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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

めがねとかたづけ

2008年07月31日(木)

めがねがこわれたので、めがね屋に直しにいき、ずっとしてなかった検査をされ、新調もした。ほんとは大宝堂(熊本のめがね屋)でつくりたかったが、待ってるひまがないので、しかたがないから近所の行きつけのとこでつくった。高かった。机の上をさらに片づけて、コンピュータのとなりでお習字ができるようにした。これで「風信帖」も手の内ぢゃ。このごろやっていなかったのは熱がさめたせいだ。また「とめはねっ」を読まねば。あたしの日々はこうして漫画に影響されて成り立っていくのである。

バットマンダークナイト

2008年07月30日(水)

ごはん急いで食べて、ダークナイトを見に家族全員で出かけたら、映画館の前はいつぱいの人出(中原中也から声をお借りしました)。全員一致で日を改めようということになって帰ってきた。帰ってきて気がついたのは誰ひとりとしてバットマンビギンズを見てないということだ。

むかついた

2008年07月29日(火)

一日人生にむかついていたので、とくにトメに、夜半、機嫌を直しに、またMONGOLへいったが、眠たすぎてうつらうつらしながら見ていたのだった。おかげでいちばん好きなシーンは、見損ねた。見終わったら12時すぎて、がっくりと車影の減ったフリーウエイを疾駆して帰ってきた。疾駆しすぎて、自分でもコワイと思ったくらいである。

しめっている

2008年07月28日(月)

カリフォルニアというのに、なんだかへんに湿っている。でも雨はずっと降ってないから、土はからから。イギリスにいって、気づいたというか、諦観したというか、達観したことがひとつあった。それは、カリフォルニアではあたしはあたしの好きなような植物の繁茂はのぞめないということだ。このごろ前庭に出て、いろいろといじくっていた。家の中でミドリノオバサンやっていたときにはあんなに何もかもが繁茂したのに、今は、無残である。これはすなわち、ここは日本でもイギリスでもないからだ。ここに適応するのは、多肉植物とサボテンと、あと名も知らない、水やりしなくていい灌木類ばかりである。あたしは、名前を知ってるものをそだてたいとつねに思ってきたのだが、室内植物にかんしては、もうそれはアキラメタ、呪文と思い、神話に出てくる人名や神名と思えば、なんでも覚えられる。サトイモ科とツユクサ科がほとんどだし。しかし、外の植物は、名前をしってるもの、見知ってるものを植えたかった。知ってるもの、見知ってるものは、ここじゃ育たない。

前橋では

2008年07月27日(日)

前橋文学館で、「伊藤比呂美ー『草木の空』から『とげ抜き』まで」展がきのうから開催してます。もっと早くこれを書けばよかったのだが、どうしても目の前にあることを書いてしまう悪いくせが。
前橋文学館のK林さんには、これでもか!というほどお世話になった。ここ一月ほど、K林さんとの連絡の密なことといったら、まるで机をならべていっしょに作業しているようなコラボ状況であった。もちろんあたしはいつもそこにいないので、作業はぜんぶK林さんがやってくれるのであるが、その作業の流れがいちいち伝わってきて、たいへんおもしろく、楽しく、展覧会づくりに加担することができた。K林さん、ほんとにありがとうございました。
くわしくは
http://www15.wind.ne.jp/〜mae-bun/

かたづけ

2008年07月26日(土)

きのうから2年ぶりに片づけしようという気になり、いや気だけはいつもいつもしてたのだが、やっとしはじめたのである。新しい仕事にかかりたいが、本がどこにあるかわかんなくなったためで、とにかくいったん視界をクリアにして、本を並べ替えて、必要なものはいつでも手に取れるようにしておかなければということになったが、本が、捨てられない。とくにこんなとこまではるばるやってきた本だと思うと、雑誌のたぐいも、捨てられない。ミシガンにいる日本文学研究者JフリーがひきとってくれそうなものはJフリーに送る。日本人学校に持って行けそうなものは持って行く。BookOffに売れそうなものは売る。でもいずれにしてもなかなか行動に出ないので、たまっていくばかり‥‥。部屋の中をほじくり返したら、こまごまと、こまごまと、いろんなものが出てきた。

ねずみ

2008年07月25日(金)

ほぼ二週間、うちにはだれもいなかったのである。犬も人も。それで帰ってきたら、ひさしぶりにねずみがいた。ニコが帰ってきたからには、やがていなくなるだろう(パピヨンはねずみ狩りがねこなみにうまいといううわさ)と思っていたら、今朝、子どもらが箱の中にとじこめた。隣の藪に捨てにいったが、おっぱいの大きいねずみであった。調理台の引き出しの中ではいろんなものがかじられている。

疲れとくまぜみ

2008年07月24日(木)

疲れがぜんぜん取れない。しかし父の不満げな声にせきたてられて、日本行きの切符を手配しつつあるが、ほんとに、マジに行きたくない。
で、くまぜみですけどね、大家さん。あたしもあれにはおどろいた。熊本ってせみがみーんみーんでもじーじーでもなく、しゅわしゅわと鳴くんですもの(おーしーつくつくはいると思う)。それでも熊本の幼児たちは保育園で、せみはみーんみーんと鳴くと教わってきます。そんなふうに鳴くせみの声をきいたことがあるのかと子どもに何回もつめよったことがある‥‥。
熊本、暑かったですか? 

イギリス旅行のまとめ

2008年07月23日(水)

イギリス旅行、リバプールのあとは何をしていたかというと、メルセデスベンツを運転していたのである。Wemを昼前に出て、Stroudという小さい町へむかい、とちゅうSusie(とナビに名付けた)も知らない道路封鎖にでくわして、あたふたしながら、高速自動車道路を疾駆して、Stroudへいき、旧知の人々にひさしぶりに会い(子どもらは前に会ったときの10倍くらい背が伸びていた)、そこから一路ヒースローの近くのホテルにむかった。ヒースロー空港ターミナル4は、ものすごく雑然として不手際であった。パスポートを旅行者からとりあげて、どこかへ持って行ってチェックしたりするのである。搭乗券はまちがって発券するし、荷物は一つ、届かないし。コンチネンタル航空の中は、シンガポール航空よりいいかもというくらいビデオがそろっていて、わきめもふらずに、The Other Boleyn Girlと、フォレスト・ガンプと、ビューティフル・マインドと、それからゴッドファーザー1の、マイケルがレストランで人殺しするとこまで見てたら、ヒューストンについた。10時間は短かった。そこから、いたたまれないくらい眠くて疲れて不快で辛い3時間のフライトのあと、サンディエゴについた。犬たちは一足先に帰ってきていた。家の中が臭かった。御飯炊いて食べた。いろいろ飲んだエールは、WemのローカルなPostmanがどうのというのがいちばんおいしかったかも。

あたしはカリフォルニア、大家さんは熊本

2008年07月22日(火)

カリフォルニアに帰りついた。犬はよろこび。人はぼろぼろ。また時差ボケである。帰りついて疲れはてて、二三日電話してなかった熊本の父に電話したら、しみったれた不満声で、「いつ帰ってくるの」ときかれ、8月の半ば、と答えたら、「えーーまだまだじゃないかー」といわれ、うーーーんざりしている。
今ごろ大家さんが、ものすごく暑いといううわさの熊本で、講演とおたあジュリアの宇土散策と飲み会をやっている。熊本のなみなみならぬ暑さを伝えきいてるから、とってもお気の毒。でもこの暑さが熊本の植物をそだて、人の根性をつくる‥‥のである。暑さに負けぬよう、ご盛会を祈ります。

ビートルズ

2008年07月19日(土)

リバプール。冷たい強風が吹き荒れていた。トメにつきあってビートルズ博物館、そしてPenny Laneにいったら、ちょうどマジカルミステリーツアーという黄色いサブマリン色のバスがとまって、人々がカメラもって降りてきた。トメはそのバスも撮っていた。

Powisのお城とWales

2008年07月18日(金)

4泊したSnowshillの宿を発って、Walesに、ヘレフォードといえば子どもの頃、動物図鑑で、牛の品種として覚えたところだが、そこ経由で、「黄金の谷」、それから「黒い山」、そしてWalesに入って、標識にウエールズ語と英語が並列してあるのを見ながら(これが見たかったのである)山越えをして、Powisのお城に。そしてWemという小さな町に。

職人とドリンコート城と鷹匠

2008年07月17日(木)

Chipping Campdenはおもしろい町だった。町全体が石造りで、職人のギルドとその美術館があった。八百屋さんでグースベリーを買った。それからトメが馬に乗りにいった。トメは、熊本で乗り慣れたアメリカ人なので(阿蘇はウエスタン乗馬がさかん)、英国式ははじめて、ポスティングにまごつき、おしりと股にあざができたといいながら降りてきた。それから鷹匠センターに鷹を見にいった。そこはものすごく広い敷地に植物がたくさんあって、樫の大木があって、マムシグサも生えていて、ゼラニウムもたくさんあって、そして鹿や鷹や梟がたくさんいた。鹿はその敷地に生息しているのであった。ドリンコート城もかくやと思われた。Harris Hawkという鷹を手にのせた。うちのぴーちゃんより重かった。餌は死んだひよこをちぎったのだった。昔、立花隆のインタビュー本で、鷹匠になった青年の話を読んだのを思い出した。黄昏の細道で、雄のキジを見た。

グロスターの聖堂とチェダー峡谷

2008年07月17日(木)

黄昏どき、田舎道を夕方ゆっくりB&Bにむかって走っていたら、partridge (と夫がいった)の群れが道路の上にいて、逃げていった。飛べないらしくていつまでも道路の上を走っていた。しかたがないので伴走してやった(むこうは逃げてるつもり)。そしたら向こうで大きな野ウサギが跳ねた。あとは、一日中運転していたわりにはつまらない一日であった。

ストーンヘンジ

2008年07月15日(火)

ストーンヘンジとAveburyの石と岩と空。ヒツジの群れと糞と草。

メルセデス・ペンツ

2008年07月14日(月)

レンタカー、フォードの安いやつを予約していたら、何かの手違いか、在庫切れか、とにかく用意されていたのはメルセデス・ベンツ。頼むからこれを借りてくれ(値段は同じ)といわれて、しょーがねえ、据え膳食わぬは女の恥、それで走り出したら、おもしろいのなんの。うちのMINIよりずっと重たくて、前うちにあったぼろぼろのボルボより素早くて、これが少佐のご愛用車かと思うと、「彼」と呼びたくなる車である。これで穏やかなイギリスの田舎を疾駆するのはなんとなくもったいなく、これよりもっと広いスピードを出しまくれるところを走りたいものだと(たとえばカリフォルニアとか)思ったのであった。しかし車を運転してるだけでなく、観光もしてます。田園風景はもう目が覚めるほどきれい。エールはうまいし。フクシャとゼラニウムとベゴニアがどこの家にも咲いてるし。
ロンドンの最後の一日は親戚訪問で、つれあいの弟(うり二つ)とその息子夫婦と娘夫婦と娘夫婦の娘たちとおひるを食べたが、イギリス英語の会話がちっともわからなかったので、息子の妻である日本人のR子さんと漫画の話に終始したのである。地獄で仏の思いであった。その夫のNサンは、MontyPythonを地で生きてるような人で、しゃべっていると、世の中で何がほんとで何がうそかぜんぜん信じられなくなってくるのであった。いっちゃ悪いがアメリカ人って、「おなら」と「げっぷ」でしか笑わないので(あたしがいったんじゃないもん。アメリカ人として生きている娘がいってるんだもん)そのMontyPythonぶりが、ほんとうに可笑しくて奇妙でそして目が覚めるほど新鮮であった。

池澤さん講演会大成功‥‥のようだ

2008年07月12日(土)

文学隊のみんなから、ぞくぞくと池澤さん講演会の報告がくる。

Natual History Museum(ここには日本オオカミの毛皮が収蔵されている、一般公開はしてないけど)それから大英博物館で夫の案内でアフリカ。きのうはNサンの案内で大英博物館のエジプトとギリシャとメソポタミアだった。博物館ばっかりいってるように見えるが、じつは一日の大半をレストランで過ごしている。きょうはスーパーにいく程度のかっこで外を歩きまわっていたが、きのうのオペラ、これで行くよりは、あそこまで汚いかっこしていた方が、まだ「旅行者」丸出しでよかったかも。しかし一生の不覚であった。おばさんなのである。そういうことがすごく気になる。

ロイヤルオペラ

2008年07月10日(木)

たまたまロイヤルオペラの当日券売り場にいったら、フィガロの結婚が買えた。三階席二枚と特等席一枚。これはラッキーだからぜったい買わなきゃと、ロンドンを連れてまわってくれたNサンにいわれて、地下鉄のポスターで見ていて、みたいけど無理だろう(シェークスピアはネットで探してみたが、Globeも、Stratford-apon-Avonも、どっちも、どの日も、とれなかったのである)とはなっからあきらめていたので、ラッキー、と思いつつも、ちょっとびびり、「だってあたしはこんなふだんぎ以下の格好をしているし」といったら、「へーきへーき、ドレスアップした人もいるけど、そういう格好の人もいるんだから」とNサンも、チケット売り場の人もいうので、その気になったのである。フィガロならぜんぶ覚えてるしー。と・こ・ろが、その席はちょー特等で、まわりはドレスアップして、香水つけたおばさんやおばあさんやおじさんやおじいさんばかりなのであった。こんなとこに、3階席ならまだしも、こんなとこに、こんな、うんこ袋持ってないだけの犬の散歩なみのかっこで来るなんて、一生の不覚であった。でも楽しかった。寝るだろうと思っていたトメが「おもしろかったーー」と途中休憩で降りてきて(サラ子はもちろん寝てなかった)、最後まで楽しく見切ったのである。朝はロンドンアイ、午後はNサンに連れられて大英博物館、それからコヴェントガーデンで子どもらが買い物(あたしは買い物だいきらい)、それからロイヤルオペラ。バジル氏の生活みたい。ってバジル氏がロンドンアイにのるわけないっつーの。オペラがはねたら、入り口のところで夫が待っていたが、はっとするくらい小汚かった、いつもどおりであるが。彼はこの小汚い格好で、どっかで講演していたのである。近所の小さなフレンチで遅いごはんして帰った。ロワンディシー‥‥よりもっとずっとカジュアルなところ、しかし食べおわったら12時であった。ヨーロッパはベルリンもそうだったが夜が遅い。いくらでも店があいている。カリフォルニアは、8時というともう遅い客になり、9時には店が閉まりはじめる。

2008年07月09日(水)

ロンドンは雨である。

ロンドン

2008年07月08日(火)

夫のショウのオープニングだった。

観光

2008年07月07日(月)

ベルリン自由大学のEレナさんに連れられて、ポツダム広場からティアガルテンを通ってブランデンブルグ門、まるで往年の鴎外みたいな心持ちでウンターデルリンデンを通り、ボーデ博物館へ行き(鴎外記念館にいきたかったがしまっていた)キリスト教中心の膨大な古美術を見つくして、へろへろになって戻ってきた。Eレナさんは「日本の私小説」について論文をかいてるところで、それについていろいろと情報提供したいと思ったが、あたしなんかよりずっと多く読んで深く考えているのである。
ところで旅に出る前に読み始めて今も読んでいるのが「モンゴル軍のイギリス人使節」という本。「MONGOL」にはまったせいで、昔買ったが読みにくくて途中で放り出してあったこの本を思いだし、書棚から掘り起こしてきた。読みにくかったのはおそらく著者の偏見(ハンガリー人なのでどうしてもヨーロッパから見た見方をしている)のせい。でも今なら読める。モンゴルたすイギリスで、今のあたしにぴったりなのであった。
夜、ひとりでホテル。ホテルからすごく近いベルリンフィルの切符を買おうとしたが買えなかったし、ベルリンでは何もすることがないので(富岡多恵子から声をお借りしました)テレビをつけたら「ジェレマイア・ジョンソン」(邦題は「大いなる勇者」)がちょうどはじまったのである。‥‥ううう、これは、十数年前に見て、感動して、しかし辛くって、しばらく映画を見られなくなってしまったような記念碑的映画なのである、あたしには。しかしきょうのジェレマイア・ジョンソンはドイツ語をしゃべっておる。まるで、クラウス・フォン・エーベルバッハのようだ。しかたがない、見るか。

ベルリン

2008年07月06日(日)

とうとう来ちゃったのだが、なんであたしが旅がきらいかよくわかった。荷造りの過程で、必要なもの(本、衣類、書類)を見落としてないか、強迫神経症的に、きりきりするのである。そのきりきりがとてもつらいので、いつも荷造りを先延ばしにして、寝る時間がなくなって、空港についた時点で、心身ともにぼろぼろになってるのである。それもとてもつらい。今回もつらかった。旅慣れてるはずなのに、どんどんひどくなる。一回一回の小さいトラウマがつみかさなって大きくなってるのかも。トラウマというよりアレルゲンのような気がする。とにかくベルリンだ。人々はぜんぜん太ってない。やはりアメリカというところは、ほんとに不健康なところだとこんな遠くに来てまでしみじみ思った。しかし喫煙者が多く、喉的には、それを避けねばならない。それは不便である。PoesieFestival Berlin2008というので朗読をしたのだが、じつに、つまらなかった。このごろいつもこれだ。ケネディセンターでやったときもこれだった。ノレないのである。時間もないし、2行おきにすっとばしたりしちゃっている。どうせわかんないだろうと思って。今回はそれをやると、いかんと思って、すっとばさないように、ちゃんと読んだ。でもゆっくりしゃべる時間がなく、笑いはとれず、たいへん未消化な感じなのであった。緑は多い。ビールはうまい。出会った人はみなおもしろい。それでよしとするか。PoesieFestivalの管理人さん(若い女)が日本文化のコミックを読んでみたいがよく知らないので‥‥といってるので、漫画評論家としては、Naoki UrasawaのMonsterと、Takehiko InoueのVagabondと、Yasuko AoikeのFrom Eroica with Love(訳はあってるのかどうかしらない)を是非読めとすすめておいた。

ゲルの解体

2008年07月04日(金)

落ち着かない。ゲルの解体といっても荷造りは後回しで、植物の世話ばかりしている。いない間にサンタアナが来たら万事休すだと思うから、外のもので中に入れられるものは中に入れ、植えられるものは植え、吊してあるものは下に降ろして、留守の間、一週間にいっぺん来てもらうように頼んだLシーが水やりしやすいようにしている。鳥たちは全員Gルのところへ連れて行った。Gルは無類の動物好きなので安心である。Dアンが預かってくれるといってたが、Dアンちには猫が3匹いるので生還しないかもしれないと考えた。ニコはBリーのところ。前にもお泊まりさせてもらったし、Bリーにも娘のLセットにもなついているので安心である。気の毒なのはタケで、こういうとき頼めるDリンちには病人がいて、今回は頼めない。そこで近くのペットホテルに預けることにした。タケは、こういうところが大嫌いなのである。わかっている。悪いと思っている。心から、すまないと思っているのである。なんとなく勘づいてるらしく、タケの挙動はこの頃不審である。

矢尽き刀折れ‥‥

2008年07月03日(木)

まだ仕事は残っているが、もう時間切れ。出発の用意をします。いつもはその晩にはじめて、二三時間しか寝ないで空港へ、という感じで日本カリフォルニアを行ったり来たりしてるが、今回は、子どもら全員連れて行くので(みんなとロンドンで落ち合う)、ゲルはたたまねばならず、羊は集めねばならず、子どもらはみんなまとめて、大きい子には荷物を背負わせ、小さい子は負ぶっていかねばならず、いや、以前は負ぶっていったが、この頃あたしはトシなので、もう負ぶうような小さい子はいないのだった‥‥。ああ、まだMONGOLから、頭が離れていかない。そこで夜、子どもらが友人を連れてきて、みんなで映画見るといってるので、じゃーあたしはまたMONGOL見てくるといって、ひとりで夜のショウにいったのである。何が見たかったのか、よくわかった。そしてこの映画は井上靖の「蒼き狼」とかとはぜんぜんちがって、歴史物ではなく、神話物である、ということがわかった。昔、少女のころ、「蒼き狼」は熟読しつくしていたので、出てくるモンゴル武将は味方も敵もみんな名前を知っていた。だから、歴史との接点もあるにはあるが、しかしどの人も、名前なんかどうだっていいように出てきては消える。「蒼き狼」も最初は神話からはじまった。「そのもの蒼き衣をまといて黄金の野に降りたちぬ‥‥」。おっと神話をまちがえた。「蒼き狼となまじろき牝鹿‥‥」だ。とにかく、モンゴルの神話を映画化する、というのが監督の意図であった。そうしてみると、きてれつなストーリー展開も納得できた。そして浅野忠信はじつに愛らしく笑い、歌い、馬に乗り、愛して愛され、戦っていた(みんな、あたしがやりたいこと)。とくに後ろ姿がえもいわれぬうつくしさ。さー、ゲルの解体、解体。

きゃーーーーーーー

2008年07月01日(火)

「MONGOL」見たっっっ。なんにもいいたくないくらい浅野忠信がかっこよかったっっっ。映画は、まあストーリーにむだもあったが、でもおもしろかった。そして浅野忠信がかっこよかった。エンディングはホーミーっぽいロックというか、ロックっぽいホーミーというか。ことばはモンゴル語ともうひとつ何かだった。何かわからなかった。ひたすら浅野忠信がかっこよかった。日本語はぜんぜんしゃべらないのだった。モンゴル語、ぺらぺらであった。子どもがどんどん生まれていた。馬が疾駆していた。草原が波打っていた。

   
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