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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

ミシガン

2014年09月30日(火)

ミシガンに行って朗読しまくって帰ってきた。Jとのユニット、というか、翻訳者と実作者が、英語と日本語で交互に読んでるだけなんだけど、ちょーおもしろい。一人でやるのとは違う力が沸き起こる。帰ってきたらノミ禍はおさまっているようだが、ニコをひっくり返してみると、いちいちノミが取れる。

EU大会

2014年09月24日(水)

長逗留しているドイツ人は、とっても感じがよくて、何でも(肉以外)食べてくれて、楽なのだが、よくしゃべる。もともと仕事の関係でつれあいとしゃべりに来たらしいが、じつによくしゃべる。それであたしたちだけでは相手しきれず、というか、まあ遠来の客がおもしろいので、いろんな人をかわるがわる呼んで、ディナーやっている。きのうはさらによくしゃべる近所のフランス人が帰ってきた(夏の間いなかった)ので、もうひとり合気道のセンセイ(イギリス人・女)を呼んで、EU大会であった。よくしゃべる独仏に比べると、うちの英がおとなしく見えるからふしぎなものだ。ところが、こうしてよくしゃべる男が(全員老人)あつまると、なんだかそこに男文化がカモシ出される。センセイは、道場で、泣く子も黙る怖さで男の弟子どもを投げ飛ばしているのだが、男老人EU知識人のディナーのなかでは、否応なしに女の文化を持っている。いや、話にはちゃんと加われるし、女々した話題をえらぶわけでもないが。あそこまで飽くなき議論を追求したがらないというか。そしてそれはあたしも同じことだ。センセイは先に帰ったが、そのあとフランス人がなかなか帰らず、また三人ですわってしゃべりはじめたので、いつもはやらない食後酒の提供をしたくらいであった。みんなグラッパを飲んでいた。
ドイツ人は前に話したようにベジタリアン(魚OK)だから、毎日必死で魚料理。魚メニュー出し尽くした。きのうはさしみと蟹玉。EUの人々が、ひらたいディナー皿によそった蟹玉を必死で箸で食べていた。あたしだけ食べにくいのでナイフとフォークを使い、それぞれの前にナイフとフォークを出してあるのに、だれも使わないのであった。

ご案内「「読み解き『般若心経』」を読み解く」朗読公演

2014年09月21日(日)

森嶋也砂子さんが「読み解き『般若心経』」からつくってくれた脚本、あたしも出ます。


「読み解き『般若心経』」を読み解く
  「猫会議、師走の京都で伊藤比呂美に会ふこと」

[日 時] 2014年12月6日(土)18:00〜
      ※会場は開演の30分前です
[出 演] 伊藤比呂美と10人の役者たち
[料 金] 一般前売 3,000円/当日 3,500円/小中学生 1,800円
[会 場] 京都府立文化芸術会館〈ホール〉
       (京都市上京区河原町通広小路下る東桜町1)


[ご予約・お問合せ]TEL:090-1139-2963(飛鳥井)/mail:p.actmail0841@gmail.com
            P-actホームページ
             http://www.ac.auone-net.jp/~p-act/
              「NEWS!」より、〈CoRichチケット予約〉を利用して、お申込みいただくこともできます。

ご案内「日本ノ霊異ナ話」朗読公演

2014年09月21日(日)

「日本ノ霊異(フシギ)ナ話」
〜シリーズ 日本の美味しいことばたち その壱〜

[日 時] 2014年9月28日(日)14:00〜完売/17:00〜
          9月29日(月)19:00〜残席わずか
      ※会場は開演の30分前です
[出 演] 中田達幸・千種みねこ・飛鳥井かゞり [篠 笛] 辻あつこ
[料 金] 1,500円
[会 場] P-act  (京都市上京区河原町通今出川下ル梶井町448 清和テナントハウス2F)
      ※「河原町今出川」交差点より、信号ひとつぶん南へ下ル、
         東南角より2軒目の、清和テナントハウスの2Fです)

「日本霊異記」からうまれた伊藤比呂美作「日本ノ霊異(フシギ)ナ話」が、『目ではなく声で読む/意味ではなく音で聞く』朗読作品となって立ち上がります。本年12月6日、京都府立文化芸術会館で上演する朗読公演、「猫会議、師走の京都で伊藤比呂美に会ふこと―「読み解き『般若心経』」を読み解く―」の、プレ公演でもあります。
ご予約の方優先で、各回限定30名。満席でご入場をお断りする場合がございます。なるべくご予約くださいませ。

[ご予約・お問合せ]TEL:090-1139-2963(飛鳥井)/mail:p.actmail0841@gmail.com
            P-actホームページ
             http://www.ac.auone-net.jp/~p-act/
              「NEWS!」より、〈CoRichチケット予約〉を利用して、お申込みいただくこともできます。

離合

2014年09月18日(木)

「こうしたトラブルは2011〜13年、メーカーから国交省に計111件報告された。細い下り坂で対向車をやり過ごすためRレンジに入れていったん後退し、その後Rレンジのまま前進したら、ブレーキが利かなくなった…」というのは「asahi.com」からの引用。この「やり過ごすため」というところを注目してほしい。ここは熊本県人、熊本関係者が、会話してると、ないしは書いていても、「離合するため」となる。というか、「離合」は、教習所でも習ったし、みんな使ってるし、自分も日常的に使ってることばなので、標準語で使わないということを今まで忘れていたのである。

ニコ歯医者

2014年09月17日(水)

ニコが朝から歯医者である。ニコだ。あたしじゃなく。なんとかがなんとかで今月割引になるから歯磨きどうですかと勧誘されて予約しておいたのが今日。朝、連れて行った。夕方受け取りに行く。それで、今、仕事部屋で、伸びをしても、だれもさっと動かない。水を飲もうとしても、だれも動かない。後ろからたえまなくあたしを注視している「さんぽさんぽあそべあそべ」の視線がないということが、こんなに楽で、しかもこんなに空虚なものだとは!

暑い

2014年09月16日(火)

ものすごくものすごく暑い。むし暑いし、暑いし、ギラギラしている。サンタアナではない。で、雨はない。乾いている。毎日青空で、毎日ものすごい日没が見られる。たえかねて、数日前についに扇風機を出した。数年前の夏にこういう気候になったとき、爆発して(頭が)3台も買い込んだやつだ。こないだの東京を思えば、こんなものーー(清水マリの声をお借りしました)と思うけれども、ここ東京じゃないし、もう9月半ばすぎてるし、熊本では「随兵寒合」(ずいびょうがんやい)といって、「暑さ寒さも彼岸まで」と同じ意味のことわざがあるが、その随兵行列、昔はいつも9月15日だったが、この頃地球温暖化のせいで日にちがずれる。今年は21日だそうだ。だからまだ暑いのか・・・(ってココはカリフォルニア)。とにかく夏の日本から引き続きだから、まあこんなもんかと思ってるけど、異常事態なんである。ジーンズはく気になれない。ブラする気にもなれない。めったにシャワー浴びないのを得意としていたあたしが、毎日浴びないと気持ち悪くてたまらない。しかしこの気候で、シャワーを毎日は反エコである。それで、水がつめたいうちに浴びはじめて熱くなったらもう終わりという簡便シャワーを考案した(もちろんたまにちゃんと頭も体も洗います)。台所で使った水はおけにためておいて、庭にやっておる。お上からは水に関する制限を列記したお触れがとどいた。洗車もやめたので、うちの車はものすごく汚い。そうめんしか食べたくない。そのそうめんを切らしている。日本食屋にいかないとだめなのだ。天気予報を見ると、31度とか33度とかで、マイルドな暑さに聞こえるが、ウソなのである。しかし、ノミは制圧したようだ。勝利宣言したいが、慎重に様子を見ている。まだ、毎日、ニコから数匹ずつノミが取れる。

『鋼』考

2014年09月15日(月)

『鋼の錬金術師』をとうとう足りなかった巻までぜんぶ買い尽くし、読みつくした。今まで読んでなかったのが口惜しい。そもそも少年漫画、弱い分野なのだ。戦いばっかりで女観はばかばかしくて。それがこないだトメに勧められ、トメにBookOffであるだけ調達してこさせ、読み始めたらのめりこみ、残りをネットで買い集めた。読み進めるにつれ、どんどんすごくなった。まず、戦場の描写がただごとではない。まるで経験したような、リアルな、こまかいところまで。『凍りの掌』や『紫電改のタカ』を思い出したくらいである。と思っていたら、単行本の袖のところに、描くにあたって第二次世界大戦の戦争体験者に話をきいたと書いてあった。それから、生き死にの描写が、ただごとではない。これは同じ作者の『銀の匙』や『百姓貴族』でじゅうぶん伝わっていたが、こんな早くから展開していたとは。しかもところどころに挿入される日常的な風景、とくに人と動物の生き様に生活感あり、異様に力強く迫ってくる。リゼンブールの羊祭りの風景や興奮した馬の様子など、その生活感から生き死にを導き出す方法には『アニマの鳥』を思い出したくらいである。そして、これはトメの勧めるひとつの理由でもあったが、女の描き方がハンパなくイイ。ヒロインのウィンリィこそ、待ってるだけで物足りないが「まあ、少年漫画だから」(とトメが言ってた)しかたないんだろう。しかし、ホークアイもイズミもアームストロングもすごい造形、とくに17巻のアームストロング少将がレイブン中将に手を撫でられて「ぶった斬ってしまいたい!!!」と呪うところは圧巻だった。イズミの商売は「肉屋」であるが、このことばについては、チェックされて書き直すことをすすめられた経験がある。「精肉業」ならOKだと言われた。今はそんなことはないのか。この頃はそんなことはなくなったのだろうか(この漫画は2001〜2010)、そして登場人物は心にも身体にも障害を持つ人間ばかりであり、『ベルセルク』もこんな設定だけどもっとリアル。ある意味『リアル』のリアルさにすごく近い。

ケンカと客

2014年09月13日(土)

きょうから長逗留の客がいる。ドイツ人のコンピュータ関係者で、去年の今頃もやってきて長逗留した。知的でおもしろい人なのだが、ベジタリアンのところは少々めんどくさい。しかしつれあいはそっちにかかりきりになるので、つれあい的なめんどくささはだいぶ減ってありがたい方が大きい。ゆうべ熾烈なケンカをした。あたしは普段ひきずらない。まったくひきずらない。3分後にも怒りをおさめ、自分にも非はあったと反省し、普通の顔に戻って会話をつづける。いや、正確に言えば、つづけられるのだが、彼はひきずる。えんえんとひきずりまくる。それで昔は1週間も、今だって(年取って多少おだやかになった)1日2日はろくに口もきけなくなる。そこが、すごーーくいやだ。ひきずるということは怒りを保持するということだ、そこには自分は正しい、相手が悪い、という心ひとつしかないような気がする。ないしは自分がそうやって怒りをひきずって見せることで、相手を動かそうという劇場型か。いずれにしても、どうやればそういう行動がとれるのかが、そもそもあたしにはわからない。若かった頃(といってもたった20年くらい前)はこの性格が不思議でかつ不愉快でたまらなかった…。と昔話はこのくらいにして、しかし今回、その、ひきずらないはずのあたしがひきずって、今日の夕食になるまで口をきくのも向かい合うのもいやだった。しかし客が来たおかげで、そうもいっていられなくなった。今日はロブスターマッシュルームというものを買い求めたので(秋だ…)リングイネでクリームソースのパスタだった。ベジタリアン。

夜半

2014年09月11日(木)

今、どこかで、スカンクが一匹死んだ。

日没

2014年09月11日(木)

スーパー月の日に、残念ながら月は見逃したが、日没の頃ニコを連れて散歩に出て、ぼんやり歩いていたら、空は青黒というか、青空から光が消えたような色になっていて、西のほうがなんとなくまだ明るかった。晴天だったから、雲ひとつない青黒い空であった。ところがふと、東を見ると、地平線の近くにある(といっても家々で遮られていたが)積乱雲めいた雲が、朱色がかったピンクに染まっていたのである。まるで雲だけを着色したようであった。あわてて西の空を見ると、日は沈んで、日没直前の明るさや騒々しさがすっかり静まった空である。いったい光がどこをどうやって屈折して東の空の低いところにある雲にとどくのか、それからずっと考えている。今日は、もっと見晴らしのいい公園の駐車場(ノミ禍対策で、この頃はアスファルトのところばかり歩いている)に行ったら運良く日没が見られた。沈む日が、ほんの少しばかり残って、水平線にひっかかって、少しぷるぷるしてすっと消えて無くなった。まるで人の死ぬときのような沈み方だった。人の死というものが毎日の日没のようなのかもしれないなあとも考えた。

Uの「ごはん」

2014年09月10日(水)

土曜日の午後と日曜日は学会さぼって(というか、あたしはただの付き添いで、もともと出る義理もなんにもないので)あたしはUと遊びにいってたのだ。Uは2歳2ヶ月で、少ししゃべれるようになっている。こないだ会ったときはまだ「ばーば」が言えなかった。今は言える。いきなり入っていって驚かしたので、「ばーば」と言いながら(つまりあたしをあたしと認識したのだが)泣いた。でもしだいに慣れてきて、出かけるときは「ばーば、しゅー」といって靴を持ってきてくれたし、いろんなおもちゃたちの話もしてくれた。してくれるが、だいたいは親に通訳してもらわないとわからないのである。「ばいきんまん」ははっきり言えて、あんぱんまんの本を何回も持ってきた。それはトメのお古の本だ。「ことばあそびうた」の詩を読んでやると爆笑する、と母親カノコはいってたが、あたしにはくりかえし「ばいきんまん」といいながらあんぱんまんの本を持ってきた。「むーん」が好きで、描いてもらいたがるが、描くとすぐ「くらうど」といって上をぬりつぶす(磁石で絵がかけて消せるおもちゃ使用中)。「さん」というから太陽を描くと、また「くらうど」といってぬりつぶす。レストランに行ったときには子供用いすにすわるや、ウエイトレスのほうを見て、はっきりした日本語で、たぶん本人は日本語とも気づかずに、「ごはん? ごはん?」といっていた(イタリアンの店だった)。そういえばトメが4、5歳の頃、スシ屋につれていったら(カリフォルニアで)ふだんは英語スピーカーなのに、いきなり「すいませーん、たまごくださーい」と注文していたことを思いだした。帰ると、雲ひとつない夜空にいい月が出ていて、Uは地面にすわって月見をはじめ、「まましっだうん」みたいなことをいって母親をすわらせ、「ばーばしっだうん」とあたしをすわらせた。

バクスバウム氏

2014年09月09日(火)

バークリーは学際的な学会で、心理学者や考古学者や民俗学者や科学者が入り混じり、発表はぜんぜんついていけなかったが、ディナーやパーティーはとてもおもしろかった。つれあいの妻と自己紹介しなければいけないのがいまいちおもしろくなかったのだが、おもしろい人たちがいっぱいいたから、まあヨシとしよう。いちばんおもしろかったのはバクスバウムさんだ。自己紹介しあってから、「あなたの名前、ドクタースースの『きみの行く道』の最後に出てきますよね」と言ったら、「なんで知ってるんですか?」(まあちょー有名な本なのだが)ときかれ、「だってそれ日本語に訳しましたから」と言ったらむこうもおもしろがって、いろんな話をしてくれた。ドクター・スースとは友人で、バクスバウムの名前をきいて、「バクスバウム、ビクスビー、ブレイ」と言葉遊びをしたそうだ。そこからあの有名な本の最後の部分ができたそうだ。しかもバクスバウム氏は、若い頃コーネル大学でナボコフの授業を取ったし、いっしょに旅をしたこともあるそうだ。それはロシア文学という授業だった。ナボコフは、なまりはあるが、かんぺきな英語を話し、なまりもそんなにろしあーというほどではなかったそうだ。そしてロシア文学では、ゴーゴリとプーシキンが好きでドストエフスキーはきらいで、トルストイはセンチメンタルすぎると評していたそうだ。次の年は世界文学で、おそらくフランス文学を取り上げたはずだが、彼は残念ながらその授業は取らなかったそうだ。バクスバウム氏は81歳の美丈夫で、ちょーかっこよかった。ああこの頃81歳なんて若いじゃんと思ってしまうあたしの感覚は何??
『きみの行く道』(ドクター・スース作 いとうひろみ訳 河出書房新社)の最後のページのまさにバクスバウムさんのところ、あたしがいちばん訳に工夫を施したところだ。こんな工夫をしたんですよ、とバクスバウムさんに説明したけど、日本語を知らない相手に伝わったかどうか。

老々介護の現実とノミ禍

2014年09月09日(火)

つれあいの付き添いでバークリーに7時間半かけて走って行って、3泊して7時間半かけて帰ってきた。渋滞だと8時間かかるが渋滞は免れた。帰りは錦織チリッチ戦を見たい一心で朝6時に起きて走り抜けた。昔はこの500マイルの道のりはたいていだれかと運転を交代しながら走ったものだ、つれあいとか、娘たちとか。この頃つれあいと行き来することが多く、またときには一人で行き来することさえあって、つまり一人で走り抜ける。7時間半の半はガス補給したりなんか食べたりトイレいったりしてるから、まあ7時間だ。山あり谷あり、市街地ありだ。ぶっ通しに走るのだ。こういう態勢になってもう数年。最初は申し訳ながっておれもおれもというつれあいをだましだましあたしが走り通した。しかし、この頃はつれあいはもう何も言わない。言わないどころか、寝ておる。そしてなんとかいう薬のせいで、いきなりおしっこしたくなって切羽詰まる。それで今日も、二度ほど路肩に停めて、彼はおしっこした。(スコットランドでは同じことをやっていて、おまわりにスコットランド弁で厳しく叱られた)帰ってくるや、彼は書斎に入ってテニスを見ており、ありがとうの一言もない。おつかれさまということばは、そもそもない。あたしが犬を散歩に連れて行き、仕事の残りを片付け、ごはんを用意してるうちにもただすわっておる。むかしなら文句の二つ三つ言うところだが、この頃は実際、動くのが無理なので、何も言う気になれない。
北カリフォルニアはやっぱりここに比べると涼しかった。帰ってきたらひどく蒸し暑かった。その上、机にすわったとたんに首に違和感があり、つまんでみるとノミである。夕食後、台所を片付け、つれあいの洗濯物を洗い、やおらニコを洗うと、60匹以上のノミが取れた。ニコはすまなそうにしておる。おとなしくいじくられるままになっておる。出かける前に洗っていったばかりである。そのときは30匹取れた。ノミ取り器には、20匹以上かかっている。3日間、ノミに咬まれず、ずいぶん生のかきこわし傷が癒えた。でも毎晩かゆくてもんもんとした。かきむしる夢を見て、目を覚めるとかきむしっているのだ。そして今またどんぶりに溺死させたノミが60数匹。泣きたくなっておる。

2015年9月Keenlyside本祭り

2014年09月05日(金)

なんと、2015年9月にKeenlysideが、ROHごと、マクベスやりに東京に来るというのがわかったっっっ。飛んで火にいるなんとかだ、すでにあたしは厳戒態勢に入っておる。東京のオペラのチケットはちょー高いらしいが、しかしロンドンに行くよりは安いだろうし、コヴェントガーデンだって、目玉が飛び出るくらい高かったし。あたしの場合はまず日本に行かねばならないのであった。

テニス

2014年09月04日(木)

きょうは錦織ワウリンカ戦、つづいてジョコビッチマリー戦であった。あたしは画面のすみでちょこちょことスコアを見ていたのだか、ついにつれあいは仕事を放り出して2時ごろから見始め、コンピュータで見ているので、つまり仕事場のコンピュータの前にすわったきり、ごはんもここで食べると言い出して、適当に残りものなど(ゆうべお客がきたので残り物があった)ちゃっちゃと、フォークだけで食べられるものをつくって、仕事場で食べたのである。なんだかテニス見てるときだけケンカしないで済んでおる。あしたはフェデラーだが、客がくるのだった。あさっては錦織ジョコビッチだがバークリーに移動日で無理だと思う。つれあいはテニスで高揚していて機嫌がよく、もしかしたら錦織はジョコビッチに勝つかもしれないなどとお愛想すら言っておる。こんなに機嫌がいいならずーっと見せておきたい。つれあいとはテニスのことしか話したくない。テニス専門チャンネルというのに加入すれば見たい放題だが、マジで考えている。
昼食のとき、このままじゃやっていけなくなるので、ヘルパーさんみたいな人を雇わねばといってみたが、やはりそこは将来であって「今」とは捉えてないようだ。

Keenlyside祭り 再燃

2014年09月03日(水)

こないだロイヤルオペラハウスのきっぷをネットで買ったからメールがくる。おとといROHのメールを何の気無しに開けたら、Keenlyside のアップがどでかくどんとあって、McVicarのRigolettoのタイトルロールやるという。どきどきした。よくよく見ればかなり老けておる。若いときのDVDをみてるから若いイメージがあったが、けっこうな老け方だ。こないだYouTubeで見つけたAdesの曲のライブコンサートも、けっこうおじさんだった。パパゲーノのときの若さはどこへ行った? まあしかし老いなら慣れておる。なんでリゴレットなんて役やるのかなあと思ってたが(KeenlysideのHPにもちょくちょくいってるのでやることは知っていた)ああいう役もいいのかも、もしかしたらその演技上手のところがものすごくいいのかもしれないなあと思ったら、みたくてたまらない。YouTubeにもとうぜんだがまだ出てない。7パウンドから190パウンドで9月12日から10月6日までやってるという。あーロンドンいきたい。ちょーーいきたい。ここのところベルリンに行きたくてもんもんとしていたが、今はロンドンも行きたい。

だらだらと

2014年09月02日(火)

終わったと宣言しちゃうとだらけてしまうもので、ずるずると夜半まで、山椒大夫はかかってしまった。途中、つれあいが錦織の試合みていたので、ちらりちらりと見たりした。どう見てもラオニッチの方が消耗していた。サーブはうつが、錦織が打ち返した時にはもうぜんぜん体がついていってなかった。気の毒だった。体力的にも、精神的にも。で、山椒大夫終わったあとも、ついだらだらと『アスラーン戦記』…なんか名前が違う感じ? Kさんにすすめられて読みかけたのを読み通した。こないだ10冊で999円セールがあって買った『蒼天航路』読んだりもしていた。もちろん『鋼の錬金術師』もまだ読んでない巻がある。とわりとふつうに漫画に溺れていた。いってみれば摂食障害者がストレスから自分を解き放つためにビンジ食いをするようなものだ。『鋼の』はまだせっぱつまっていたとき、トメにすすめられておとな買いしたのだ。ここのところののみ禍で、ついに顔まで食われたので、のみ取り器というのを買って設置してみた。もう7匹かかっている。ニコのからだにまだ何匹もひそんでいるのは知っている。あたしなんてもう食われるとこがないくらいだ。

すぎたことだが

2014年09月02日(火)

つらつらと考えるに、なんでこんなに書けなかったかというと、やっぱり始まりが準コピペだったというのが大きいと思う。つまり「女の一生」ならずっと書いてきたわけで、『良いおっぱい悪いおっぱい』『おなかほっぺおしり』『おなかほっぺおしりふともも』『おなかほっぺおしりトメ』『おなかほっぺおしりコドモより親が大事』『伊藤ふきげん製作所』『あのころ、先生がいた。』『とげ抜き』『女の絶望』『万事OK』『読み解き「般若心経」』『閉経記』『父の生きる』。ああ『あんじゅひめ子』も『ラニーニャ』も『家族アート』も『河原荒草』も『青梅』も……ぜんぶ「女の一生」、生涯いち「女の一生」。曲もなや。
最初は『女の絶望』のフェイク江戸弁書き直して標準語にすればいいんじゃないかと考えていたのにできなかった。やっぱり一回書いたことは発想しにくかった。想像力が足りないよってやつである。(谷啓の声をお借りしました……スイマセン古くて。しかもオリジナルはタンパク質だ)。で、書き始めたら書けるようになったのはいつものとーりだ。で、書けるようになったら自分の声が出てきた。なんでコレがあと3か月早くできなかったのかと今回ばかりは自分を恨んだ。それにつけてもありがたいのは岩波のUさんで、叱りもせず、動揺もせず、粛々と待っててくれた。最初は8万字とかが目標で、すごく遠く感じられ、いちばん字数少なくいちばん薄くといっていたのが書きすぎて、けずらねばならなくなった。まるで「マシニスト」で痩せた後「バットマン」で元に戻さねばならず、がんばったら太りすぎてバットマンスーツが入らなくなったクリスちゃんみたいだった。
しかしおかげでいくらCDに費やしたか。机の上の山また山、半分はCDだ。この頃オペラのDVDを買って画面のすみっこに小さく出して見ながら仕事ってな荒技も開発した。好きな声が聞こえるとさっとそっちを見るのだ。で、Monsterを箱で買ってチェイン・ドリンカーというやつ。部屋のすみの紙袋にどんどん空き缶がたまっていくのが怖かった。人にもらったとらやの羊羹は食い尽くした。あとはチョコレートと生卵。ズンバは一ヶ月以上行かれなかった。Mのクラスさえも! そんな余裕すらなかった。ああ、末期的な作業光景であった。さー過ぎたことを考えてないで、山椒大夫山椒大夫。

へろー もう9月 近況

2014年09月02日(火)

いやー、今回ばかりは危機だった。岩波新書の『女の一生』9月末刊行。
サラ金借りまくっていた零細町工場のおやじが闇金に手を出して、返せなくて、おっさんいっぺんコンクリのブーツはくかといわれているような状況と、人には説明していたのだが、ほんとなんである。それで番頭さんからは「詩人くん」と呼ばれていた……わかる人にはわかるジョーク、ともいえない切ないジョーク。で、それが終わったんです。とにかく3月には終わらす、といってたのが4月になり、5月になり、厳戒態勢を敷いて(つまりほかの仕事みんな滞らせて)6月末には絶対何がなんでも、と言ってたら、なんと終わらず、というかろくに始められもせず、あたしも焦っていたけど、担当の岩波書店のUさんの心や如何に……。さらなる厳戒態勢で、何もかも打ち捨てて、7月に突入した頃にはなんとか書き始めていたのであるが、どう考えても9月半ばはムリなので、刊行を9月末に遅らせてもらい(このあたりで「おっさんコンクリのブーツ」的心境であった)、しかし7月は大移動で、書き仕事なんかしてられないくらい立ち仕事が入っていたのに、とにかく書きながら移動をつづけた。7月末に東京で平凡社のOさん(平凡社の新書編集部にいた)に「いま、こんな状況なんですー」といったら「ああそれは無理だ」と断言されて、心底びびったのであった。その直後に会ったUさんの顔が心なしかひきつっていたのを忘れられない。しかしその日は、同じ岩波から出した『木霊草霊』の販促講演会だったので、つい、Uさんも交えて、「ほんとはこんなことしてられないんですけど」と言いながら、遅くまで飲んでしまった。で、8月のアタマにこっちに帰り、すぐにバンクーバー、これはつれあいの講演であたしはただの車いす押し係だったので、ホテルにこもりっきりで書いた書いた書いた、バンクーバーでほぼ書き終えて、カリフォルニアにもどるとすぐ、どばしゃーっとゲラが来て、ゲラ見は早い、直して返してまたゲラが来て、直して返して、そのあいだにイラストを必死で描き、ここんとこイラスト仕事はやってなかったから、筆がなまっており、画材も散逸しており、画材屋に走りこんで、たった8枚描くのに、イラストレーター開業できるくらい買い直し、描きあげ、またゲラが来て、直して返して……もうあと、やるべきことはほとんどない。ああ、ほんとにUさんには迷惑と苦労と心配をおかけしました。で、そのために滞っていた他の仕事の中でもいちばんコワいのが、Getty Museumに頼まれていた石内都論、これはこれでなかなか書けず、というのも英語で提出というものだから、何枚かいていいのか見当もつかず、英語文化の中での書き方がわからず、しかも頼みの綱のJがヨーロッパの奥地に巡業中で、連絡がつきにくく、S(実はこの人は翻訳家修行中)に頼むことにして、でも、あんまりあたしが遅いもんだから、ついにGettyのキュレイターが怒っちゃって、怒りのメールを英語で寄越し、怖かったのなんの。それはSに助手のふりをしてもらって、手紙の返信かいてもらい、翻訳してもらい、送ってもらった(もう自分では返信したくないほど怖かった)ってなことを2度ばかりくり返して、昨日仕上げた。で、今日、残っているのはあとすこしになり、今は必死で平凡社の説経節やっておる。これもまたOさんの温情で、ほんとはもっとがばりとやらなくちゃいけないのを少しずつでいいことにしてもらい、延ばし延ばしにしてもらっていたのであった。今は山椒大夫の途中、厨子王が逃げていくところをやっている。

   
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