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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

ラテン語と中国語

2012年09月24日(月)

「イネ科」はラテン語でPoaceaeという。あるいはGramineae ともいう。Gramineae のほうは意味がわかった。googleの翻訳でも出てきたし、ラテン語辞書(娘が学校で使ったやつをもらった)にものっていたのだ。「草」とか「草におおわれた」とかの意味である。でもPoaceaeのほうがわかんなくてもんもんとした。語幹はPoacかPoaかPoか、わかんないからしらみつぶしに辞書をひいた。で、けっきょくわからないでしばらくもんもんとしたあげく、NにしKふこさんに聞いた。そしたらあっという間に教えてくれた。専門家はすごい。あたしゃあんまりわからなすぎて、頭がとけるかと思った。あたしが知りたかったのは、Poaceaeがイネ科のことを指してはいるが、ことばの意味としてイネを語幹に持ってるかどうかということだったのだ。で、たぶん持ってない、と思っていた。「禾本科」の「禾」についてもしらべていたが、『字通』と『字統』によると「いね」と。もう一冊の漢和辞典は「いね」または「あわ」と。で、wikiで「禾本科」とやって、中文を出したらそのまま「禾本科」となった。「禾」と検索してみたら「あわ」の項にいった。いねの前は、あわが重要穀物であり、周代にいねが入ってきたそうだ。禾の字は垂れさがる穂の象形なんだそうだ。てなことを必死になってしらべていた。『木霊草霊』の話である。

ペソア

2012年09月24日(月)

ああ、2、3日、いやもっと何日も、ペソアのように(@hiratatoshikoのtwitter参照のこと)顔も洗わず、考えつめていたしめきりがやっと終わり、居間に飛び出していって、たむろしていた犬どもや娘どもに、「みなさんに喜びのご報告を」と叫んだのである。ああ、ほっとした。なんでこんなにというくらい、この仕事(図書の「木霊草霊」)はたいへん。考えつめていたといっても、半分くらいはネットやったりバカ映画みたりして遊んでいるのだが、その遊びに自分を追い込まねばならないくらいたいへんなのだ。ペソアなのは、毎日ズンバにいってしとどに汗をかいて、タオルで拭き取らねばならないせいもある。まあ汗で顔をあらってる感じだ、と思えば。さあ今日から顔も洗う。きょうはズンバに行かなかった、なんたることだ。

父の日の夢

2012年09月23日(日)

父の日の前で、どうしようか考えていた。何をあげてもよろこばなかったから、もういいやと考えていた。でもほんとは何かをあげたらうれしかったのかもと考えていた(死んでるような、生きてるような、判然としない)。たまたま入った洋品屋で、なにかを買ったついでに、上のほうのたなにある犬の柄のはんかちを見せてくださいといって、下ろしてもらった。大判のはんかちで、犬柄だった。それと小さめのを買って、靴下も買った。それも犬柄だった。室内履きも買いたかったけどいいのがなかった。「父の足はひどくむくんでいて、なかなかあうのがないんですよ」とお店の人に説明した。トメもいっしょだった。トメに何か買うために、その店に入ったのだ。トメの誕生日だった。小さいものをその店で買ったので、あとはスコッチにした。トメはスコッチが大好きなので(現実ではない)、いつもつれあいに買ってるのを買って、「Kilroy was here」とマジックで書いてやった。トメは知ってる知ってるといいながら、実は知らないのだった。

むきむきとジャパコミ

2012年09月23日(日)

アメコミのヒーローたちを見ていると、なんであんなにむきむきなんだろうと不思議になる。わがジャパコミでは、ああいうのはいないじゃないか。そもそも、ジャパコミが誇るべきパーマン。ただの小学生がへろへろのマントをつけてるだけだった。アトムも子ども体型で、おなかが丸かった。漫画のなかで、考えられるむきむきの豪傑男といえば、ベルセルクのガッツだが、あのむきむき性はむしろ彼の異質さというか奇形性を表しておる。西野新二と三五十五はむきむきだったが、それはそういう部活だからだし、バスケ部のみなさんは背が高くてアスリートなからだをしているが、むきむきじゃない。むきむき性に通じるロボットものはどうかといえば、レイバー乗りと騎手はちっこいのに限るなんていわれて身体的にはじつに貧弱だ。あとは……20世紀の少年たちも、武蔵や小次郎も、よつばのとーちゃんも、棋士のみなさんも、闇金のみなさんも、アイアムアヒーローですらも、いろんな技能はあっても、むきむきじゃない。少年漫画をあんまり読んでないからだけじゃないと思う。青年漫画だけじゃなく、女の漫画にあらわれるりそうの男像はどうかというと、それもまたむきむきからは程遠い。もともとそこまでむきむきがありえない民族的体格のせいか。平安時代の文化が影を落としておるのか。まわりの日系少女たちにきいても、むきむきはちょっとーーと言ってるし。同世代のおばさんたちもそんなものに興味はなさそうだし。でもトメによると、アメリカ人の女の子たちはこぞってそういうのが好きなんだそうだ。わからない。

お知らせ orangeにて 

2012年09月23日(日)

あたしのじゃないけど、orangeにて朗読会。
文学隊としては「比呂美の部屋」のRKKからorangeまで徒歩3分なので、みなさんに流れていっていただきたいと……。熊本の土曜の夜が、俳句と詩であふれてゆく!

和合亮一さんによる詩の朗読会
9月29日(土)19時30分〜
会 場:「橙書店」熊本市中央区新市街6−22
TEL:096−355−1276
会 費:1,500円(1ドリンク込み)。
参加要予約(HPよりご予約も可能です)

ここにくわしく書いてあります。
http://www.zakkacafe-orange.com/blog/2012/09/和合亮一%E3%80%80朗読会/

パンパスグラス

2012年09月22日(土)

いまはススキとその類に夢中になっておる。きょう、一帯を走りまわって(車で)パンパスグラスの生態をしらべた。パンパスグラス地図が描けるほどだ。それからHomeDepotに園芸用イネ科をしらべにいき、買いたかったが、買わずに、名前だけかきつけてきた。パンパスグラスは1株もなかった。多いのはチカラシバのなかまとススキの仲間だ。あたしの持ってるInvasive Plantsという本によると、ススキはとてもinvasive(侵略的)なのに、売ってていいのか。パンパスグラスはほんとはススキの仲間じゃなく、シロガネヨシという和名だが、つい、からくりサーカスを思い出す。チカラシバはpennisetumというラテン名で、ペンネンネンネンネンネネムみたいである。更地や宅地の裏のキャニヨンに、大きい株があり、白銀のふさふさした穂がゆれている様子は、じつに見事だった。

お知らせ「詩人の聲」も並べたい

2012年09月22日(土)

10月3日19時から
あの子宮のなかにつつみこまれるような感覚の「Star Poets Gallery」で、
「詩人の聲」第831回
予約2700円、当日3000円

この秋あちこちで朗読しますが、国外ばかりなので、日本語が思うように伝わらず、すごくフラストレーションがたまるんです。だからSPGで、いっきにはき出してしまって身軽になったところで諸外国語の間を転戦していこうと思っています。各種お経や親鸞はもちろん、今いちばんのめりこんで書いている「犬心」を読むかも……みなさんの顔をみてからまた考えます。

予約・お問い合わせは
Star Poets Gallery〒154-0004世田谷区太子堂1-1-13 佐々木ビル2F-D
Tel&fax 03-3422-3049
北十字舎 Tel03-5982-1834 Fax03-5982-1797

お知らせ9月29日「比呂美の部屋」

2012年09月22日(土)

熊本学園大プレゼンツ第7回
「比呂美の部屋」

日時:9月29日(土) 16時30分開場 17時開演
場所:熊本RKK 1Fロビー・アトリウム
ゲスト:あざ蓉子さん(俳人・草枕交流館館長)

俳句について、詩人が俳人に
根ほり葉ほり聞きただす。
あざさんはどうやって俳句に入り、どうして抜けられなくなったのか。
俳句とは何か。詩とどうちがうのか。
伝統的な俳句の概説と、現代の俳句の在り方の概説も。

お知らせ 講演会10月2日

2012年09月22日(土)

「言葉が生まれるときーー詩作と翻訳ーー」
主催 子どもの本を読む会
とき 10月2日10時〜12時
ところ 世田谷区立砧図書館集会室
参加費 500円
事前申し込みが必要です。
申込み先は子どもの本を読む会
03-3484-9187もしくは03-5490-6850に。

「ビリージョーの大地」ドクタースースの翻訳あたりを通して話をしていきたいと思います。朗読ももちろんしますともー。

へんな夢

2012年09月22日(土)

へんな夢すぎてとてもここには書けない。いや、いやらしい夢ではけっしてない。

巨人の優勝

2012年09月22日(土)

巨人が優勝した。圧倒的に強かった。あんなに弱かったのに、なんたることだ。4月には2度5連敗した。一時は最下位だった。その頃だ、父が死んだのは。「もうだめだ巨人は、おれはもう応援するのやめる、原なんかやめさしちゃって阿部にやらせればいいんだ」てなことを恨めしげに言ってたものだ。おとうさんそれは素人考えで、原には原の考えがきっとあるんだから、とそのたびに慰めておったが、そのとーりであった。これは、見せてやりたかった。納棺師さんに、巨人のウインドブレーカーを着せてもらった。以前中公(は読売の傘下だそうだ)のMさんが、父にと送ってくれたやつだ。その下は愛用していたユニクロのシャツで、このままどたどたと東京ドームに出かけて(後楽園球場には何回か行ったらしいが、東京ドームには行ったことがないはずだ)いきそうな格好であった。

マダニの夢

2012年09月21日(金)

大きな何かの大会で、(お子様ライスの上にのってるような)旗を振ってくれとB場さんに頼まれた。それで会場を横切りながら旗を振った。「僕はビートルズ」をiPodできいていると、曲が出てくる場面にいちいちビートルズの歌が流れた。こっちのほうが臨場感があって、紙で読むよりいいなあと思った。水を買うことになって、K下さんと近所のお店にかいにいった。そのへんには水屋さんがいっぱいある。いい水のわく沼があるというので、ああここで水を汲めばよかったと思った。そしたら連れていた子どもが泳いで遊ぶ、という。連れていた子どもは、乗っていた馬ごとざぶざぶ入っていった。そこここに杭が立っていて、アフリカのお面みたいなものが二つ打ち付けてあった。土地の人が「ここにはマダニがいて、ぐさっとやられるとたいへんです。こんなふうに」とマダニのぐさっとつきささる足を見せてくれた。大きかった。マダニそのものは手のひらくらいのサイズだった。「でもマダニには杭に寄る修正がる。杭に近寄らなければ大丈夫だから、こうして杭をたてて、そこにマダニの模型を取り付けてある」といった。

またSビレッジ

2012年09月20日(木)

またSビレッジの日。カレーだった。あんまりやることがなかったから、みんなといっしょにもやしの芽を取った。それからカレーたべて、朗読した。また金子みすずと柴田トヨだ。みんな、先週よりうまくなっていた。Yえさんは声がはっきり出てるし、M子さんはいねむりしていたが自分のばんになると、はっと起きて感情をこめて読んだ。Sディさんは清水の漁港の話をしてくれた。TリーさんとT子さんは、すごく力強い声で読むのだった。柴田トヨ90いくつで書き出したんだから、みなさんも書けるてな話になって、紙と運筆取り出して詩をかいてもらった。かける人とかけない人がいた。あたりまえだ。字をかくのも忘れたといってる人もいた。「昔、わたしは」で書き出してもらった。「××屋をしていて2tトラックで配達をしていました」とかく人もいたし「ひまわりのようにかわいかった、夫にはスミレみたいといわれた、でも今はかわいくなくなっちゃった」とかく人もいた。「今も元気に働いています」とかく人もいた。テーリーガーターみたいだった。歌は、夏が来れば思い出す、と、おてもやんと、あといくつかと、好きになった人。Tリーさんが母のように歌った。

マーベル映画

2012年09月20日(木)

締切においつめられているので、映画を見ている(どういう論理じゃ)といっても、しめきりにおいつめられているので、れいの、5分みて、とばして5分みて、20分くらいで見切っちゃう見方でみているのだ。で、きのうは「キャプテンアメリカ」を20分くらいと「マイティーソー」を5分くらい見た。すべて「アベンジャー」をみたいがための伏線であーる(実は「ソー」は前に映画館でみた)。そしたら今日「インクレディブル・ハルク」がきた(NetFlixはDVDでもくるし、オンラインでもみられる)。つれあいがみつけて、みたがるので(彼はそういうアホな映画が好き)見ようということになり、ごはんのあと見たが、一人でみてたら15分でおわるのに、つれあいはじっくり見るので2時間近くかかっていたようだ。(あたしは途中で脱落)。エドワードノートンである必要は……やっぱあるのか。「キャプテンアメリカ」思いっきり政治的に馬鹿馬鹿しくて馬鹿馬鹿しいってことを批評的に馬鹿馬鹿しく描いていて、けっこうおもしろかった。「ソー」の男の子(ソーもロキも)ちょーかわいい、という年になったのだなあ、あたしも。

お知らせ「詩人の聲」10月3日

2012年09月19日(水)

10月3日19時から
あの子宮のなかにつつみこまれるような感覚の「Star Poets Gallery」で、
「詩人の聲」第831回
予約2700円、当日3000円

この秋あちこちで朗読しますが、国外ばかりなので、日本語が思うように伝わらず、すごくフラストレーションがたまるんです。だからSPGで、いっきにはき出してしまって身軽になったところで諸外国語の間を転戦していこうと思っています。各種お経や親鸞はもちろん、今いちばんのめりこんで書いている「犬心」を読むかも……みなさんの顔をみてからまた考えます。

予約・お問い合わせは
Star Poets Gallery〒154-0004世田谷区太子堂1-1-13 佐々木ビル2F-D
Tel&fax 03-3422-3049
北十字舎 Tel03-5982-1834 Fax03-5982-1797

父の夢

2012年09月18日(火)

父にかんする、ほっとした夢だった。でもほとんど覚えてない。父が生きていたか、あの当時にもどったかで、そうかあたしは、父と「夫婦のように」暮らしてあげればいいんだなと考えた。それがお父さんのいちばんのぞむところだからだ。もちろんセックスはついてない「夫婦」。これでおとうさんも安心して暮らせる、とほっとした。詳細はぜんぜん覚えていない。

生首の夢

2012年09月16日(日)

へんな夢をみた。お坊さんに何か頼む。祈りのようなこと。すると死んでしまう。夢で首を切ってくれと頼まれる。そのとおりに首を切り落とす。首はいつまでも腐らないでいきいきとしている。同じことがキリスト教の神父さんにも起こる。それで首が四つ(二人ずつ?)うちのまわりに並べてある。あまりに異様だというので某(すごく親しい男の友人、誰だったろう)と相談して策を講じる。隠そうともするし、かれらの所属する団体へちゃんと報告しようともする。ああ書いとかなきゃと思って、また眠ってしまってそのときはつづきの夢のはずなのに、どこかのショッピングモールで和菓子を買って食べていた。それからAとZにおみやげを選んでいた。時間がないのになかなかえらべずにあたふたした。カギくらいしか入らない小さい皮のかばんで、長いとってにいろんな飾りがついている。T浜さんが中国様式に考案したのだと作って売ってる人が言った。子ども(よその子ども)が呼びにきた。すぐ行くからと言った。生首のところも、もっとなまなましかったのだ。たくさん忘れてしまった。

演歌と老人

2012年09月13日(木)

さすがに「東京キッド」はぜんぜん知らなかったが、「大利根月夜」も「おてもやん」もけっこう歌えた。「世が世であれば」というのは父の口癖だった。「おてもやん」はやっぱり熊本だ、数年前に、何かちょっと企画して(企画はつぶれた)だいぶ調べた経緯がある。「好きになった人」も知らないと思ったが、聞いてるうちに思い出した。親が歌っていたのである。あるいはテレビで、聞くともなく聞いていたのである。いっしょに歌った。はじめてだ、こんなのは。先週は、「このみちはいつかきた道」という白秋のアレだ。あたしがリードしていたところ、きちんと歌唱を勉強したM子さんに低すぎると言われた。そのあとM子さんが歌ったが、すばらしい美声であった。きょう歌いながら、ふと、うちの母も好きだったなあ、こんな歌が、と思い出した。カラオケ教室に通っていたくらいである。あたしはちっとも興味を持たなかった。演歌なんて耳をそむけておった。母とはいっしょに歌ってやらなかったが、今こうしてここでよその老人といっしょに歌っておる。うちの母も好きだったんですけどいっしょに歌ってあげなかったと言うと、Sディさんが、いや、責めるふうでなく、「なんでうたってあげなかったの」と言った。そうですね、といいながら、なんだかとても胸がせまった。

Sビレッジ

2012年09月13日(木)

今日はSビレッジにボランティアだった。先週、友人のA子さんに誘われた。あたしたちみたいな居場所のない女があつまって来てるのよと、A子さんが言った。それに惹かれた。それは、サンディエゴのダウンタウンにある。水曜日だけ、みんなが集まる。朝10時から11時の間に、老人たちとボランティアがやってきて、お昼を食べて、それぞれのアクティビティをして、3時ごろに解散する。きょうのメニューは冷やし中華だった。あたしはきゅうりを切り、たまねぎを切り、葱を切った、それからみんなで食べて、それからあたしは朗読班だ。よくまあ、こんなにおあつらえ向きのことをやってると感動したくらい。ふだんはY子さんがリードするのだが、今回はあたしがやった。それで、朗読用のファイルのなかにみつけた金子みすずと柴田トヨだ。二人ともじっくり読むのははじめてだった。それをみんなで声をあわせて読み、老人たちにひとりずつ読んでもらった。読みながら、「かいこ」のことや「大ばいわし」や「おっかさん」のことなど、説明してもらった。みんなよく話してくれた。「おっかさん」のときに、戦争中はどこにいましたか? ときくと、みんなそれぞれ、米子や清水や福岡や佐世保で「苦労したわよーー」といっていた。お母さんが着物を売って買い出しにいってた、みたいな話をしてくれた。そのあと、読んだ「おっかさん」のことば(柴田トヨの詩にでてくる)にはすごく熱が入るのだ。それから歌のプリントをまわして、みんなで歌を歌った。東京キッドと、大利根なんとかと、トンコトンコというのと、おてもやんと赤とんぼだ。老人たちは80から90の間くらいで、女が多い、というかきょうは女だけだった。しゃっきりしている人もいる。してない人もいる。何子さん、何えさんという人もいるが、TリーとかSディとか英語名の人もいる。みんなさんづけで呼んでいる。

ススキ類

2012年09月13日(木)

ススキの類もすごい。もううちにはパンパスグラスはないが、あちこちで豪壮に穂を立てている。invasiveすぎて、あんまり好きじゃない。シルバーバックのゴリラみたいで。あんまり老いた雄すぎて。数年前に、前庭を占領していたそれを取り払った。そしたら、今、そこには、やはりどこから来たのかわからないが、2種類のススキっぽいものが生えておる。穂を振り立てておる。一つは日本のススキによく似ている。一つは猫じゃらしを大株に、茶色にしたようなやつだ。近所に、青緑の葉の、ススキっぽい草を植えてるところがあって、前からいいなあと思っていた。葉が、青緑というか白青緑というか。夕暮れの光のような色である。こないだみのった穂を集めてきて、前庭にまいた。出てくれるといいなと思って、水をやっている。

夢の解釈

2012年09月13日(木)

たぶんさっき書いた酒屋の夢は、このところずっと気になっている父のことだ。正当化というか、自己弁護のための夢だ。父の最期の日々、もっと親身にそばにいてやれぱよかったと悔いてしかたがない。日々だけじゃなくて8年間、もっとそばにいてやれなかったかとも悔いておる。しかし父の無聊は、8年前にはじまったわけではなく、その前から老いた老いたといって、絵もやめ、頭を使うこともやめ、一日じゅうすわりっぱなしで、母に頼り切っていたから、母ととても険悪になっていた。その頃の父を、支えろといってもそれはむなしすぎる。で、母のいなくなった8年間がそれにつながる、ずるずると。で、それはずるずると重たくなっていった。おさむらいがちょいと抱かされた赤ん坊がどんどん重たくなっていくようなものだ。で、そうなると、根本を考える、なぜあたしはカリフォルニアくんだりまで来てしまったか。その根本に父や母の住む家、その環境から出たかったというのがある。それはわかっていたけど、板橋のあの家のことは思い出さなかった、これまで。無意識がほじくり返してくれたということか。なんかさっぱりした。

タイサンボク

2012年09月12日(水)

タイサンボクがすごい。大きな実をつけている。実から赤い種がはじけている。調べてみたらアメリカ原産だ。

酒屋の夢

2012年09月12日(水)

カリフォルニアの友人夫婦をうちに連れて行った夢をみた。うちというのは、子どもの頃ずっと住んでいた板橋の家である。父と母がいた。まだあんなに老いおとろえていなかった。もてなそうとして、母がいろんなものを作っていた。料理もできて、いざ食卓にはこんでというときになって、ビールもワインもない。酒屋に注文して箱で買って届けてもらおうということになった。そうだよ、箱で買っちゃえばいいよ、でも多すぎない?と母が言った。あたしはしょっちゅう人を呼ぶから必要だからと説明した。父が不満げにぶつぶつ言ってるので、聞けば、千円札がいっぱい必要だから買わなかったというのである。こうやって年寄りにお金を使わせるような社会だと文句をいっておる。酒屋は近所の酒屋じゃなくて、電話帳にも父の携帯(現実にはそんなものもってなかった)にものってるサカイという店で、警察署の近くにあるんだそうだ。で、電話したのはいいが、家の場所をなんと説明していいかわからずに困りはてた。路地の裏のさらに奥まったところにある家であった。車は入ってこられない。バイクでなら来られる。さんざん説明して、交渉して、googleマップみればわかるじゃんと思いながら、もし届けてくださるなら注文するし、それがいやならよそに注文しますといったら、届けますということになった。で、一箱はドライ(あたしは好きじゃないけどお母さんが好きだから)もう一箱はプレミアムモルツ、あと一箱、エビスは何がありますか? ときいたら、ローハイドというのが出たばっかりだというので、それにした。家の外で電話をかけていて、家に帰ったら、まだ食べ物は食卓にも出されてなくて、みんな待っていた。えーー何やってんのよーーとイライラしたがそれを顔に出さずに云々という夢だ。さめていそいで書きつけにきた。明恵みたいと思った。忘れていたことを思い出した。あの板橋の家からどれだけ出たかったかということだ。どれだけあの家に帰りたくなかったかということだ。

公園の犬事情

2012年09月10日(月)

公園ではいろんな人に会う。きょうはルイとニコをオフリーシで(これはつなをつけずに、ということだが、うちの場合はパピヨンたちを信頼しきっていないので、それぞれリーシをつけたまま、自由に歩かせている。首にかかる重みで、多少は抑制がきくし、いざとなると、ひもの先を踏んで寸止めできる)いつもくだる坂道をくだっていったら、向こうから人がきて、ニコが制止を振り切って駆けだしていった。先にいたのは、ピットブルのおねえさん。彼女は30〜40代で、連れてるピットブルと瓜二つ。もう10年くらい、公園や路上ですれちがっておるのだ。むこうはピットブル、こっちはジャーマンシェパードで、遠くから手を振り合って、あたしはこっちに行く、おお、じゃあたしはこっちに行こうとコミュニケートしあい、日々の散歩をこなしてきたのである。ある意味、ピットブルおねえさんが、あたしたちの出会う犬飼いで、いちばんあたしたちの立場、つまり犬嫌いの強い犬を連れた飼い主の立場をわかってくれてたと思う。で、ニコが飛びかかっていったのも一度や二度じゃなく、そのたびにおねえさんは、あたしらがタケにやるように、リーシをしっかり持って、自分の犬を抑えつけ、ときにはニコを蹴散らして、ニコの命を守り、またピットブルのことも守ってくれた。きょうも、ニコにかみついていかないよう、ピットブルを抑えつけてくれてる間に、トメがニコに追いついた。そのあと芝生に入っていくと、そこには以前親しくしていたJとC夫婦が、夫のCだけ犬を散歩させていた。かれらはパピヨン2匹を飼っており、夫婦ともパピヨンの性格によく似た、知的でなつっこくて善良な人たちなのである。ニコは遊びたがるが、むこうのパピヨンたちは少し年上なので、いつもうっとうしがられておった。タケは、パピヨンたちを威嚇するので、嫌われておった。あたしはいつもしっかりリーシを持っていた。J(奥さん)だけのときはときどき長話もしたりしてねそういうときはタケをすわらせておいた。タケはすわれというと、長話の間じゅうずっとすわっているかしこい犬だったのである。Jは数年前に乳ガンをやった。回復したと思っていた。ときどき具合が悪くなると、しばらく前に会ったときには言っていた。具合が悪くて来られなかった、しばらく散歩をしていないのだとCが言った。そこへさっきでくわしたピットプルおねえさんが通りかかり、こっちはみんなきちんとリーシをにぎっていたので、安心して話をすることができた。公園に住み込みの管理人も話にくわわった(彼女は当然ながら、Cとそのパピヨンたちとも、ピットプルおねえさんとも、あたしたちとも知り合いである。そして彼女は小さな、なんだろう、細くてしゃきしゃきした、チワワとイタリアングレイハウンドのミックスみたいな感じの犬、ジョジョを放し飼いにして、なんとジョジョはピットブルともうまくやっているということなのだ)。ピットブルおねえさんとは、長い間、手を振って挨拶しあってるのに、話すのはきょうがはじめてだった。

ズンバと太極拳とヨガ

2012年09月05日(水)

ズンバ、70になったらできないなあと漠然とした不安に襲われて、いろんなのを試しているが、どれひとつとしてズンバほどよいものはない。こないだ座禅がいたく気に入ったので、ああいうのもいいかもと思ってヨガをとってみたが、ささやいて指示を出すので、ききとれないのである。日本語ならなあと何度思ったことか。先生にも、あなた英語あんまりできませんねと指摘されて、すっかりいやになってやめてしまった。その先生は親切心でそばにきて、直してくれていたのだが。ヨガはできても言語にたいするセンシビリティは欠落した先生だったとみえる。で、ラインダンスというのをやろうかと思ったが、先生をひとめみていやになってやめた。それはカントリーミュージックのダンスで列になって踊るからラインダンスという。先生は、古き良きアメリカみたいな顔をしたしわだらけの女で、生とたちもみんなそうだった。しわもしらがも大好きだが、ああいう世界に入り込みたくない。で、きょうは太極拳だ。指示はわかったが、動作が遅すぎた。こんなに時間をむだだと思ったことはない。これなら合気道のほうがなんぼかマシだ、と思ったが、時間の津語で合気道はできないのだ。夕方ズンバにいってやっぱこれはいいと思った。

4匹の犬

2012年09月04日(火)

カノコのとこの犬Pが来ていた(もちろんカノコたちも来ていたのである)。それで家の中に、タケとニコとルイとPがいた。タケはさいしょ気がつかなかったが、やがて気がついて、がうがうと威嚇しまくってPをびびらせた。しかし体の自由がきかないのでPは無事だ。ルイはまったく興味をしめさなかった。やはりあの狭いマンションの一室で、ずっと介護犬をやっていた過去が、トラウマになってるものと見える。ニコは最初動揺しておったが、やがて慣れて、すぐ近くで寝たりもした。Pもそれが平気であった。この2匹はいい性格、というより、2匹とも「オメガ犬」(群れの最下位犬)であるらしい。タケはやたらに元気になった。用もないのに居間に出てきて(いつもはあたしの部屋でぐったりと寝ている)、Pを威嚇し、ルイを威嚇し、台所にもちょくちょくやってきて、他の犬たちに立ち交じってあたしからおいしいものをもらったりもした。そういうときには必ずタケを立ててやるのである。今のところの順位は、あたしの中では「タケ、ニコ、ルイ、(お客の)P」であるが、現実には「タケ、ルイ、ニコ、P」である。
タケはアルファとしてがんばるあまりに、散歩に、みんなといっしょにはりきって出かけ、いつもより遠くまでしゃっきり歩いた。他の犬の手前、ハーネスは恥ずかしいだろうと思ってつけなかったが平気で歩けた。他の犬たちより先を歩きたがり、実際に歩き、ほかの犬たちがぐずぐずしていると、立ち止まって、何してんのよ、まったくといわんばかりに振り返っておった。老いたりといえどもアルファ犬はすごい。
ルイは、ボールを必死においかけるニコを見て、とつぜん「わん」といい、ニコからボールを取り上げて、自分が追いかけた。オレは犬だった、介護ヘルパーの資格はほんとは持ってなかったのだということを思い出したらしい。そういえば数年前には熊本で、散歩のときにいつもボールを持って行った。あの日々のルイはそれを追いかけた。いつのまにかめっきり年寄りじみていたのである。そしてルイは、食卓の椅子にすわっていると(食事どきではなく)膝に飛び乗ってくるようになった。ニコももちろん膝に乗ってくるが、ときどき遠くの椅子でふてくされている(ように見えるがたぶんほんにんは何もかんがえていない。ただ居場所がないだけ)。Pはちょっとストレスにやられて下痢をした。

   
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