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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

タケと階段と議論の勝敗

2011年09月30日(金)

タケが未明にあたしを起こしにきたが、途中の階段で落ちたという。物音にS子があわてて起きてきたら、階段の上から途中の踊り場まで落ちて、そこで腰を抜かしてがくがくしていたというのだ。そうしてタイルのところにおもらしがしてあった(おもらしをするときはいつもそこ)。そもそもS子が階下に寝ているのだから、外に出たいのなら、S子を起こせばいいのに、むかし、子犬だった頃、タケはS子の部屋に住んでいたが、どんなにトイレにいきたくて騒いでもS子はびくともしなかった記憶をひきずっているらしい。それで万難を排して二階のあたしたちの寝室にやってきて、あたしを起こす。ゆうべ起きなかったのはなぜかわからない。2時か3時ごろまで仕事していたから、寝入りばなだったのかも。「おねーちゃんはもうおとなだから、あんたが起こしにくれば起きるんだよ」とS子にしみじみ諭されておった。タケは、あたしが日本から帰ってきた日にもかならず夜中に二階にあがってくる。下に降りてドアをあけてやっても、出ないのだ。それは、「おかあさんほんとに帰ってきたのかな」と確認するためなのだ。こないだは食卓で、スペインの闘牛廃止について、トメとつれあいが議論していたら、タケがよっこらしょと起ちあがり、トメのところへいってふんふんと鼻をおしつけた。それは、ケンカしてると思ったので、弱い方へ加勢しにいったらしい。昔、トメが叱られて泣いてるとかならずタケがなぐさめにいっていた。しかしこのたび、トメはべつに劣勢じゃなく、議論のあとで「かった」とヒソカにいってたくらいなので(父娘とも議論が好きで、テニスをするみたいに議論をするのである)べつにタケに加勢してもらわなくてもよかったそうだ。

僧賀上人とズンバとビートルズ

2011年09月29日(木)

ズンバをやってると、なんだかこの動きは知ってる知ってると思うことがある。きょうやって思い出したのは、ハムストリングスを鍛えるときの脚を後ろにはねあげる動き、あれは「ゴム段」という遊びでやった。でも実はゴム段はほとんどやってない。小学校5年まで肥満児だったから、ああいう動きは何もできなかった。肥満が解消して、走りまわるようになってからも、ゴム段はうまくできず、学校や近所でゴム段遊びにうち興じる女の子の群れは、できない子にはたいへん辛辣だった。今も思い出すのは桐の木の下で近所のだれちゃんかれちゃんとやったときの屈辱である。それが最後のゴム段だったかも。そんな動きも、今はこれこのように嬉々としてやっておる。これって何かで読んだなあと、また思い出したのが、発心集。第一の第五話の僧賀上人の話だ。死ぬ間際に、小さい頃やりたかったけどできなかったといって、一人碁をうち、それからあおり(馬具)を被って(馬具なので被るものではない)踊った。僧賀上人、とってもかわった人だと思っていたが、今、その気持ちがよくわかった。
きのうH田がitunesのラジオでビートルズかけっぱなしの局があると教えてくれたので、聞きっぱなしている。これで「僕はビートルズ」の7巻(いつ出るのかわかんないけど)はばっちりだ。

ビートルズと僕はビートルズ

2011年09月27日(火)

トメにビートルズの、「僕はビートルズ」にでてきた曲を借りて聞いているんだけど、いったいかわぐちかいじと原作者は、どうして「抱きしめたい」を「ファブ・フォー」のデビューシングルにしたのだろうか。ビートルズにくわしければそのへんがわかるのだが、わからないのでとてもわかりたいのであった。マコトやショウは、英語をどう歌っているのか。江利チエミのテネシーワルツみたいな英語になるのかななどと考えているのであった。しかもこれからロンドンにいって、歌は英語でうたえても英語しゃべれなきゃどうしょうもないだろう、盗作ってのがわかっちゃうだろう、とモーニングを買えないところでやきもきしているのであった。そもそもA hard days nightといったって、それがaかtheか、並大抵の英語力じゃわからないはずである。Hello, goodbyeくらいならともかくもYesterdayとかI saw her standing thereとか英語がこみいっているのであった。ああ、ほんとに他人の(といってもショウとかマコトとかレイとかの)英語力が気にかかるのであった。

股旅とマイレージといちごとビール

2011年09月25日(日)

旅行はきらいだが、やたらとマイレージがたまっておる。おかげで空港では、ちゃっちゃっとチェックインできるし、荷物は早く来るし、ラウンジも使える。成田のUAのラウンジはサントリーのプレミアムのドラフトが飲めるのである(ビールといえば、ANAの国内線では500円でCOEDOビールが飲める。でも降りたらすぐに運転なので、一度も頼んだことがない)。で、今回は今度の日本行きをマイレージでゲットしてみた。とても助かった。それでいろいろ調べてみたら、ANAのマイレージもJALのマイレージもたくさんたまっているのにいっこうに使ってないことに気づいた上、JALはもうすぐ期限切れになるのを知って、あわてておる。AAもたくさんあったはずなのだが、San Jose成田線を使わなくなってからというもの、UAしか使わなくなったので、ぜんぶ期限切れでなくなってしまっていた。こういうのに目端がきけば、もうちょっと生きやすくなるものを、忸怩たる思いなのである。
ビールといえば、先日、誕生日プレゼントにJミーがFruliというのをくれた。ベルギーのいちご味ビールで、ほんとに醸造にいちごジュースを加えてあるということで、小さくて濃そうなボトルに入っていたので、なにも期待しないで飲んだところ(あんまりどろりとした、バーリーワイン風ビールは好きじゃないのだ)それがっっ、おいしいのおいしくないの、じつに上品な味わいで、草の実(ベリーだな)どくとくの野趣のある上品さをうまくひきだし、かつビールはビールで、しかし苦みはすべて繊細なモルト味の裏にていねいに折りたたまれて隠されてある感じ、ひさしぶりに心から感動したのである。しかし惜しむらくはボトルのデザインがださいこと。工夫されたし。

漱石と親鸞とジンベエザメ

2011年09月24日(土)

そういうわけで漱石の声を借りて、息子と義絶する親鸞の手紙を現代語訳してみた。もともと前に訳した歎異抄の親鸞には、なんとなく、漱石の声をひびかせようとしていたのである。ずっと鴎外はすきだけど漱石は今いちといってきたのに、こうして読むと声が力強くておもしろいのなんの。とかいってたらトメがメキシコ旅行から帰ってきた。学校の旅行(どの学年からも行きたい人だけ行く。ほかの場所に行った子たちもいる)である。カリフォルニア湾に面したバヒア・デ・ロスアンヘレスというところで、4日間ジンベエザメと泳いでいたそうだ。すっかり日焼けして顔と背中と髪の毛が同じ色になっておった。アシカがまつわりついてきて遊びながら泳いだとか、泳いでいたらジンベエザメに触ったとか、イルカはもちろんだとか、天の川がきれいに見えたとか、すごいところに行ったものだ。旅行はきらいだが、そういうところならあたしも行ってみたい。

ひさしぶりに狩り

2011年09月23日(金)

きょうBookOffへいったら、森薫の「エマ」の8巻をみつけたうえ、1ドルセールのところで、ちょうど考えていた「アラベスク」を3冊(日本に持っていてさんざん読んだのにもかかわらず)、「ジパング」の第1巻を手に入れた。その上、岩波文庫の「漱石書簡集」。これは親鸞書簡を読み解く上でどんなに力になるかはかり知れぬものがある。ロンドンから鏡子夫人に書いた手紙がおもしろくてたまらない。
森薫はこないだ「乙嫁語り」を3巻読んでとっても感心したのである。マニアックであった。そしたらこの『エマ」もまた、往年の「バジル氏」をほーふつとさせ、しかしよりいっそうマニアックであった。とっても感心したのである。「アラベスク」は「テレプシコーラ」を考える上で必要だったのだ。そして「ジパング」は「僕はビートルズ」を考える上で必要であった。連載中は戦いばかりのお話もこのまるっこい顔だちもどうも興味が持てなくて、ろくに読んでいなかった。しかし「僕はビートルズ」を経てこうして読みなおすと、この1巻、ぞくぞくする。一人の作家が、ああーーこういうふうにこういうことを考えていたのかーと思い当たるのである。

しめきりと親鸞と手よみ

2011年09月22日(木)

しめきりを忘れていてがーっとやっておった。それは終わったがすっかり下界に戻れなくなっておる。眠ることもできなくなっておる。ここんとこ親鸞の書簡を読んでいるのだが、実にむずかしい。あんまりむずかしいので、twitterでOつかHかりさんに聞いたら、たちどころに答えがかえってきた。さすがである。そしてめんどくさいものだとばかり思っていたtwitterがけっこう便利だということに気がついた。というわけで、Hかりさん、ありがとう。でもやっぱりよくわかんないので、おもしろいことを考えた。「さうらふ」(「さうらひ」とか「候」もぜんぶ)を黒マルに、「たまふ」(「たまひ」とか「たまへ」もぜんぶ)を白マルに置換してやったのだ。そしたら、文章のなかにマルが白黒きれいに浮かび上がり、なんと親鸞の言いたいことがよくわかる……ような気がした。これが「手よみ」の真髄である。源氏とかも、こうやって読んでみたら案外すらすらと……読めるわきゃないでしょうが。

キノコと荒れ地

2011年09月22日(木)

公園に、枯れたプラタナスの木が3本あり、円を描いてキノコが生えていたのだ。昨秋みつけてまいどまいど観察をしにいっておった。そしたら夏の前に、そのうちの2本が伐られてしまった。ある日、公園にひさしぶりに行ったら(というのは日本に行っていたから)ぽこんとあったものがなく、土が盛り上がっていたのだ。しかしまたその跡地にキノコが円を描いて生えておる。地下にはまだ、分解すべき木の根がはりめぐられてあると見える。どういうわけか1本は伐りたおされていないが、傍目にみたら枯死しているのは間違いがない。そしてその周囲にも円を描いてキノコが生えておる。ところが、もう1本のまだ生きているプラタナスの木の周囲にも円を描いて以下同文。残り数本の生きているプラタナスの木には、円を描いて以下同文のキノコはない。これはどういうことなのか考えているところだ。このプラタナスの林は、荒れ地を渡った向こう側にあり、荒れ地が厳しく乾いて陽に焼きつけられているときも、そこに行けば芝生があって木陰がある。むかしはらくらくと荒れ地からそこへ歩いていった、そして帰ったものだが、このごろはそれができなくなっている。それで車で、芝生の際まで乗り付けて、芝生をぐるりと歩いてまわる。芝生の周囲は、荒れ地からつづく植物群で、一画にはトヨンの繁みがあり、あとはヤブテンテンや各種のセージやキュウリ草や遠見草などが生えている。ときどき地元のマツがおおきく繁る。外来の植物はなるたけ排除されようとしている。そしてその植物群のなかにウサギだの地リスだのが住んでおり、警戒担当のリスにみつかると、どこをどうのんきに歩いておっても、かんかんかんかんと甲高い、鳥のように金属的な声で、行く先行く先監視されつづける。いちどゴミ箱のなかに落っこちたリスを助けてやったことがあったのだが、恩返しは一切しない方針らしい。そしてニコはその植物群の中から出てきて芝生のへりで時間をつぶしているウサギたちを追いかけるのが大好きだ。一度、死にかけのウサギを追い詰めたことがあって寸止めした。追いついていればどうなったか。タケが、一夜干しのウサギの死骸をばりばりと頭から食べてしまったのは、その荒れ地の向こう側、あたしたちから見ると荒れ地の入り口のほうである。そっちは春には見事に花が咲く。

タケの訴え

2011年09月20日(火)

野生のリンゴが生ってるところがあって(だれも知らない公園の裏)今年もそこにリンゴ狩りにいこうとしたのだが、毎年へいきで行っていたのに、今年のタケにはちょっと酷なくらい遠い。ゆっくり歩けばOKかと思ってだましだまし行こうとしたが、道半ばで(1/5くらい)タケがびっこひいてかなしそうな目でこっちを見るのである。それであきらめて帰ってきた。しかし車に近づくにつれ、タケのびっこはなくなり、ふつうに歩けるようになり、そういえばと思い出したのが、まだ若かりし頃のタケ。散歩していて、もう歩きたくなくなると、すわりこんで足をさしだして「あしがいたいの」と訴えた。S子やあたしが、どうしたどうしたと言うと、もう片方をさしだして「こっちのあしもいたいの」と。で、じゃもう帰ろうかというと、ぴょんと跳ねあがっていきいきと歩き出したものだ。おそるべし、ボケてもまだあの技能が残っていたとは。きょうは公園にいくとき、車に乗り込むのに失敗してしばらく座り込んでおった。だいじょうぶだから、みんなやることだから、となだめて、なぐさめて(おもらししたときの父みたい……)車の位置を変えて乗り込みやすいようにして、再トライさせたのである。でもまた帰りに失敗してしょげた。夕方の散歩はちょいとそこまでの短いのだったが、家を出て5歩くらいしたら、タケが歩くのをやめたので、しかたがない、いったん家に帰ってタケだけ入れてまたニコと出直したら、近所の犬に襲われた(いつも襲われる)。タケがいなくてよかった。

カリフォルニアと犬

2011年09月16日(金)

カリフォルニア。6歳になったニコはあいかわらず一家の末っ子であるが、タケが、衰えたのなんのって。たった二週間で、こんなになるものか。下半身がかくかくになっておる。前からかくかくだったが、よりいっそう。ボールをくわえただけで、かくかくと崩れる。おっとっとと立て直す。ときどきぼーっと動きをとめる。「ボケたふりして」と言ったら、「ほんとにボケてるんだよ」とS子が言った。いやたしかに。ほんとにボケてるのかもしれぬ。公園では草を食べる。それは前から。よりいっそう草を食べる。ただぼーっと横たわって寝ておる。それがますます死骸っぽい。

阿蘇と犬

2011年09月12日(月)

きのうは「たぬき」の絵本(片山健さんの絵を待っているところ、あたしの仕事は終わった)の最終確認で、F音館のK森さんが熊本にきたので、たぬきの跡を案内するつもりだったのだが、K森さんとは、次に、草木成仏の、薬草喩品の絵本をつくりたいといっていたので、つい、高森の杉に案内し、感動され、つい、手野の水(と大杉の死骸)にも案内し、感動され、そんならこれは?と池山の水にも案内し、感動され…と、いい気になって結局阿蘇の比呂美スポットをぜんぶまわってしまったのであった。薄暮のなか、一心行の桜にもたちよったが、葉のついた桜の木は健康そうなおっさんの風情であった。山道で、思わず道の右側をはしってしまってたいへん怖かった。あたら若い編集者の命を散らすところであった。帰りに山道をくだっていくと(われわれは車で)脚の長めのバセットハウンドみたいな、くたぶれ果てた犬が必死で上りを走っていくのに出会い、K森さんと二人で当惑し、保護しようと車をとめ、外に出て呼んだけど、来ない。それで少し追いかけては停め、追いかけては停め、だいぶ上の方まで追いかけてもどってしまったところ、そこに停車中の車から人が顔を出して、「きたないからさわらないほうがいい」という。そして、走ってきた犬に「オイ」を声をかけて、ぶううと発車して上り道を走っていってしまった(その先には草千里とか火口とかしかない)犬は走って追いかけていった。口調はあきらかに関係者、というか飼い主だったが、なぜ? 犬を走らせ、自分は車? わけのわからない体験であった。きょうはゲルの解体、残した仕事。

馬4

2011年09月11日(日)

8鞍め。常歩、それから速歩で、柵の中をまわる。きのうは蹄跡がたどれずに柵から出てしまったが、きょうはきちっと蹄跡を歩けたし、走れた。カーブでバイクを運転しているときのように体が傾くから蹄跡がたどれなくなるそうだ。伊藤さん、またからだが前に出てますよ、馬を先に行かせて、自分はあとを追うつもりで。遅くなったら、脚をしめてぎゅうっと押し出してやるつもりで。馬の動きをいつもおしりに感じて。きょうで今回は最後、しばらくおやすみする。おやすみしたくないけど、カリフォルニアでは乗りたくないのでしかたがない。

馬3

2011年09月10日(土)

馬7鞍め、前回から引き馬なしで初めから一人常歩、それから一人で速歩を出す努力、まだなかなかうまく出せない。鐙の上にたつのもうまくできない。これができないと軽速歩ができない。きちんと柵の中を歩くことさえもけっこうむずかしいのである。先生はあいかわらず、伊藤さん、馬より先にいったらだめですよ、最初からやってやるぞーと力はいっちゃってますよ。でもいとうさんみたいに行きすぎる人を鎮める方がガッツのない人にガッツださせるよりかんたんなんですよ、とも言われた。東京ではしゃぎ、深夜までしゃべりさわぎ、熊本に帰り、すぐK掛先生歓迎会に駆けつけ、深夜まで飲んで、うちに帰って朝五時におきて馬にいこうってのは、好きじゃなきゃできないのである。

あーーたのしかった

2011年09月10日(土)

「青鞜」「詩人の聲」「吹きわたる風、アメリカの風」「比呂美の部屋沓掛さんの巻」とつづいたが、どれも盛会、盛況のうちに終了、みなさん、ほんとにありがとうございました。何人もの詩人たちが企画にかかわってくれ、協力してくれた「吹きわたる風」は感動だった。みなさんほんとにありがとうございました。そして正当文学古典の世界を熊本で体感できた「沓掛さんの巻」もまた。ありがとうございました。

馬2

2011年09月02日(金)

馬は、20年ぶりだし先生も代替わりしているので、まったくの初めから。20年前は障害やってたといったら驚かれた。それほどすっかり忘れておる。1鞍めはただ引き馬状態だった。少しだけ一人で常歩したが、伊藤さんかたくなってますよ、気持ちだけ先に先に一人で動いてますよ、からだがゆれてますよ、と。2鞍めはやっぱり引き馬、それからあぶみをはずして少し歩く。それからひとり常歩。呼吸ですよ、丹田にしっかり力を入れるんですよ、自分ひとりでいくんじゃなくて馬にいかせるんですよ。3鞍め(きょう)は、引き馬少し、常歩、引き馬であぶみに立って下りる、立っておりる。それから引き馬で速歩。呼吸しながら脚をしっかりしめて、馬の動きを感じる。伊藤さん、息がとまってますよ、あしがみだれてますよ、気持ちがどっかいっちゃってますよ。たいへんむずかしいが、できると自分でもできたと思うし、先生もできたと言うし、できてるみたい。たいていできていないが。馬場をひとりで駆けている人がいた。70で、障害に出ているそうだ。ずっと我流でやってきて10年くらい前からクラブに来ているそうだ。センパイを発見した思いである(こないだズンバのクラスで、前でおどっていた70代後半の人の動きは美しく、あのときもセンパイ…と思ったものだが)。あしたは東京なので、行かないつもりだったが、早足やりはじめてもっともっとという気になったので、あしたも早朝に行く。で、クラブの奥さんに、ほらまたそうやってのめるから…とひきとどめられながらも先に進む。前にやってたときは、前につんのめりそうになってやってたので、とても苦しかったのだ。きょうの馬は「プリン」(先生の子どもが命名したそうだ)で、今までの馬になくからだをなでたりさわったりしてなんか気持ちが通い合った感じ(でも速歩おわったら、このへたくそ、みたいな顔をしておった)。

あしたは朗読

2011年09月02日(金)

そういうわけで、あしたは京橋の東京ユマニテで朗読ですんで。
第616回「詩人の聲」
9月3日(土) ギャルリー東京ユマニテ
開場:5:30 開演6:00 
(土曜日、ビルは午後3時以降施錠中です。入口に案内人を置き、開扉いたしますので、時間を厳守して下さい!)
入場料 予約 大人2,500円
当日 大人2,800円 学生1,500円 (学生証呈示)

その前には
田町の女性就業支援センターで
14時から
「いま、青鞜を生きる」で平塚らいてうと与謝野晶子を朗読する。与謝野晶子、やっぱりすごいのであった。

   
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