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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

ルイとクズの葉

2012年07月27日(金)

某誌連載の「犬心」は、犬のことかいてるのかうんこのことをかいてるのかわからなくなるほど、うんこだらけの連載なのである。で、ルイだけど。どうしてるかというと、なにしろ歩くのが草だらけの土手なのだ。クズの新しい葉が出ている。虫くわれも少なく、触って気持ちよく、アレルギーも出ないのである。それを摘みとって、ルイのうんこをつつんで、遠くに投げ捨てている。うんこはクズの葉につつまれて、繁みの中に落ちて沈む。坪井の川のうらみクズの葉である。一度だけ、うんこがクズの葉から離れて、遠くの藪の目につくとこにひっかかったことがあった。しかしそれだって、あたし以外の人には気づかれまい。土へ帰るのだ。

ルイとTださん

2012年07月27日(金)

明日から盛岡(28日紅茶の店しゅん)、大船渡(29日地ノ森いこいの家で山浦先生と)、東京(30日夏の文学教室と同じく30日19時八重洲ブックセンター)なので、またルイをTだ動物病院に。こんどはついでに検査もいろいろしてもらう。ルイは別荘気分ですいすい入っていった。動物病院の前で硬直して抵抗するタケとはおおちがい。気がついたら、待合室で、ルイを抱いて待っている自分がいる。以前はリード持って漫画読んでいたものだ。その上、ルイは抱きやすくなった。抱かれやすく、というべきか。以前は抱くといつも、きゃん、といった。今はいわないで抱かれにくる。ルイとあたしの間に、やっとそれなりのボンディングが、と思うと、しみじみする。看護師さんにいろいろ説明してもらった、新しい犬をもとからいる犬に紹介する方法。しばらくケージに入れておいたほうがいいそうだ。ケージに入れて、あたしの動物部屋につれていったほうがいいそうだ。そしてやはり、とりあえずニコを(タケはもちろん)優先してやったほうがいいそうだ。犬は、順位をきめるのに年は関係ないそうだ。で、やっぱりいつかはニコが最下位になるような気がするのだ。

たぬきといえば……新刊のご案内「たぬき」

2012年07月27日(金)

「たぬき」
絵は片山健さん。題字も片山健さん。
ちいさなかがくのともシリーズ9月号
福音館書店

なつのあさ。
なっちゃん、なんかみた、なんだろな。
あ、かくれた。

3分で読めるから時間のない人にちょーおすすめ。
片山さんの絵がものすごい。前回の「なっちゃんのなつ」のときも
感動したが、今回はさらに。たぬきと出会っていくなっちゃんのお話です。

ルイとオオカミ

2012年07月27日(金)

ルイの挙止がなんとなく父に似ている。しかも死ぬちょっと前の父。のりうつったのかもしれないなあと思いつつ、散歩にいき、ごはんをやり、ときどき話しかけ、なでさすり、いっしょに寝ておる。おじいちゃんがのりうつったか? ときいても、ちょっと卑屈っぽい、疑い深そうな、でもほんとはそういうネガティブなことは考えてない、ただ上目づかいになるからそう見えるだけの表情で、こっちを見る。そもそも「飼い主」とはなにかという定義が、ニコやタケとぜんぜんちがう。うちのふたりは、なにか問題があったら、飼い主のところへ戻る、飼い主にたのむ、がまず解決の方法であったが、ルイは、長年、頼りにならないおじいさんと暮らしていたので、自分で解決する、が身に染みついているようだ。以前みた犬についての番組で、犬とオオカミの違いを実験していた。問題が解決できないとき、犬は飼い主に頼り、オオカミはなんとか自力解決しようとしていた。ああいう違いかも。じゃールイはオオカミみたいかといえば、ぜんぜんそんなことはない。丸くて好々爺っぽいが、実は偏屈ですけべな(こないだ10か月の雌犬と遊ばせようとしたが、むこうは遊ぶまんまんだったのにルイは見向きもしなかった。すけべそうに見えるだけでほんとはまったく関心がない)頭だけはよさそうな犬である。土手の上の一本道を、あたしの存在なんか気にせずにとことことことこ、あっちにひっかかりこっちにひっかかりしながら、あたしを見失ってもタケやニコみたいにあわてふためかず、悠長に歩いておる。昔、土手の上をたぬきが歩いて行くのを見た。どこかの散歩する人のあとをついていくように歩いていたが、たぬきだった。その歩き方とそっくりだ。体力もないらしく、ときどきよろよろする。歩きたくなさそうにあたしを上目づかいで見る。

Fauna

2012年07月27日(金)

うちの前に道がある。それを渡ると土手になる。のぼる。すると、坪井川の遊水池が見渡せる。なかはほとんど植物で埋まっているが、ところどころ市民有志が勝手に耕して畑ができている。遊水池のぐるりに土手があり、適当に整備されて、歩けるようになっている。その小道のどまんなかにところどころ虫の死骸と蟻の集団がいる。虫の死骸(ときにみみず)はまるで、蟻によってそこに埋葬されているように見える。死骸の周囲が掘り下げてあり、掘った分がさらにその周囲に堆くなっており、蟻がせわしなく動いている。でもそんなわけはないので、よくよく見ると、そこで解体作業をしているらしい。きょうはガマを見た。泥色かと思ったが、トノサマガエルみたいな色と模様がところどころにあるのだった。調べてみたら本名をニホンヒキガエル。英語はきっちり区別する(でないと、ローベルのあの名作童話が成り立たない)のがへんなかんじ。ヒバリもみた。ツバメもいた。ウグイスも鳴いてた。カラス、ハシボソかハシブトかわからない。ほかにもいろいろ、でも名前がわからない。

初坐禅

2012年07月26日(木)

J国寺は木曜日の8時から坐禅をやっている。40分すわって般若心経読んで(これはとくい)「普勧坐禅儀」の解説をきいた。だらだら汗が流れた。しかし40分は、うそ、というくらい早かった。10分くらいだと思った。あとこの数倍はある、がまんしようと思ったら鐘が鳴って般若心経が始まった。しかしやってるときは雑念ばかりだった。というか雑念しかなかった。いっときたりともそうでないときはなかった。

キジとルイ

2012年07月26日(木)

こないだ草むらに赤いものがあるので、はて?と見たらキジの頬だった。きょうは畑(市民が勝手に遊水池を耕している。こないだの大雨で水没したはずなのに、なにごともなかったようにサトイモやなにかが並んでおる)の土をつついているニワトリをよく見たらキジの雄だった。その向こうの草むらから大きな鳥が飛び立ったのでよくみたら雌だった。もう一羽、違う方向に飛んでいった。こないだ(4月)土手を歩くと、10メートルおきに「けーんけーん」と求愛されて、とにかく10メートルごとに雄がいた。というのは少しおおげさだが、少なくとも、20分かけて土手をぐるりとまわるうちに、3カ所で雄をみた。瞬間移動しない限り無理なので、それぞれ違う鳥だ。今回は鳴き声がしないからいなくなったのかと心配していたが、やはりあれは求愛の声で、4月がそういうシーズンだった。で、今は、ガマが間断なく求愛しておる。ぶおーぶおーと声が聞こえる。そういう土手を歩いているが、きょう土手の上を、ルイをリードなしで連れていたら、はっと見るとルイがいないのである。探し回ると、向こうのほうで、道をわたっているのが見えた。勝手に土手から降りて、道を渡って家に帰ろうとしたらしい。まったく信用できないのである。

開通

2012年07月25日(水)

あーーーくそ暑うございます。しめきりに追い立てられておった。ぐうたらでなかなか書けないというか、書かないからだ。ここはネット環境がわるいというか、わざわざ、地下にネット場をおいて、仕事場ではネットできないようにしてあったが、やはりそれではできたものを送れないし、なんだかんだと調べるのも不便だし、ついに、ついに、ついに、さっきベスト電器でながーーーーいケーブル買ってきてつないだら、これこのように仕事部屋のコンピュータにネットとメールが。鉄道がやっと西海岸まで到達したときもこんな気持ちであったろう。なんてこといってないで仕事仕事。

ニコの反応

2012年07月15日(日)

タケが脳梗塞(といってるが、ほんとにそうなのかはわからない)をおこしたとき、ニコの態度がへんだったそうだ。おしりを上げて、頭を低くして、タケにむかってうなったそうだ。ゆうべあたしが帰るとまっさきにすっ飛んできた(これはふつう)。夜、ベッドに入ると、ベッドにのってきて、しばらくあたしのおなかにすわって、撫でてもらいたがった。これはいつもはしないことだった。
今朝はS子とトメの合気道のテストだった。長旅でつかれた車を掃除していたら、ニコが当然のように車にのりこんできた。それでニコも道場につれていった。午後、ニコとあたしとで散歩にいった。夕方、トメもいっしょにまた行った。散歩いくよというと、タケが行きたがって足を動かした。クッキーとミルクだけあげるから、と言い聞かせてニコだけ連れて出た。

タケのその後

2012年07月15日(日)

ズンバとヨハネとルカ(山浦玄嗣先生の声)を聞きながら8時間を疾駆して帰った。タケはぼろぼろになっておったがまだ生きていた。あたしのことはちゃんと認めた。しかしクッキーやっても頭ががくがくしてくわえとれない(でも食べたい)のであった。痛み苦しみはない。ときどき何か不快なことがあると、ふうむふうむと言う。行って直してやる。「きのうは頭が下についてうつぶせになっていた、きょうは頭をきちんと上げている」とS子とトメがいった。
一昨日の第一報はトメから入った。S子は職場で動けず、けっきょく夕方までトメがひとりで世話をした。トメはよくやった。冷静にあたしたちに連絡し、冷静に対処した。
一昨日、電話でS子と話していたときには、S子ですら安楽死の可能性を言っていた。そうとう悪かったにちがいない。しかし昨日は落ち着いた。路上でトメとS子からつづけて「Take ga」云々というメールが入り、疾駆中なので読めなかったので「すわ」と思っていたが、渋滞にひっかかったときに見てみたら「Tateta」「Aruketa」ということであった(携帯メールなのでローマ字なのだ)。道々、安楽死の可能性を考えた。家に来てもらう巡回獣医というのがいるらしい。それを昔、友人に教えられた。しかし想像すればするほど、辛すぎるなあと思っていた。そういう形でタケの「生きたい」命を終わらせることが。
今朝見てみると、自力で歩けるという状態ではない。S子がタオルで吊りあげ、あたしが頭を補佐して、なんとか外に出るという感じ、帰りはS子が(まるでニコを抱きかかえるみたいに)抱きあげて連れ戻した。わりとリラックスして抱かれていた。おばさん犬のころは重たかったし、抱かれるのいやがったし、こうはいかなかっただろう。老いで、いろんなことが可能になる。ごはんをやったらがつがつ食べたが、きちんと頭をコントロールできないので食べこぼしがいっぱいある。夜はあたしの部屋で寝たきり垂れながし、昼は居間でみんなにみつめられておる。
ゆうべ、つれあいとS子とあたしとで、どうするか相談した。まだ安楽死の段階ではないと意見は一致しておる。あと数日であたしは日本だ。「おかあさんがいないときに、自分が決断を下さなければならない、というのがいやだ」とS子がいった。「そのときはおれがやってやる、ちゃんとサポートする」とつれあいがいった。こういうとき、犬嫌いのはずのつれあいが、あたしらとほぼ意見を一にして、いっしょに考えてくれてるのが驚きでもあった。一昨日は、トメひとりだったとき、仕事場から出てきてずっとタケの頭を撫でていたという。これも驚きだった。とにかく憎たらしいくらいの犬嫌いであったのだ。

スイートピーとメトロノームとタケ

2012年07月14日(土)

カノコのとこの犬のスイートピー(という顔ではないのだが)が、ピットブルミックスで、顔はピットブルそのものだが、下半身はピットブルにグレイハウンドが入った感じで、性格はまじでイタリアン・グレイハウンドのあのふるふるしながらなつっこく人にすりよっていく感じそのものである。タケやルイほど頭がよくないので、あっけらかんとしている。4匹いる猫のうち、メトロノームはとても頭がよく、性格が複雑だ。それであかんぼの出現に動揺し、あちこちにげろをはいて、赤ん坊ばっかり凝視している親たちにいやがらせをしまくっている。で、Pと反目しあっている(メ猫はもともとカノコの猫)。あたしが赤ん坊を抱いている間にカノコがメを抱くと、メはカノコのおなかをもみもみした。妊娠中にはできなかったんだそうだ。それもメ猫のストレスの原因だったそうだ。スイートピーはそこまでの頭がないので、穏やかにいつもどおりだ。ゆうべあたしは、スイートピーと抱き合って寝た。短毛の筋肉質のからだが温かく、あたしが手をかけても、まったく平気でされるがままにこっちにひっついて寝ておった。こんなになつっこい犬ははじめてである。ニコもタケもルイもこんなではない。きのうの朝、タケが脳梗塞の発作をおこしたらしいとトメから報告が。それできょう帰ろうと思う。

新生児と大雨と叙事詩とおっぱい

2012年07月12日(木)

カノコの子どもを見に8時間車をすっ飛ばしてきておる。そしたら熊本大雨のニュースが。出てくる直前にtwitterがおもしろくて目がはなせなかった。はなして出てきたんだけど。新生児はしきりに原始反射をしておる。親がいないときにおっぱい吸わせてみたら、ちゅうちゅう吸ったが何もでなかった。あの「じゅんっ」とみなぎる感じもこなかった。

朗読のお知らせ 7月19日「詩人の聲」

2012年07月10日(火)

すっかり告知を忘れていたーーーーー。朗読のお知らせです。いつもの「詩人の聲」。今回は移転新装のギャルリーユマニテで。これが、わたしの朗読のモトをつくっている企画であり、朗読会なんです。1時間たっぷり読みまくります。

「詩人の聲」(天童大人企画)
7月19日、木曜日
京橋のギャルリー東京ユマニテ

開場18:30開演:19:00
入場料 予約2,700円 当日3,000 円

ご予約は
ギャルリー東京ユマニテ
104-0031中央区京橋2-8-18昭和ビルB2
Tel 03-3562-1305, Fax 03-3562-1306
http://g-tokyohumanite.jp

朗読のお知らせ 7月20日「せんかわ劇場」

2012年07月10日(火)

なんとあこがれの沢井一恵さんと。長い間、やりたいやりたいと思っていたことだけど、いざできるとなったら、実はちょっとびびってます。これは巻上公一さんの企画。巻上さんも出ます。

20日19:00〜19:30
せんかわ劇場
くわしくは
http://www.sengawa-gekijo.jp/information/720jazz-art-.html

朗読のお知らせ 7月28日「お経のことばと詩とわたし」

2012年07月10日(火)

はじめての盛岡市です。どうぞよろしくです。

7月28日 19時〜
紅茶の店しゅん
会費2000円(飲み物つき)

お問い合わせは
紅茶の店しゅん
盛岡市中ノ橋通1-3-15 電話 019-623-3036

朗読のお知らせ 7月29日大船渡で、山浦先生と

2012年07月10日(火)

なんと、これは山浦玄嗣さん。あのケセン語の。311以来、あたしがどっぷりとはまりぬいていたあのケセン語の。自分が朗読するよりむしろ山浦先生の声に聞き惚れたい。

7月29日16:00〜
大船渡市 地ノ森いこいの家(でんわ  0192-47-4737)
入場無料

ユーカリと花

2012年07月08日(日)

ところで、ユーカリの花期は今だった。

レデボウリアとツユクサ科

2012年07月07日(土)

ずっと多肉植物の一種と思って名前も調べずに世話していたやつが(つまり買ったときはすでにマニア期のピークを過ぎておった)、窓際で、水が少なくてもへいきで生きてて花も咲かせていたやつが、この2、3日どうもツユクサ科じゃないかという気がして、しみじみと観察していたところ、葉をちぎったときのつゆの粘り具合や葉のつきかたなど、ほんとにとってもツユクサ科の感じで、やっぱりそうだと確信しかけたときに、はっと花を思い出し、それはどうしたってツユクサ科じゃなくてユリ科(いろんな分類のしかたによっていちぱん違う科のひとつだ)じゃないかという思いがわきおこり、さがしてみたところ、それはレデボウリアというものであった。そしてそれはキジカクシ科(ないしはヒアシンス科)で昔なら、ユリ科といわれていたものであった。このごろまた植物の世話をたんねんにしているから、カイガラムシとの戦いが熾烈である。てきとうに世話していたときにはこんなにカイガラムシはいなかった。じつは間近で見ないから、目につかなかったのだ。ザミオクルカスに殻状カイガラムシがつき、モンステラとアグラオネマに白いカイガラムシがついている。

独立記念日

2012年07月05日(木)

独立記念日なので静かである。教会も静か、通りも静か、荒れ地も静か。でも公園には、やたらに人が集まって肉を焼いている。犬たちは何も知らないで毎日の暮らしを暮らす。
夜になって、9時から花火だというので、海沿いの高台の通りに見に行った。よく見えた。デルマーのカウンティフェアの花火が大きいが、その向こうに(たぶん)Sea Worldのも遠く小さく見えた。もう一つその向こうにもさらに遠く小さく見えた。

うんこ臭いし舌も痛い

2012年07月03日(火)

しかし。きれいにぬぐい取れなかったのかもしれない。窓はあけっぱなしてあるし、タケは寝てるだけだし、うんこもしてないというのに、とってもとってもうんこ臭い。へやじゅうがうんこ臭い。窓をあけっぱなしにしておきたいから(網戸がない)ぴーちゃんを連れて来られない。で、ぴーちゃんはぷんぷん怒っている。しかしこないだぴーちゃんが水をのもうとしてつっついた舌がまだ痛いので、今、口のなかはいじくられたくない。ぴーちゃんは肩にのせるとすぐ何か欲しがって、あたしの口の中をつっつきまわるのだ。怒ってつっつくのではないからいいけど、ときどきこのように痛いことになる。水なんか、自分のかごに帰った時に水入れから飲めばいいのに、わざわざ、あたしの肩に来てあたしの口から飲もうとするのである。タケにはクッキーやるときにかまれるし、ぴーちゃんにはつっつかれるし、動物と暮らすのは痛いことだらけ。しかし以前、ユーフォルビアには毒を盛られたし、サボテンのとげがささったこともあったし、トラデスカンチャは植え替えのたびに手がかゆくなったし。異物と暮らすってのはそういうもんじゃね? ああしかしそれなら、つれあいとケンカするのも娘らに腹を立てるのも同じようなものか。動物はフィジカルな「痛さ」でぶつかり、植物とはちょっと違うがやはりフィジカルな違和感でぶつかり、人間とはメンタルな違和感や痛さでぶつかるのだな。

今朝のタケ

2012年07月03日(火)

今朝起きて、下におりてきて、きっとおもらししてるだろうなあとおそるおそる部屋をのぞくと、やっぱりしていた。タケはへいぜんとすわっていたが、そのおしりの下がべっとりと汚れていた。それでS子と二人がかりで、タケをたたせ、おしりをふき、しっぽをふき、床をふき、ベッドのカバーを洗濯し……。いつもは汚れると、あるいは脱糞すると、そこにいるのをいやがってよそに行くのに、きょうはずっとすわったままだった。

カイガラムシとキリフキ

2012年07月02日(月)

こないだウツボカズラをかっちゃって以来、気をつけてキリフキでキリを吹いている。ここんとこ何年もやってこなかった。ここ数年ほんとに行ったり来たりだったから、家の中の植物の世話がおろそかになっていたのだ。で、キリフキを流しの下の奥のほうからひっぱりだし、せっせと、昔のようにキリを吹いている。ウツボカズラにもアンスにもスパシにも、モンステラにも。このように小マメにやってれば、この頃とんとおみかぎりだった(あたしのほうが)アジアンタムやプライダルベールもOKかも。ここ数年、どうせ手がまわるまいと思うから、葉の厚い、カイガラムシにも強いものばかり買うようになり、またそういうのばかり残っていた。しかしキリフキしながらよく見たら、モンステラ、前は10枚くらいだったのに、20枚くらいに増えている。その上、カイガラムシもついておる。そこでさっそく消毒用アルコールで拭き取ってやる、とおもったら切らしていたので、つれあいの蒸留酒をちょっと借用して、綿棒でカイガラムシをぬぐい取っているそのとき、まだ若い葉をぽきんとおってしまってショックであった。

ニコと荒れ地と荒れ地草ポピー

2012年07月02日(月)

それで、散歩の足りないニコだけ(いやこれだけ小さいんだから、ほんとは必要ないかもしれないが)隣の荒れ地へ散歩に連れ出した。もうすっかり様がわりしていて、ピンクセンブリは跡形もなく、こないだは見なかった荒れ地ポピーがそこここに咲いていた。荒れ地ポピーは黄色いポピーみたいなきれいな花が咲く。2種類あって(私見であるぞよ)「荒れ地(木)ポピー」と「荒れ地(草)ポピー」がある。木ポピーのほうはその名のとおり(ったってあたしがつけたのだが)低木だ。だいぶ前から咲いておる。しらべてみたら本名を「藪ケシ」Bush popyといってほんとにケシ科だった。草ポピーのほうは、くさむらに今、咲き出した。これはなんと、ユリ科であった。本名を「黄色ちょうちょユリ」yellow mariposa lilyといって、茎だけが伸びて葉は見えなくて、花弁が3つしかない大輪の花がてっぺんにつく。荒れ地(草)ポピーとかキャスカ草とか女王花とかは、ピンクセンプリやこのたびの旅でさんざんみたジギタリスみたいに群れて咲くということがなくて、どんなにさかりでも、ここに一つ、あそこに一つ、というふうに咲いている。

下の世話おそるるに足らず

2012年07月02日(月)

父の最後の2日間くらい、立ち上がるのもつらそうになっていて、かかえてトイレにつれていったり、下痢したというからおむつパンツをやぶいて、おしりをきれいにしたりした。母のも、入院したばかりのとき何回かやった。おまるもきれいにした。最後にそういうことをさせてもらって、ほんとによかったと思う。あれを経験して、「たどりついた」「のりこえた」気がした。たかがうんこやおしっこで、不思議なことである。しかしやっぱり、楽しい、すごくやりたいことじゃけっしてない。だから、そんなに何回もしないですんだのも、ありがたいことだった。そしてタケについても、同じことだ。いや、タケは、とにかく今までの14年間、まいにちタケのうんこと向かい合ってきておる。某所で連載中の「犬心」(いぬごころ、と読んでください。音で読むと、よその小説と同じになってしまう)なんて、うんこの話題だらけで、犬のことかいてるのかうんこのことかいてるのかわかんなくなっておる。きのうのブログを読んだ友人たちから、安楽死させないよねえ? というメールがきておるが、し・ま・せ・ん。タケ本人に苦しみがないかぎり、下の世話おそるるに足らずである。

タケとひどい下痢

2012年07月02日(月)

朝ゴハンのときもタケはまだぐったり寝ていて、鼻先にゴハンをよせて、「ほらゴハンだよ」といわないと起きてこなかった。そしてよろよろと起ちあがり、すべりながら台所にきて、食べたけど、やっぱり少しだけ残した。それからまたすぐに部屋に戻って横になったが、状態おこしたままで「う」という顔をしておる。おかしいなと思って見ていると、少しいきんでぶぶぶぶと激しい下痢を。片づけるのはたいへんであった。しっぽの下にもいっぱいついていた。でもなんにもへんなものは食べさせなかったのである。いつもどおりターキーの煮たのとシニア用ぽりぽり。この頃は、晩ゴハンには、いつもと違うものはやらないようにしている。すごくおいしいおかずがあった日には翌朝まで待ってやるようにしている(むかしは夕食のおかずのおいしいところを少し取り分けてタケにやったりしていたものだ、それでうちのメニューはときどきわざとタマネギ抜きだったりしたものだ)(ケーキのたねを混ぜて型に入れた後のボウルやクリームをたてたときのボウルはかならずタケがなめとることになってたものだ)。
お昼すぎに、いつもの朝の散歩に連れ出したところ、また下痢便をてんてんと垂らして歩いた。歩道の上、教会の入り口に、てんてんと。拾うに拾えず、公道なので申しわけなく、いったん2匹を連れて帰ってから(階段のある戸口から入れないような気がして、裏口にまわってそこから家の中に入った。タケはゆっくりゆっくりついてきた)、また紙とキリフキとゴミ袋を持っていってキリフキで湿らせてから、紙でぬぐい取った。南カリフォルニアの日差しは強く、あっという間に半乾きになってしまうのであった。しゃがんでコシコシやっていたらS子が加勢にやってきた。日曜の午後で、教会にも通りにも隣の工事中の分譲地にも、人はいなかった。きょうの散歩はほんとうによろよろしていた。父ならば「歩きたくねえよ」といわれるどころじゃない、「こんなことさせないでくれよ」と懇願されそうな感じである。そんなによろよろしているのに、クッキーをみせるとついてきて、犬のふりして歩いてにおいかいでおしっこしたりするのであった。おしっこしてるとバランスをくずしてへたるのであぶないのであった。どんなにかったるくても、散歩して陽に当てないと筋力は弱るしどんどん衰えが……と思うから毎日クッキーでつって歩かせているのであるが、この衰え方だと、しばらく散歩はさせずに、デッキを歩くだけにしたほうがいいのかもしれない。下痢で体力を消耗するようなのは、父のとおりだ。ぐったりと寝ておる。おなかを見るとしずかに上下しておる。

ズンバとCD

2012年07月02日(月)

前にズンバ仲間のA子さんからもらったズンバのCD、車のなかに再発見して、かけてみたらのれるのれるのれる。踊りながら運転しておる。知らなかったが、今のヒット曲とかラップとかも入ってるそうで、娘たちが、なんでおかあさんがこんなCDもってるの、と驚いておる。ふん、あたしだって。しかし音楽そのものは、なにか(知ってるもの)となにか(知ってるもの)の寄せ合わせが多いような気がする。こないだの旅でトメのiPodに入っていた日本の音楽のことばがほんとにひどかった。きまり文句でできているのだ。トメはそんなに多くもっているわけではないので、いくつかしか聞かなかったが、ほんとにひどかった。英語とかスペイン語はわからないから気にならないだけで、きいてみたらこんなふうなのかもしれない。

夜半のタケ

2012年07月01日(日)

夜半。なんとなく生臭いのでタケを見ると、目を覚まして上体をおこしている。息が荒くて、たまにふうんふうんと言ってるが、苦しそうなわけではない。撫でてやると気持ちよさそうに顔を伸ばす。クッキーをみせて、タケ、トイレいこうと誘ったら、よろよろと立ち上がって、転びそうになりながらついてきた。今日、ベッドから部屋の出口までラグをしいてみた。だからそこは転ばずにすんだが、やはり廊下を歩くときががくがくのよれよれで、ひっくりかえりそうになるのを危機一髪でささえるというのを2、3回くりかえしながら外に出て、おしっこをしてデッキをよろよろとひとまわりして帰ってきた。そして今はまたぐったりと寝ておる。今日、友人のDとお茶していて、タケはスリープさせないのか(安楽死のこと)と聞かれた。

タケとさらなる老い

2012年07月01日(日)

少し前にも、タケが眠っていると生きてるのか死んでるのかわからないと書いたが、このごろはもっと切実に、死んでるんじゃないかと息をひそめて様子をうかがうことが多くなった。死骸により近づいた寝方をしているというより、タケの起居ふるまいがますます死に近くなってるので、ちょっと動かないと、あ、とうとう、と思ってしまうのである。前よりも、あたしの部屋でぐったりと寝たまま過ごしている。立ち上がろうとすると、床がすべるので立ち上がれなくなって、足をひらいたままぺしゃりとへたりこむ。まるで生まれたてのバンビのように、とS子が描写した。こないだはごはん中に、トメがとつぜん立ち上がって走っていったのでなにごとかと思ったら、タケのひーひー声を聞きつけて助けにかけつけたのであった。うまれたてのバンビみたいになって動けないでひーひー泣いていたそうだ。散歩から帰ったときにも、戸口の前の階段をあがるのがむずかしくなっていて、よろける、あるいは落ちる。それで、よろけるのを支えてやる。タケはまるでからだをあたしの脚やゴミ箱や冷蔵庫に投げつけるようにして先へすすむ。こないだは家に帰りついたときに、前庭でリスを追いかけるニコに気を取られていて(障害を飛び越える馬みたいに差低い柵を跳び越えて追いかけていった)はっと気がつくとタケがいない。もしやと思って道に出てみると、家の手前の歩道の段差のところでうち転び、バンビというより父のようにへたりこんでいて、そのまわりを学生が何人かで取り囲んでいた。助けあげにいくとみんなほっとしていた。ニコが表に飛び出しそうになったので、ダウン、と激しく言いつけるとしゅんとしてそこにすわった。これは、スワレじゃなくてフセのコマンドなんだがてきとうに坐るのがニコである。こっちはとっさにタケ用のコマンドを出しただけだ。タケの腰を父みたいに抱え上げながら、「ただ彼女は立ちあがれないだけだから心配ない」というと「why? 」と不審そうにきいてきた(まるであたしが虐待してるかのように)。「彼女はとても年取っているから」というと、おーーーー(納得)と。そもそも、散歩そのものも、よろよろと傾きながら歩くのだ。「かったるくてしょうがねえよ、歩きたくねえよ」という父の声がそこにかぶさってくる。段差のあるところは通れなくなったし、歩道が切れるところはすごく気を使って一歩一歩歩かせるようになった。寝たままうんこをもらしこぼすのは毎日のことになってすっかり慣れてしまった。今朝は少しだけごはんを残した。でも散歩にいくとき、あらやだ残してたのね、といわんばかりにがつがつときれいに食べあげようとしておった。食欲の問題じゃなく、目がわるくなってツブがみえないのと、首がまわらなくなってきれいになめ取れないのが理由らしい。父が、食べながらぼろぼろこぼしていたようなものだな。

蒼ざめて透明な

2012年07月01日(日)

今日、ズンバで、ズンバ友だちのPが、踊ってるときにつかつかと寄ってきて「これあげようと思って」とゴムバンドをくれた。腕につけるやつ。よく子どもがつけているような。「LIGHTEN UP ZUMBA」とかいてあって、ぐるりにピンクの鈴がついていた。しかたがないから腕につけて踊りつづけたが、しゃらしゃら鳴るので、「蒼ざめて透明な真のロマンチックバレエ」を踊ってるような気分であった。で、それ以来ずっと腕につけておる。

   
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