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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

かもさんおとおり

2014年06月30日(月)

カノコの子のUが(世間的にはまごという)手足口病でがっこうに行かれないというので、お見舞い送ったのだ。このごろ何の動物が好き? と母親にきくと、だんぜん鴨だ、というので、鴨の成鳥のぬいぐるみと子鴨のぬいぐるみと『かもさんおとおり』の英語版。そしたらパパ・ダックとベイビー・ダックと解釈したそうで、たしかに首の緑の雄鴨だったのである。それでこんどは成鳥の雌鴨を送ったが、よくよく見ると、雌は雄より1.5倍くらい大きいぬいぐるみだったようだ。バランスとれないじゃんと気を遣っておる…。
『かもさんおとおり』は、あたしは翻訳がいやなのだ。W先生の翻訳がいやなのではなく、その翻訳が持っている時代が。時代に抗えなかった翻訳が。その翻訳では妻鴨の夫にたいする口調に敬語がつかってある。夫鴨は「子どもたちのことは頼んだよ」とか、なんか異様にえらそうにふんぞり返っている。よそから帰ってきたら妻はそそくさと着替えを手伝い、「おい、めし」とか「おふろになさいますか」とかいいそうな鴨の夫婦だ。Nさんと子育てしていたときは、ここを勝手に変えて読んでいた。あたしたちの絵本では、「じゃあおかあさん、おねがいね」と夫鴨が言い、「あたしにまかせてよ」と妻鴨が請け合った。この翻訳このままじゃぜったいだめだ、夫婦の関係性をこんなかたちで幼児に教えこんじゃだめだ、子どもに害になるだけだと思いつづけて数十年、F書店の人になんども改訳をもちかけてみるが、まだOKされない。やるならあたしがやりたい。で、英訳というかオリジナルのほうは、妻の鴨がとてもbossy(えばっている)で、つねにリードしてる感じ、とカノコがいっていた。しかしそんな関係の鴨夫婦で妻のほうが1.5倍大きかったら、手がつけられなくなるではないか。

ドゥマゴ文学サロンについて

2014年06月27日(金)

前項あんまりそっけないので書き足す。なんだか今ものすごく追いつめられていて、ブログ書く余裕がぜんぜんないのであった。いくら親しくても礼儀というものがあろうと、自分で見て可笑しくなってしまった。で、枝元さんとは何をやるかぜんぜん決まってない。最初はマーマイトのこと話したかったけど、枝元新刊の『禁断のレシピ』がおもしろそうなので、それについて話したくなるかも。

7月25日ドゥマゴサロン文学カフェ

2014年06月27日(金)

枝元さんと。


http://www.bunkamura.co.jp/bungaku/topics/2014/05/11.html

ルイの老い

2014年06月21日(土)

きのうチキンを料理して落っことし、チキン汁と多少の身があたしの足にひっかかり、はいていたサンダルにこびりついた。ごはん中にルイが足元に来て、しきりになめるから、くすぐったいくすぐったいと笑っていたら、歯をたててかじりはじめたので、痛くて飛び上がった。あとで見たら血が出ていた。かまれたことならあるが(タケにまちがってかまれてすごく反省された)食われるとは、はじめての経験だ。ここまでボケたかと家族みんなで呆れたのである。夕方の散歩は荒れ地じゃなくてちょっとそこまでだったが、歩きながら何度もへたって寝ころんでいた。べつにどこか痛い苦しいというのではなく、疲れはてたというのでもなく、たんに「限界です」みたいな感じ。こっちを見上げて立っているだけで、バランスが崩れてへたることもたびたび、いや、ちょっと前からそれはあったが、このごろ頻繁になってきて、立ってるかなーと思うとすぐへたる。つれあいに言ったら、自分もまったく同じ状態だ、ということだ。
きのうも今日も、長いさんぽにはニコだけ連れ出して、ルイは家で寝ていたのである。「不思議だなー、いくらでも寝られる、こうして寝てるうちにいつか目が覚めなくなっちゃうのかなあ」と父が言ってたが、ルイもまったくそういう感じで、寝ている、1日じゅう。

ルイの老衰とノミ

2014年06月20日(金)

ルイの老衰ぶりがただごとじゃなく、歩き方もすわり方も寝方も食べ方も、魂を半分あっちにもってかれたような感じである。今も机の下で、ぐったりと横になって寝くたれていて、起きない。生きてるのかと凝視してみると少しだけおなかが上下してるし、体も温かい。
ここのところの乾燥で、いや夏だからいつものことか、ノミがひどい。ルイがしっぽの付け根をカミカミしすぎて生臭い(ああ、タケもときどきこうなった)。あたしも、おしり(ルイが寝ている上にすわっているから←ルイがあたしの仕事椅子に座るのが好きで、それを潰さないように座って仕事しているから)腕(明け方にルイが吠えるので、ベッドにひきずりこんで腕枕で寝かせるとまた少し寝てくれるから)足の下のほう(下からノミが飛びついてくるから)おなか(ベッドに忍び込んでいるから)…そうだ、夏はいつもこうだ。体じゅうかきっこわしだらけになって、日本に行って直って帰ってくるが、またやられる。液体のさし薬は(フロントラインとかそういうの)月にいっぺんしかやってはいけないと書いてあって、万事休す。しかたがないから、ルイの全身をさぐってノミをつまんで溺死させている。毎日荒れ地や草地に散歩に行くから、どれだけ家の中で対策をととのえても、また、たかる。で、ニコよりはルイの方が、ルイよりはあたしの方が、アレルギー反応が強いので、今こうして、全身をかきむしっているわけだ。これで全身に毛が生えていれば、ルイやタケみたいにかきっこわしたあとが生ぐさーーーくなっているはず。

ヤジの件

2014年06月20日(金)

あやまってもらいましょう。

桜桃忌つづき

2014年06月19日(木)

年を取るっていやなことじゃないなあとときどき思うが、鴎外のよさをわかるようになったというのもその一つ。高校生の頃なんて、もっとぴちぴちしてたし、体重も少なかったけど、太宰読むのでいっぱいいっぱいだった。H田が、桜桃忌を季語にしてすんばらしい俳句を作ったが、本人の許可がないからのせられない。

Keenlyside祭りはひと休み

2014年06月19日(木)

しめきりにせっぱ詰まるとCDや本をやたらに買う。で、こないだJにすすめられたブリテンのBilly Budd、3日前に注文したのがやっと届いたというのに、今、あたしの心は31と32でいっぱいで、ついに見つからなくて二度目買いしたBrendelのCDが届くのを待っている。iTunesで買えばすぐ聞けたのに、注文してから気がついた。Guldaのがほしいけどまとめ買いしないと買えない上にちょー高い。そのうち。このしめきり中に買っちまえと思わないことを祈る。今は31と32しか聴く気になれないのだ。30はまあ聴いてもいい。でも31とかだけ買うのもいやでどうせなら、30・31・32と揃えたい。とダダをこねているのもせっぱ詰まっているから。Billy Buddの主役はもちろんKeenlysideだ。ブリテンてば、グレートブリテンのブリテンと同じだとずっと思っていて、なんと大仰な名前の人だろうと思っていたが、スペルがちがうと、買うとき気がついた。紛らわしい。せっぱ詰まっているから何にでも腹が立つ。

桜桃忌

2014年06月19日(木)

桜桃忌。高校生のとき、桜桃忌に行った。人が多くて、やってることが見えなくて、近くのお墓にのぼって見ていたが、あとでそれが鴎外のだと気づいた。申し訳なかった。今こうして鴎外にハマっているのは、その祟りかも。

文学隊から

2014年06月18日(水)

7月20日「いま石牟礼道子を読む」石牟礼大学第1回
予約いっぱいになりました。ありがとうございました。

30・31・32

2014年06月18日(水)

きょうは何をしていたかというと、くるったようにBeethovenのソナタの30と31と32を聴きっぱなしであった。iTunesに入ってるのは、KempffとGouldと内田光子だ。どこかにBrendelのもあるはずだがみつからない。むかつく。31の3楽章だけ3人分並べて聴いたり、32の2楽章だけ3人分並べて聴いたりと邪道な聴き方をしておる。実は叫び出したいくらい追いつめられている。今晩はカレー。こないだどこかで、カレーはへたに手を加えず、説明どおりに作った方がおいしいとかいてあったので、小学生がキャンプで作るようなカレーだ。もちろんズンバは行った。追いつめられても行かないとかえって自分を追いつめてしまうというのを昨日知った。去年の11月に買ったラップトップが壊れたので修理に出した。Sさんから本を送ってもらうついでに頼んで入れてもらった『とめはねっ』の12が来た。『とめはねっ』電子書籍で買えればいいのに買えない。

アルコールパッチテスト

2014年06月17日(火)

きのうアルコールパッチテストをやってみたら結果がおもしろいように出た。バンドエイドにアルコールを染ませて(ヴォトカを使った)腕の内側に貼り、7分後に経過を見る(1)さらに10分後にも見る(2)。あたしとトメは(1)(2)ともに変化なく、Sは(1)はなかったが(2)が赤くなっていた。もともとそうだろうと予想していたので、つれあいに報告しても、「だから?」みたいな反応であった。Sは酒を飲むとすぐ赤くなり、酔うんだそうだ。トメにはまだ飲酒の習慣はぜんぜんない。うわばみカノコのテストもしてみたい。

コリント前書3.22

2014年06月16日(月)

或(あるひ)はパウロ、或はアポロ、或はケパ、或は世界、あるひは生、あるひは死、あるひは現在のもの、或は未来のもの、皆なんぢらの有(もの)なり。汝等(なんぢら)はキリストの有(もの)、キリストは神のものなり。(文語訳)
パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。(新共同訳)
[すなわち]パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、世界であれ、生命(いのち)であれ、死であれ、現在のものであれ、来たるべきものであれ、すべてはあなたがたのものなのだ。しかしあなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものなのである。(岩波の翻訳委員会訳)
パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。(口語訳)
Whether Paul, or Apollos, or Cephas, or the world, or life, or death, or things present, or things to come; all are yours; And ye are Christ's; and Christ is God's.(King James Version)
或ハ「パワェル」、或ハ「アポロス」、或ハ「キファ」、或ハ世界、或ハ生命、或ハ死、或ハ現在、或ハ未来、皆爾等ニ属ス。爾等ハ「ハリストス」ニ属シ、「ハリストス」ハ神ニ属ス。(正教会訳 カギカッコは元々傍線)
whether Paul or Apollo or Cephas or the world or life or death or the present or the future---all are yours, and you are Christ's, and Christ is Gods.(English Standard Version)
或ハ「パウロ」或ハ「アポロ」或ハ「ケパ」或ハ世界あるひハ生あるひハ死あるひは今のもの或ハ後のもの是みな爾曹(なんぢら)の属(もの)なり。爾曹(なんぢら)ハ「キリスト」の属(もの)「キリスト」ハ神の属(もの)なり。(明治元訳「新約全書」カギカッコは元々傍線)

【お知らせ】中原中也詩英訳パネルディスカッション

2014年06月16日(月)



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タケとアトスとルイと老人

2014年06月16日(月)

Lの卒業パーティー。Lはトメの子ども期の親友で、思春期以降は離れてしまったが、Lの母のBとあたしはそのあともずっと仲良しだ。Lはいつもうちにいて、うちでごはんを食べ、日本語で歌もうたい、あたしもLには気楽な気持ちで話しかけ、冗談をいい、日本食を作って食べさせたものだ。Lはなんでもよく食べた。縁はまだある。Lの家族はタケの甥犬を飼っている。7歳になる。それがなんとまあ、タケそっくり。色も感じも。顔のあたりはタケの弟そっくり。体つきはタケそっくり。でも歩き方は弟そっくり。弟の妻犬は、小柄で険のある顔の犬だった。弟は熊みたいにたくましくてマッチョで、でも顔はどこか抜けてて愛嬌があった。タケは、ただただ美形だった(いや、親バカじゃなく)。その三匹のあれこれが微妙に組み合わさった姿をしていた。タケそっくり、と思ったら胸がつまった。アトス(弟)そっくりと思ったら、また胸がつまった。タケの最後の日々の老いた姿が目に焼き付いて離れない。タケの死んだ姿も。
Lの家に入りかけたとき、つれあいが段々につまずいて派手に転んだ。そしてその後、ずっとしょんぼりしていた。パーティーの中にいても、なにしろ見ただけで最高齢だし、杖ついてよろよろしてるし、耳が遠いから会話に加われないし、気持ち的にも、知らない人との表面的な会話には加われないし、加わりたくもないという風情で、一人でぽつねんとしているのだった。Sに先に連れて帰らせたが、やっぱり気になってあたしも早めに帰ってきた。でも仕事はする。というか仕事しかしない。仕事をするしか自分の身の置き所がないようだ。仕事と自分以外には、トメもあたしも、視界に入ってない(入れてるつもりだが入ってない)。
そういえば、ここ数週間、ルイが老いたなあと何度も思っている。もう13歳、小型犬とはいえ、押しも押されもせぬ老犬だ。午前中はただ寝ている。ただ立ってるだけでも、バランスをくずしてよろりと倒れる。すわればいいものを、へたりと寝転ぶ。食事を食い散らかす。今朝は、寝て食べていた(タケの末期もそうだった)。でもまだまだ食欲はある。散歩はたのしいが、上り坂はときどきだっこしてやる。朝の散歩は、寝てるのを起こすのが気の毒で、そっとニコだけ連れ出す。父が死んでからもう2年だ。11歳でこっちに連れてきた。この2年間、ルイの生活は安楽だ。食べ物は健康的でおいしく、散歩は野性的でどこまでもほっつき歩ける。最初のうちこそすきをみて外にさまよい出て保護されたりしたが、この頃はドアがあいていてもどこにもいかない。あたしを、そして代理のトメも、頼む人と信じて、みつめている。

生ニシンとヒューガルデン

2014年06月13日(金)

そういえば数年前の今頃ロッテルダムの詩祭に招待されて、一人で歩きまわったが(朗読もした)、あのとき路上で食べた生ニシンはウマかった。同じニシンでも、うちのつれあい(東欧系ユダヤ人)のソウルフードのニシンの酢漬けは、古漬けみたいにべっとり漬け込んであるのだが、そんな味じゃなかった。薄っすら塩が効いてて、おさしみそのままだった。あたしは青魚は嫌いなのだが、あれはウマかった。ニシンの酢漬けなんて食べようとも思ったことがないのだが、あれはウマかった。おさしみなのに、しょうゆがなくても、ほんとにウマかった。そういえば、詩祭の会場にHoegaardenが常備してあって、それもウマかった。そればかり飲んでいた。ロッテルダムの詩祭で供される食べ物は総じてとってもまずかったが、生ニシンとHoegaardenは忘れがたいから、食べ物のウマい詩祭だったともいえる(Hoegaardenはベルギー産だけど)。生のニシンはカリフォルニアでは手に入らないが、Hoegaardenは簡単に手に入る。そういえば、生ニシン食べながら、町がハロウィーンみたいなカボチャ色に染め上げられているのに気づいた。なんだと思ったら、ワールドカップだった。4年前だったのだ。

木霊草霊

2014年06月12日(木)

大切なことを忘れてました…新刊です。『木霊草霊』こだまくさだま。間違ってもくそだまと言わないように(H田は間違いそうになったそうだ)。岩波書店。装幀は菊地信義さんの黄色いオキザリス。これで『とげ抜き』以来の生と死シリーズがやっと一息ついた。『犬心』があたしの動物相なら『木霊草霊』はあたしの植物相。Y折先生は『花心』と呼んでくださった(『読み解き般若心経』の文庫版解説参照)あまりにいい得て妙なので好きな箇所だ。

沁みた

2014年06月11日(水)

きょうはKのズンバにいかなかった。まあそれは毎回いってるわけではない。でもMのズンバにもいかなかった。これは欠かしたことがない。そしてPのズンバにもいかなかった。これも行けるときはいつも行ってるやつだ。ずっと仕事していた。こういう日もある。日はまた昇る。夕方、犬たちを散歩に連れ出したとき、スーパーに寄って、Monsterを買い込んできた。夕食の蟹玉は、卵を7つ使って、ミディアムレアで、見事な出来だった。メールやりとりしていたHさんからの励ましが、身に沁みた。すごく沁みた。天目山だったか、なんだったか、どこかの山だ。そんな感じだ。

石牟礼大学第一回 熊本文学隊

2014年06月10日(火)

そういうわけで熊本文学隊、「石牟礼大学」はじめました。くわしくは熊本文学隊のfbに。
って今行ってみたけど、ここに書いてある以上の情報はないようです。とにかく来ていただければわかります。灼熱の熊本に来て「熊本の呪われた夏」(by石牟礼道子)を味わうのも、石牟礼文学理解のための一歩でしょう。しかしながら、CAMKのロフトは、構造上、定員(100人)しか入れません。受付できない方も多いかもしれません。そのときはごめんなさい。

【お知らせ】いま石牟礼道子を読む

2014年06月10日(火)





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ミロンガその他

2014年06月10日(火)

I内Mさんおもしろかった。久しぶりだ。
夜、片付けしてたら、友人Cから電話があり、タンゴにはまって週に何回もミロンガに行きまくってるCは、ついに自分ちでミロンガやるということで、へーそうと思ってたのだが、Cが、とにかく来い、絶対来いという。しかたがない、友人の誘いだ、30分だけと断って一応ハイヒールはいて行ったら、すごいのなんの、Cのうちのパティオで、中高年の男女がおおぜい無言で踊りまくっておる。見てたら、タンゴ教師のFに見つかって、手をとられて中に連れ込まれ(Cに紹介されて何回も会ったことあるしもレッスンを受けたことも一回ある)歩くだけでいいからといわれて2曲。とうぜん何やってるのかぜんぜんわからないまま、Fにリードされて終わりだ。Fは、とってもソフトだが厳しい感じのいい男で、それにすがって歩くのはいやじゃなかったが、そもそも体温があたしより高く、ニオイも違い、つまり異生物感たっぷりの存在。そういう存在と手をつないで踊るという行為が…うむ、楽しいかといわれればそうでもない。こっちがうまく踊れれば楽しいのだろうが、踊れない。というよりどんなに目を凝らしてみていても、タンゴのステップにルールが読み取れない。男のほうはある程度、ボックスにとかマンボ的にとか基本ステップはあるみたいだが、それもすぐ崩れて縦横無尽、そして女はただ男に従うばかりだ。これに比べたらズンバは簡単、ちょっと見てればちゃっと踊れる。手をつなぐ必要もない。手をつなぐときは女相手で、女の子同士の遊び感覚だ。ズンバになぜあたしがこんなに惚れたかという理由を再確認して30分で引き上げたのであった。
この頃ストレスで手に湿疹ができて異様にかゆい。最初は虫さされと思っていたが、どうも違う。そういえば、昔にも何回かこういうことがあった。で、原因はストレスだ(心あたりはある)。医者にいってもステロイド出されるだけで治らない。抗ヒスタミン剤でなんとかしてるけど眠りつづけられない。夜更けに起きてきたら、東京の友人Mから久しぶりのメールが。Mは苦労つづきで、どうしてるか心配していたが、あまりの苦労に、メールもかかずに遠くから考えているだけだったのだ。あたしのブログを読んで、Keenlysideの「魔笛」を買ったといっていた。「ハムレット」も買えと返信した。

五目寿司

2014年06月09日(月)

きょうはI内Mさんが東京から来るからお昼からのズンバに行かない。I内Mさん、ゲティで展覧会やるからその打ち合せに来たついで。きょうのズンバは、Mの道場でやる、Zumbathonという、特別セミナー(ああ、どうしても合気道用語が…)みたいなものだ。みんなからおいでよーと誘われた(うれしかった)がやっぱり、ひさしぶりに会う、しかもうちに来てもらうのははじめてのI内Mさんを歓待したいから五目寿司を作るのに忙しくてズンバ行ってられない…。こないだから遠来の客には五目寿司というのにハマっている。根菜類は根気よく刻んで、高野豆腐はちゃんと煮て、うなぎ(あなご高いので)をよく炙って、ていねいに作る。上に大量の錦糸卵と絹さや。

さー

2014年06月07日(土)

さー、仕事仕事。(追いつめられている)

ズンバとランチ

2014年06月06日(金)

きょうはまたズンバ仲間とMとでランチ♡ しかもMのまん前に座れた♡ さー、仕事仕事。

卵と納豆の混ぜおきMIX

2014年06月05日(木)

きょうはあんまり熱心に仕事をしていたので2回目のズンバに行きそびれた(得意)。それはKので、Mのはちゃんと行った。あしたはKのが早朝に1回とMのが午前中に2回ある。ぜんぶ行かれるとはとても思えない。
こないだ送ってもらった女性セブンを読んでいたら、がんに効くという触れ込みで、おいしそうなものが紹介してあった。納豆に卵をよーくかき混ぜて一晩おいたもので、納豆菌が卵の蛋白質に染みこむというものである(引用はいい加減)。がんはともかく、うまそうなのでやってみた。しかし考えると、あたしの好みはろくにかき混ぜない生卵に少量の納豆を(人間であってヘビではないというのを見せるための)カモフラージュ的に添えて食べるという食べ方である。ずいぶん違うなあと思いながら、よーくまじり合った納豆と白身と黄身を、1日かけてちょびちょびと食べた。ねばねばがなくなって違うものになってるような気がしたし、卵らしさも消え失せているような気がした。お昼はこれじゃ物足りなくて、納豆卵の混ぜおきMIXにさらに生卵一個を加えていつものようにかき混ぜずに食べた。しかし、気に入らなかったらやめればいいものを、なんとなくまた明日の分の混ぜおきMIXをつくってしまったのはどういうわけだ。

ここのところの読書

2014年06月04日(水)

「夜は終わらない」(星野智幸)がおもしろすぎる。ずっと読んでる。いいのかこんなのと思うほど。「蓮如と信長」(山折哲雄)もおもしろすぎる。中古本で買った。付箋だらけだ。「ヘイ龍カムヒアといふ声がする」(岡井隆)もすごい。どきどきした。それからKeenlysideの「ハムレット」YouTubeで見ていて、とうとうDVD買っちゃったが、やっぱりYouTube で見ている。

ズンバとシャワー

2014年06月04日(水)

きょうはズンバの後、シャワーを浴びて帰ってきた。←大事件。

ズンバ考、トメの目をとおして

2014年06月01日(日)

午後、Kのズンバがあった。Kのズンバは他のズンバよりもっとダンスダンスしていて激しくておもしろいので(いや、あいかわらずあたしはMのズンバを崇拝しているのだが)トメをつれていった。トメは、あたしが始めたばかりの頃、無理やり一度連れていった(Mのクラスじゃなかった)が、たいしておもしろくなかったようでその後行こうとはしない。トメの体はタコみたいに柔軟なので、向いてるのにもったいないと思っていたのだが、今回連れて行ってみたら、やはりダメだったようだ。自分は性格的に合わないと言っていた。ダンスをやる人は(おかあさんを含めて)外交的だ、自分は内向的だからできないと言っていた。外交的はextrovert、内向的はintrovert。しかし驚いた、娘に、extrovertだといわれる日が来ようとは。あたしはトメくらいのときも、その前も、もっと年取ってからも、ずっと、自分は内向的だと思っていたのだ。子どもを産んでから少し開けたと思っていた。しかしその頃、乳飲み子を前夫にあずけて英会話学校に通いはじめたが、あの頃、まさにこのことばを使って、自分はintrovertだから英会話を習うのには向いてない、他のクラスメートはみんなextrovertで向いているのになあと、もどかしく思っていたものだ。時はすぎ、おばさんになり、今は英会話だってズンバだってなんだってできる。トメにいわれるまでもなく、のびのびと人目を気にせずおどりまくることができる。やはりズンバにハマるには、それなりの積極性と社会性が必要で、その積極性と社会性が開花するのが、女の後期中年期であった。腰を回すとかエロい歌詞とかは添え物にすぎず、おばさんの漢(おんな)性こそ、ズンバをズンバたらしめている要素だったのである。

Uの「ばーば」

2014年06月01日(日)

常日頃、カノコの子のUはカワイイが、カノコやSやトメの身近過ぎる迫力やうっとうしさや発見やおもしろさに比べれば、やっぱ他人の子であることは否めず、自分の子のほうがかわいい、とどっかの詩の一節みたいなことを(対外的に)言ってきたのであるが、きょう、Uが、電話ではっきりと「ばーば」と言った。2回目であった。こないだも言った。言われたとき、今回も前回も、あたしの全身が、あたしという肉体が、ある種の快感で、とろけそうになったのだが、いったいこの快感はどういうものだったのだろう。

   
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