう。
河原荒草
2008年10月22日(水)
今朝、霧が深かった。そのうち晴れた。晴れて隣の荒れ地に散歩にいったら、枯れて乾いた草木がどれも湿っていた。乾いてると思った犬のうんこを踏んだら乾いてなかった。ひどい目にあった。踏まなきゃよかった。見苦しいので砂をかけて潰して隠しておこうと思ったのである。もちろんタケのであるはずがない。芝生の上のはよその犬のでも取ってるが、荒れ地のは取ってゴミ箱に棄てたほうが環境に悪いと信じている。ずっと前に、ここの芝生のところにあるベンチの上にねそべったホームレスの男がオナニーして射精するのを見たことがある。ということを思い出した。
うつもどきとゼラニウム
2008年10月19日(日)
これを読んだ友人たちから「あんたのうつもどきはどうした」だの「プチうつはなおったか」だの、さんざんからかわれている。もう一鉢のゼラニウムも切り戻してみたら、だいぶ虫にやられていた。東京にいた頃、母が夜な夜な庭に出て、ハシでヨトウムシを採集していた(そして殺した)のを見ていた。あれに似ている。とても似ている。つぼみの中までぜんぶ食われている。茎もいきおいがなくなって50女の皮膚のようだ。
絶対うつ
2008年10月18日(土)
この頃うつなので死にたくてしょうがない。といったらH田があんたみたいなうつがあるかという。たまにはどこかに、いつも楽しそうにしていて人づきあいはよく、寝起きもよく、よく寝られて、よく食べ、見聞きしそして忘れず、ほめられもせず苦にもされず、いつもしずかにわらつてゐるようなそんなうつがあってもいいじゃないかというと、そういうのはうつとはいわないという。そういえばここのところ、Nちゃんから音沙汰がないがどうしたかなあ。うつかもしれない。M子はHTMLとかSATとかHRTとかいうのをやってるそうだ。これもうつかもしれない。あたしのはうつじゃないかもしれない。寝不足でマジ頭に力が入らない。これもうつのせいかもしれない。
子どもが二人
2008年10月17日(金)
トメが親友Lセットを連れてかえってきて、そのまま、ずっといる。この子は2歳のときからずっとトメと遊んでうちに入り浸っているので、日本語はしゃべれないが、「たけちゃん」とかじょうずにいえるし、ハシはうちで食べてるうちに使えるようになったし、「だるまさんころんだ」もできるし、「アルプス一万尺」も日本語で歌いながら手遊びができる。この子にはタケも吠えないし、あたしも英語で冗談をいえる。あたしって人間がけっこうファニーというのを知ってるのは、この国ではこの子くらいなもんだ。しばらく見なかった。そしたら足がながーーーくなっていた。この年の子どもはちょっと見ないと、手足の長さが変わっている。まだ育つ。
500ギガ
2008年10月16日(木)
大家さん。うちのそばの火事は鎮火したようです。 コンピュータの壊れる時期らしく、あたしのは息も絶え絶えに調子わるく、S子のは一度死んですでに修理済み、きょうジーニアスバーに持って行ったのはトメのである。ハードディスクを入れ替えてまったくの新しいコンピュータとして蘇生したのであった(子どもの使いかたはじつに荒っぽいので、外側は一年物とは思えないくらいぼこぼこ)。ついでに大きな外付けハードディスクを自分用に買ってきた。500ギガ。そんなにいらないかもと言われつつ、今の仕事マシーンは、つれあいからゆずりうけたものなので、型は古くとも、おっそろしくたくさんメモリが入っているはず。Atok12に仕込んだあたし語を保護したいし、あたし仕様に書き換えたi-tunesのそれぞれの曲のタイトルも保護したい。500ギガってどのくらいなのかわからない。氷河の歴史、みたいな感じである。何を覚えられて、何を考えられるのか。何も忘れられなくなるのかも。贖罪に時間がかかるだろう。
火事、親父
2008年10月14日(火)
夫の留守なので、これさいわいといろんなことをしている。車の修理や掃除機の修理、コンピュータの修理等。というのも夫は、車にしてもコンピュータにしても、自分で直す、直せるといってきかないので、その意思を無視して修理に出すのはたいへんむずかしいのである。直せるとしても直しゃしないので(時間がない、めんどくさい、昔はできたが今はできない等)すべてそのまま、長い間、「タイヤが平らになりつつある」のしるしが出た車にどきどきして乗っていたし、掃除機はものすごく調子が悪かった。晴れて修理に出した(掃除機は買いかえた)と思ったら、近所で火事だ。キャンプ・ペンデルトンといえばかなり近い。夕方、北に向かうフリーウエイからすさまじい煙が見えた。まきあがり、たちのぼり、海に流れた。雨雲が遠くで雨を降らしているようにも見えたが、現実はもっと破壊的なのである。今日の午後、2時半にはじまったそうだ。
大家さん生きてましたね
2008年10月14日(火)
よかったです。H田に、大家さん無事でよかったねといわれ(メールで)見に来たら生きててほんとによかったです。更年期ってね、すこーし走るのをやめてゆっくり歩かないとだめですよ。てなことを先輩づらしていってますが。このごろあたしもひしひしと感じてます(でも走っちゃう)。どうぞお大切に。
大家さんとアメリカツユクサ
2008年10月13日(月)
このごろ大家さんの日記の更新がない。ソウルに行ったのは知っているが、もう、いくらなんでも帰ってきているだろう。たしかT島さんもいっしょのはずだ。同じくらいにミシガンに出かけたあたしはこれこのとーり帰ってきてるし、H田やS匠やT宗匠も大挙してモンゴルへ出かけたが、それも帰ってきた。馬には乗らなかったそうだ。大家さん、行ったきりだろうか。大家といえば親もどうぜんなので、陰ながら心配している。 ずっと前に取ってきて根だけ植え込んだアメリカツユクサが定着したようだ。少し葉が増えてきた。窓際に水漬けにしてある葉のほうは、もうわけがわからないくらい根が伸びきっている。そろそろ植え付けてやらねばならない。きのう種をとっておいたカリフォルニアポピーとJフリーんちで採集したクレオメと、もうひとつなんだったか、ミシガン原産の種をまいた。ほんとは苗床をつくってきちんと育ててやればいいんだろうが、めんどくさいのでする気になれない。この時期に植えていいいものなのかどうかも、てきとう。カリフォルニアだし。育つものは育つし育たないものは育たない。 イモ虫にやられまくって株そのものもぜんぜん育たないゼラニウム。とうとう見切りをつけて、二つある鉢のうち、とくにひどくてぼろぼろになってる方を切って棄てた。ゼラニウムがうまくいったためしがない。もうこれでゼラニウムは育てないことにした。匂いゼラニウムのほうは、そこまで虫がつかない。逝くものとわかっていても、アトスやPathyには、なにがしかの執着とかなしみを覚えるのに、ゼラニウムにはあまり感じない。これは植物の生きる死ぬるは、われわれ動物の生きる死ぬるとちがうからである。おっとPathyは機械であった。 アトスのお花を買いに行ったときに(この時期はキクしかいいのがなかった)ヘゴとオリヅルランのフイリじゃないのとトラデスカンチャ・ゼブリナと吊り鉢のマランタをついでに買って帰った。植物を買い込むのはひさしぶり。ずっと前に、すぐだめになるだろうと思いながら買った真悟、「わたしは真悟」は傑作であったことよ、シンゴニウムはまだ元気である。アグラオネマも元気である。その理由は、カイガラムシの巣窟であったモンステラを外に出したからだ。
二週間の休暇
2008年10月12日(日)
つれあいがロンドンに行っちっち、心おきなく二週間ぶっちぎりじゃ。空港の帰りにさっそく日本食屋に立ち寄って、さしみ各種とあじ(塩焼き用)と玄米と日本なすと日本きゅうりと、「Sage」の日本ケーキ買ってきた。それから日本ビデオ屋で、「ゆれる」と「SP」借りてきた。
秋の暮れ
2008年10月11日(土)
なんだかこの頃落ちていて、毎日が、だらあっでれえーとしている。と同い年の友人Bバリーにいったら、「みーつー、ざっつ、更年期のせい」と力をこめてうなずいたのであった。そういえば友人M子もいつも落ちていて、更年期のせいにしてるのであった。友人H田も、友人Nちゃんも、いつも落ちていて、以下省略。 Bバリーと二人で、喫茶店で、甘い上にもくそ甘いアメリカのケーキを食べていた。「わたしはかまいません、これから先、わたしたちが戻れるわけはない、娘たちのような体型に、わたしも昔はああだった、でも今はこのようなものだって気にせずに食べてやる」とBバリーは、潔く言い、お茶の上にこんもりとのっかった生クリームを、数十年間の恨みをはらすように、ばくりと食べた。秋の暮れであった。
Pathfinderも
2008年10月10日(金)
Pathfinderはトメがうまれる直前にかった車で、日本でいえば「テラノ」である。最初のロングドライブは、トメを産みに病院へ夜中に走ったときだ。大きくて四角くてパワフルで飾りがなんにもなくて車高が高くて、あたしはあんまり好きじゃなかった。これでカリフォルニアの免許試験を受けて、落ちた。落ちるわけないだろーとみんなに言われた。Pathfinderが乗りにくかったせいだと思った。長い間うちの第一車だった。グランドキャニオンにもいったし、モニュメントバレーにもいったし、ザイオンにもいったし、セコイアにも、メキシコにもいった。ベイエリアで、カノコが、あたしの小型車(日本でいうとサニーかなんか)を大破させたあと(でもカノコはぴんぴんしていた)あたしがこっちでRAV4をかって、娘たちがPathy(という愛称がそのときついた)をベイエリアに持って行った。S子ととともに帰ってくるまで、何十回、ベイエリアとサンディエゴを往復したことか。こんないい車はないと夫はいってたのに、RAV4をかったらすっかりそれに溺れ、Pathyは見捨てられた。数年してMINIをかったら、夫はたちまちそれに溺れ、RAV4を見捨て、S子がRAV4をのりまわすようになった。ガタはとうにきてたけど、たんねんに直していた。年取った車を棄てるという考えに、だれもが、年取った人間を棄てる(つまり夫)ことを連想して、棄てようと、考えてこなかった。それがとうとう、修復は可能だが、お金がかかりすぎるガタが来て、きょう、どこかのチャリティー協会が来て、持って行くことになった。昨日洗ってやった。最後の日々は、あたしが犬たちといっしょに乗ってたのである。
緒形拳も
2008年10月08日(水)
日本の役者でだれが好きと聞かれたら、今でこそ岡田准一とか浅野忠信とかいってるけど、長い間「緒形拳」だった。「太閤記」はあたしが10歳のとき。それから弁慶に梅安に。高校に入ったら、高校の先輩だったことがわかって、ますます憧れた。SイッチのA井さんの、緒形拳にあいにいった話は圧巻だった。連続殺人の榎津も、梅安も、三島も、緒形拳の顔と体が、とろーっとした色気のあるいい男に具現していた。まじで無常である。
アトスが死んだ
2008年10月07日(火)
タケの弟犬のアトスが死んだ。10歳である。心臓のまわりに腫瘍ができて、癌ではなかったが、心臓を圧迫し、いずれ呼吸が出来なくなると診断されたための安楽死。アメリカの獣医は決断が早い。一般の日本人よりはかなり情に流されず冷静きわまりなく冷酷とさえ思われているあたしでさえ早すぎると思うほど早い。なんだか親戚の死にあったような心持ち。いつだったかスーパーの駐車場で、車に向かって歩いていたら「わん」と呼びかけられた。あたりを見回したら見覚えのあるDリン(飼い主)の車があった。中をのぞくとアトスがいて、むさくるしい顔をにこにこさせてしっぽをふっていたのである。体は姉のタケより大きくてたくましいのに、タケにいつもいじめられていた。うちに来ると、よろこんで飛びはねながら車から降りてくるくせに、タケがこわくて、中になかなか入れないのだった。タケのいないところでは、あたしらの膝に、小さい木ぎれをぽんとおいて、投げてくれと要求した。投げてやると、また持ってきて、そこで、投げてやるまで、大きな図体で、大きな顔で、ずっと口をあけて、木ぎれをみつめているのだった。バカだバカだとみんなで笑った。愛くるしかった。
Jフリーと朗読
2008年10月05日(日)
WM大学で朗読をした。Jフリーが通訳しながら翻訳したものを読んでくれた。一行ずつ、日本語、英語と読んだりもした。どんなあたしの動きにも発言にもぴたとついてきてくれるJフリーのサポートで、とてもおもしろかった。このごろまた朗読楽しい期に入ったみたい。仕事が終わったので今日はJフリーの友人のDビッドと三人でミシガン湖を見にいった。向こう岸がみえなかった。太平洋に比べると、殺菌されたような静けさであった。
寒い
2008年10月03日(金)
寒くてうらやまの候補のディベートをJフリーと見た。うちで土地の古老たちと見ているときと同じ反応である。民主党の国に住んでるようなものである。アメリカのどこかには共和党の人がいて、ペイリン見て、かわいい、よくやった、と思い、バイデン見て、賢すぎる、とか思ったにちがいないんだが。WM大学ではJフリーの通訳でさんざんしゃべり、Jフリーの同僚の日本人教師のRかさんと話し込んだ。
ミシガン
2008年10月02日(木)
ミシガン州に来ている。寒い。Jフリーの家の二階に巣くっている。Jフリーは暖房を入れてくれた。カリフォルニアからわざわざあんか持参で来たのである。アメリカンエアラインに久しぶりに乗ったら、預ける手荷物一個につき15ドルとられるのには驚いた。二個目はもっと高い。三個めからは100ドル。
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