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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

Ehnes 読み方はわからない

2012年06月29日(金)

このごろ聞くものがなんにもないというか、持ってるものに飽きてるので、音楽友だちのJフリーかM子さんに聞こうと思っていたところ、こないだのバンクーバーで、つれあいの友人に、カナダ人の音楽家が好きだ、グレングールドにニールヤングにジョニミッチェルにマルクアンドレアムランにkdラングにレナードコーエンに、といってたら、じゃーこれ知ってる? と教えられたのがバイオリンのJames Ehnes、なんて読むのか、なんかいってたけど忘れてしまった、紙に書いてもらったので文字だけ残っておる。それをきのう買ってみた。ちょっと聞いてみたら、ものすごくよかったのだ。ふだん10ドル以上のものは買わない主義なのに19ドルとかの高いのしかないのでえいやっと清水の舞台から飛び降りて、足ひねりついでと思って。バッハのソナタとパルティータである。そしたら、ものすごくいいじゃないの(めしばな刑事タチバナの声をお借りしました)。

たどたどしくひらがなで書く名前

2012年06月29日(金)

で、そうやって頼まれた「かな五十音」をかいたあと、「いとうひろみ」を書いてみた。「い」は「以」で書きやすい。「と」は「止」で将棋の「歩」みたいである。「う」は宇宙の「宇」で(大島弓子の漫画にそういうのがあった、ヒロインの名前が「宇さん」というのだ)手足をのばせる。「ひ」は左側の「ヒ」で収縮し右側の「ヒ」で脱力する。「ろ」、これがあたしの中心だ。おもいっきりやぶれかぶれにカクカクと「口」を二つ、つないでやる。「み」はわけわかんないのでわけわかんないままにほうりだしておく。自分の名前、うまれてこのかた、口にはさんざん出して名乗ってきたし、ハンコも作ったし、おしてきたし、漢字でもローマ字でもいっぱい書いてきた(こっちはサイン文化である)、そもそも漢字のかけなかったときはひらがなで書いていたわけだけど、この今持っている物心がついてから、はじめて、自分に、しみじみと向き合ったという感じがする……(いや、ほんとうは、ずっといつも四六時中向き合っているので、ことばのあやというやつかもしれない)。

字たち

2012年06月29日(金)

はいずってでも行きたかったズンバは、お習字むちゅうになってやってるうちに、行きそびれてしまった。くそっっっ。ということで夕方の、いつもは行かないS先生のをとる。「ま」がきらい。どうしても書けない。どんなにいきおいよく書いても、いじましくなってしまう。「み」もすきじゃないけどしょうがない。最後の2つの線は「美」のなかの「大」の右はらい(先)と左はらい(後)のことだと思い込むことにした。「む」もかっこつけているからいまいち。というわけで「ま行」が苦手だ。「さ行」もむずかしい。「さ」は「左」なので、左に払わねばならないのに右にいって「ち」のふりをしてやがる。「す」と「せ」は漢字そのままで想像力がたりてない。「け」もこすい。「計」の十の線なのに、やわらかーい線のふりをしておる。好きなのは「そ」と「る」と「ろ」だ。自由自在に書けてすっきりする。とくに「ろ」は「呂」で、長年つきあってきた仲だし、「留」の「る」や「曽」の「そ」なんかとはちがって、上の部分はただの「口」で、下の部分もただの「口の」の大きいのだから、思いっきりカクカクと書ける。「を」は「遠」でそのしんにょうがいい感じ、「と」や「り」や「に」はきまじめでちまちましているが、まあ「る」や「ろ」みたいにのびのびしすぎたのばかりでもだめなんだ、それが社会ってものだなあ、などと考えながらやっていたのであるが、終わりに近づいて、こうして浮かび上がってきたのはいつものあたしのあの、「あくどい」「しつこい」「自己中な」「攻撃的で」「天真爛漫で」「やぶれかぶれで」「暑っくるしい」字じゃないのさ。むかつく。一生、この字から逃れられないということか。こないだのお習字熱のときも、その前のお習字熱のときも、いずれもここから離れられずに、うんざりしてやめたのだ。体格と同じだ。

お習字とひらがなのなりたちとズンバ

2012年06月29日(金)

ずっと以前につれあいがプレゼントしてくれた包装紙用の薄紙(お店で割れ物を包んでくれるやつ)が数千枚あるから、練習用紙にはことかかないが、いつもそれに大きな字を書きなぐっていたので小さめの字を書く筆に事欠いておった。きのうはコンボイにいって、筆と半紙を探した。筆は三省堂で、まあとりあえずの子ども用の大筆を買えたので、先だけおろして半分は固いままで、使っている。これは子どものころ、みんなやってたが、あたしは嫌いで、いつも根もとまでおろしてしまって、書いていた。はじめての経験である。しかし楽しい。ずっとやっていたい。こんな依頼してくれたYス、T木さん、ありがとう、だ。むずかしいのは「お」と「へ」と「を」だ。「お」の点が理解できない。「へ」はもともと「邑」だったのであるが、やっぱ理解できない。お習字はじめた子どものころから、「き」と「さ」は同じなのか、「ま」と「ほ」と「は」と「る」と「ね」のくるんとするところは同じようにかいていいのか、気になっていた。「ろ」と「る」は同じかたちでいいのか。「ち」と「さ」はどうなのか。「そ」の上と「ろ」の上と「ふ」の上は、つなげていいのか、離していいのか。ずっと悩んできたのである。しかし昨日、そのすべての疑問が氷解した。ひらがなは漢字からできたと耳タコできかされてきたんだから、元の漢字のくずしかたをチェックしてみりゃ一目瞭然だったのに、してこなかった。これは仏教のほうでいうと貪瞋癡の癡であるな、まったくのところ。かな字おそるるにたらずという気分になっているが、やっぱり小さくかけないので半紙に5文字ずつ書いている。きのうはズンバがなく、いやあるのだが、つまらないクラスなので行かず、かわりにカルディオマッスルという激しい運動のクラスをとってみた。そしたらふくらはぎをひねっちゃってきのうは一日痛かった。千花ちゃんや六花ちゃんの気分だった。きょうはJ先生のズンバなのではいずってでも行く。

お習字

2012年06月27日(水)

でもその前に盟友Yスにお習字を頼まれていたのを思い出し、ひさしぶりに習字道具をひっぱり出してきてやっておった。というのも、昼間がんがんモンスターをのんじゃったのでなかなか眠くならない。いい筆を日本におきっぱなしなので、不便である。頼まれていたのは「かなの五十音」なんだけど、かなは前からちょー苦手。その上、書いてみると、いつもどおりあくどい字だ。五体字類をもってたのを思い出し、漢字を検索しながら草書とか行書とかを書きながら、ひらがなに辿りついてみると、とてもおもしろい上に、ややあくどさが薄れる。理由が出てくるからかも。しかしえんえんと時間がかかる。YスやT木さんが期待しているようにはさっさと終わらないような気がする。

それから

2012年06月27日(水)

たまってるメールの返信もする。。。。

モンスターと85チョコととようかんと生卵

2012年06月27日(水)

ああーーきょうはズンバもいかなかった。P先生ので、好きなクラスなのにすごくすごく残念である。一日じゅう机の前だった。犬たちの散歩もいかなかった。水やりもしなかった。トメにいいつけて、犬の散歩にいかせ、モンスター(というエナジードリンク)とチョコレートの85%のを買ってこさせた。あとは、コンブチャと、ようかんと、卵納豆かけごはんが、あたしのしめきりの友ぢゃ。今はAlaskan Amberをちびちびと飲んでおるのだ。あしたこそHomeDepotへいってホース一式を買ってくる。もしかしたらコンボイに日本食の買いだしにもいっちゃう。それからたまってるゆうびんも出す。朝は7時に起きて、早朝ズンバにもいっちゃうぞ。

うううう

2012年06月26日(火)

なんだかぜんぜんかけないのだ。いろんな理由が複雑にからまりあってるからだな。しかしそんなことはいっていられない。ああ、ズンバしたい。だれでもいいってわけではなくJ先生のでしたい。きょうもやったが、ぴょんぴょん跳ねるのが実に楽しくていつまでも跳ねていられる気がした。一年前は跳ねるなんておっくうでとてもできなかったのだ。やっぱりやせなくても、体力はついた。ものすごくついた。なんてことを書いてないでほらほら仕事仕事。

タケと深夜のふむふむふむふむ

2012年06月26日(火)

今、タケがうなりながら起ちあがりかけ、よろよろとしてどうしていいかわかんないといった風情で、腰を落とし加減で動きをとめ、そのまま考えこんでいるので、下痢でもしたいのかとはらはらしながら見守っていたところ、よろよろと向きを変えてまた腰を下ろした。ゆうべは、夜更けに、とつぜんふむふむふむふむうなり出して、独り言をいってるというより、息苦しいのかとも思え、どきどきしながら見ていたが何事もなかった。翌朝、つまり今朝、あたしの仕事部屋のベッド(ここにずっといる)の上でうんこをもらした。居間のほうに連れて行くとベッドの上でがたがた震えていた。それもまたどきどきしながら見守ったが何事もなかった。

がけっぷち

2012年06月26日(火)

まず仕事仕事。

日系そうめんの現在

2012年06月25日(月)

おひるにそうめんをゆでたんだが、いぼのいとみたいなつるつるしたコシがぜんぜんなかった。Somenってかいてある、漢字もひらがなも書いてない、1袋で7、80セントのを買ってきちゃったからだ。それがいちばん安い。ほかのはたぶん日本から持ってくるので、もっとずっと高い。同じような現地産は、お蕎麦もあるし、うどんもある。現地産ってとこにひかれてときどき買ってくるが、いつも適当な食べ方してたのかな、こんなにさみしく感じたのははじめてだ。てなこと書いてないで仕事仕事。

ズンバ用のシューズ

2012年06月25日(月)

そうだ、きのうさんざん植物を買ったあと、実はダンス用品の店でズンバ用の靴も買った。じつはそれを買おうというのも、きのうの買い物の目的であった。いつきけのスポーツ屋さんにいっておにいさんにズンバ用の靴は?ときいたら(じつはないのは知っていた。前にもなかったのでエアロビ用のをかったのだが、じつはエアロビコーナーもなくて、おにいさんがこれがいいといったのを適当にかったのだが、もう一年近くさんざんはいてるので型くずれして動きにくくなってきたのである)「おおーーーズンバ」とのけぞり、「うちの母親もむちゅうだ」と。「うちにはないが、そこのモールにズンバ用品屋ができたからそこにいけばある」と。で、行ったけどズンバ用品屋は見つからなかったので、前々からそこにいけばあると知っていた、でもなんとなく敷居が高くて入りにくかったダンス用品専門店に行って買ったのである。つちふまずがへこんでいて、こつこついうから、タップダンスもできそうな感じ。きょうはいてみたところ、くるくる回るのはとても回りやすくはなったが、他の動作のときになんとなく動きにくいときもある。やはりズンバは、ダンスというよりエアロビなんかの運動が基本だからか。でもクラスには何人か、先生にも何人か、これをはいてる人はいるのだ。てな毒にも薬にもならないことを書いてないで、仕事仕事。

タケとニコ、dejavu

2012年06月25日(月)

旅から帰ったら、タケが、居間に坐って、たぶん歓迎のつぶやきであろう、ずーっとふむふむふむふむとつぶやいていた。出かける前と後ではぜんぜんかわらずおだやかに生きておる。しかしたとえば1、2か月前と今を比べると、やはり老いがすすんでおる。ベッドから立ちあがれない、立ちあがってもまた崩れおちる、ということがひんぱんにある。なんだかdejavuな感じ。ついこの間までこういう父をまざまざと見ておった。タケは、それでも、さんぽさんぽとはやしたててクッキーをみせると、ついてくる。ヘンゼルとグレーテルみたいに、クッキーを目当てに、よろよろと歩いて歩きとおす。家の入り口の階段は、のぼれずに何回か転げ落ちた。だからときどき裏庭のほうから入るが、やはりタケはいつものとこから入りたそうにするのである。で、家に入ると、ミルクを待つ。14年間、同じように、さんぽのたびに、こうやってミルクを飲んできた。あきないのかなーと思うが、ぜんぜん飽きない。飽きることなど考えもしない。不思議なことに、もうタケはニコのゴハンを食べようとしない。見えないのかもしれないし、そのにおいも気にならなくなってるのかもしれない。そういえば、きょうの夕方、いつもの場所にいつものように散歩にいったとき、タケとニコが何かにおいをかいでるうちに、あたしが先にいってしまったので、タケは途方にくれていた。ほんの10メートルくらいの距離で、あたしにはふたりがはっきりと見えているのだが、タケはすっかりあたしを見失っておろおろしていた。ニコ、タケ、と呼ぶと、はじめから見失ってはいないニコがあたしのほうへ駆けだしてきた。あたしが手を上げて大きく振って、ぴょんぴょん跳ねて見せたら、やっとわかったらしくて、ほっとした顔で、こっちに向かって歩いてきた。もう走らない。このごろは、「どんなときでもタケに最初にクッキーを」というルールも崩れつつある。タケが気にしなくなってるのもあるかもしれないし、あたしが、もうニコを立ててやってもいいんじゃないかともときどき思っているせいもある。

ウツボカズラとアンスとスパシ

2012年06月25日(月)

庭のホースが一部分壊れたのでその部品を買いに行った。ついでにこないだ壊れたシャベルを買おうと思った。で、そういうのはちゃんと買った。しかし店頭で、ニチニチソウが3鉢で10ドルだったから、ついカートに入れた。ニチニチソウ、好きなのだ。こないだ作った、今はミントだらけになりつつある花壇のミントとイチジクの間に入れようと思った。そしたら室内観葉のとこで、目にも鮮やかなピンクのアンスリウムのものすごく健康そうないい株をみつけ、30ドルくらいしたから、高いなーと思いつつ、いいなーーーと思い、そしたらスパシフィラムの、これもとっても健康そうないい株をみつけ、ちょうどうちのスパシフィラムの大鉢がすっかりみすぼらしくなってるから、新しい株を植え込んで元気づけたいと思っていたところだったので、これは買わなくちゃとカートに入れ、そしたらHomeDepotじゃめったに見ないようなウツボカズラの、いっぱい捕虫つぼがついたたくましい株が、ぴかぴか光って、ほかの緑のなかにうずもれていたので、つい手に取ったら、ぴたっとしがみついて離れないのだな、これが。しかたがないから、連れていたトメに、これ買っていい? と相談すると、いいよ、買っちゃいなよ、とそそのかすので、えいやっと、それから、あのアンスリウムは? と相談すると、買えば? というので、すなおに意見を受け入れて、これはいらないんじゃ?とトメがつぶやくスパシフィラムともども買い取ったのであった。高かった。これも逃避じゃ。

今回のコンブチャ

2012年06月22日(金)

旅に出る前に仕込んでいったコンブチャが、今回ものすごく良い具合にできておる。醸造用のビールびんに入れてしっかり密閉してみたら、あけるたびにしゅわっっと音がする。……ここまではtwitterに書いた。ひさしぶりに書いた。もうすっかりやる気を失っていたのである。でも書いてみたら、もっと書きたくなって、こっちにそっと持ってきた。そのびんとは、昔、Jミーにもらった巨大ビールびんで、おいしい中身が入っておった。飲み干してびんだけとっておいたのだ。広口びんで醸したコンブチャはしゅわしゅわではない。しかし密閉するとたちまちしゅわしゅわになる。こないだまで、醸しても醸しても、うまく醸せなかったことがつづいて、甘すぎたり醸し足りなかったり醸しすぎてお酢になったりしておった。あるいは菌のかたまりそのものが弱く、悪くなってるのかと心配していたが、今回の出来をみるかぎり、OKであろう。

ビールとタパス

2012年06月22日(金)

Tくんがもたせてくれた、自家醸造のベルギー風トリペルをいま、冷蔵庫にいれてあり、ちびちびと飲んでいる。ものすごく強くてものすごくうまい。旅先で飲むとうまいが、家に帰ると、金のどんぐりみたいに色があせ、うまくなくなるかと思ったが、かわらずうまいのである。
ポートランドでは、Eちゃんがポートランド在住の友人にきいて、教えてくれたスペイン料理の店にうつつをぬかした。帰りがけにまたポートランドによったとき、またその店にいって違うものを食べた。Toro Bravoというのだ。タパス中心の居酒屋みたいなとこである。まんがいちポートランドにいこうという人は、ぜひ。予約は受け付けていないので気楽に入れる。揚げたアンチョビがうまかった。タコの辛いシチューもうまかった。オリーブと漬け物もうまかった。カヴァもうまかった。シアトルでは、マーケットのなかのレストランでAlaskan Amberをのんだ。うまかった。

日系人の現在

2012年06月22日(金)

行きがけに、LAで、数年前にアメリカに移住してきたMさんに会ったのはもう書いた。Mさんは日本人用のフリーペーパーの編集をしている。編集室は天井が高くて、アメリカ的な空間だったが、日本語が飛び交っていた。バンクーバーで、Eちゃんをつれあいに紹介する前に、まず日本語でつもる話をしたくて、ホテルのバーで二人で待ち合わせて日本語でしゃべりまくった。もっとしゃべりたかったが、レストランの予約をしてあったので、つれあいたちが加わり、しかたがない、英語に切り替えた。無念であった。Eちゃんはもうこっちに長い。あたしより長い。息子のTくんはいきいきとしておもしろい青年だった。外見はトメと同じくあんまり日本人っぽくなく、そしてトメと同じく日本語ぺらぺらであった。8年も日本人学校(文科省のやつ)に通わされたといってて、3年だとEちゃんにいわれ、「ぼくにとっては8年だった」といってたのがおかしかった。その日本人学校はSDにもあり、ほんの一学期間、カノコたちを通わせたことがある。いやがるのですぐやめてしまった。Tくんの通ったのもSDのも、土曜日だけで一週間ぶんの勉強をやろうというところだ。あたしが昔ワルシャワで働いていた日本人学校は、現地の学校をかりてふつうの日本の学校みたいに毎日授業があった。しかしポーランドの現実からかけ離れていて、狭い日本の仮想現実しかないようで、とてもばかばかしい、何の意義があるんだろうと働きながら考えたものだ。トメには最初から無理だと思って、通わせたことはない。トメが通ったのは、日系人用の日本語学校だ。Eちゃんが浜辺でパーティーを企画してくれて、Eちゃんの教え子のNさん、Jさんが、子ども連れで来てくれた。それぞれ日本で生まれて育って、カナダ人と結婚して移住してきた女たちだ。子どもたちは英語を使うが、日本語で話しかけてもちゃんとわかる。子どもたちとトメとのふざけあいが「だるまさんがころんだ」に移行した瞬間はちょっとどきどきした。どの子もちゃんと「だるまさんがころんだ」が言えた。Eちゃんちの前で、Eちゃんの別の教え子たちにも出会った。みんなこっちに長く住む日本人の女だった。浜辺のパーティーでトメとあたしがまず手を伸ばしたのがおにぎりだった。Eちゃんちでごはんを食べたとき、Eちゃんがごはんをおにぎりにして持たせてくれた。それを食べながらバンクーバーからポートランドまで駆け抜けた。

植物のみなさん

2012年06月21日(木)

あといろんなものを見た。コウホネ、カリフォルニアの北部でマメ科のクズみたいな赤い花。白い低木に咲くトラノオを切りそろえたようなの、ヤグルマギクみたいの、フキみたいの、巨大スギナで先端が開ききっていて、まるでパンドラの植物みたいに見えるもの(これは名前が判明した。北ジャイアントウマノオというのだ。トクサも英語ではウマノオで、スギナもウマノオ。区別しない)、湿地に生えていたゴボウみたいな巨大な葉群、路傍の禾本科のみなさん。人ならば、すれ違う人々、群れ集う人々、ひとりひとりの名前は聞きゃーーわかる。聞かないだけで。植物はそれができないのがもどかしい。その上、動物ならば、とりあえずひとつひとつの個体は判別できる。目をこらしておれば、頭が赤いの、毛が長いの、判別できる。ほとんどの植物は、それができないで、群れでぼんやり把握しなければならないっていうのがさらにもどかしい。

フレディ・マーキュリーと僕はビートルズ

2012年06月21日(木)

車の中ではえんえんとトメのipodから音楽をきいた。好きなのはジェイソン・マラーズのI'm Yoursとクイーンのボヘミアン・ラプソディだ。ままーーーー、というシャウトを何回きいたことか。トメが一部始終を熱唱するそばで「ままーーー」と「ガリレオ、ガリレオ」だけあたしもいっしょに歌うのであった。あとトメの好きな現代の人々をさんざんきいたが、Lily Allen 以外はどれも忘れてしまった。やはり寄る年波にはかてない。ビートルズもいっぱい入っていたから、それもさんざん聞いた。ききながらあのくそつまらない形でおわってしまった「僕はビートルズ」をしきりに思い出し、ストーリーを考えていた。やっぱりレイは帰国子女、マコトはハーフの茶髪という設定にして(言語の不自由さはそれで解決できる)、あんなときにベストアルバムを出さず、元祖の四人について、まーともかく、ポールとジョンはきっとなんらかのかたちで世に出てくれると思うから、考えないことにして、マキさんをエプスタイン代わりにして、世界のファブフォーにのしあがるのだ。そしてビートルズそっくりの成功を手にいれる。ショウは日本的な生まじめでおどおどしたキャラで、コンタはすごい日本人なまりのブロークン英語で、世界じゅうの人に愛される。しかしマキさんは、エプスタインのようにナゾの死をとげる。盗作だということを知っていたのはマキさんだけで、いいのかこれで、と悩み苦しんだあげくに自殺するのである。そしてやっぱりファブフォーは解散して、レイはダコタハウスの前で射殺される。レイの死に際の表情や、コマわりなんかを想像しながら疾駆しておった。

レッドウッドの調査結果

2012年06月21日(木)

調べてみたら、北米太平洋沿岸の巨木たちと、シエラネバダ山地の巨木たちは、微妙にちがう属らしい。前者はセコイアで、後者はセコイアデンドロンだそうだ。もう一つ、中国産のメタセコイアというのがあるそうだ。そういえば巨木たちはジャイアントセコイアと呼ばれていた。あれはたんなる形容詞ではなく、そういう種名だったのだ。ジャイアントパンダとレッサーパンダのように違うものだったようだ。高くなるのはレッドウッドで、デカくなるのはセコイアデンドロンのほうだそうだ。デンドロンはギリシャ語で「樹木」の意味、メタは「のちに」「ともに」だそうだ。きのう見たレッドウッドは、数百年から1000年という感じらしい。むかしは(雨の多い)太平洋沿岸はずーっとレッドウッドの森で覆われていたそうだ。その90数パーセントは失われてしまったそうだ。葬式まんじゅうでっかいそうだ。

レッドウッド

2012年06月21日(木)

しかしやはりなんといってもレッドウッドの森がつぎつぎに現れてきたあたりはすごかった。セコイア国立公園はいちおう「国立公園」なので、こっちも身構えていくけど、オレゴンからカリフォルニアにいたるレッドウッド群は、ふつうの高速道路の周辺にぞくぞくと現れ、もうなくなったかと思うとまた現れ、セコイア国立公園の「シャーマン」ほどぶっとくはないが、それでも千年くらいは生きてるかと思えるような木がどんどん道端に立っており、車をとめて眺めることができるのであり、眺めていると足元に咲いてる花や群れている葉がじつにきらきらとして、しかも幼木の新芽がいくらでも生え出ていて、それは、小さなおててをひろげたような、なま緑で、いきいきとしてこれから伸びるのであった。
何人もからその道(101)はすごいから通るべしといわれ、じっさいすごかった、海はひろがり、波は寄せ、崖は切り立ち、小島はつらなり、そして一転内陸に入ると、草木の生い茂る畑地であり、野原であり、森であり、川が流れ、湖水は深く、うちのほうではとんと見ない標識「ELK」がときどきあらわれた。エルクに注意せよということなのであった。エルク、エルク、出ておいで、でないと目玉をほじくるぞと歌いながら、そこいらを駆け抜けた。

一路

2012年06月19日(火)

あしたは12時間くらい走らなくちゃいけないのでよく眠らないといけない。でもおとといブヨに刺されたところが腫れ上がっておそろしくかゆいので目が覚めてしまった。101から外れた森の中の小さなモーテルにいる。その名もシャーウッドの森モーテルだ。薄闇のなかでvacancy のサインにつられて入っていったら、あと一室しかない、禁煙室だが、こないだだれかが吸ったらしくタバコ臭い、それでよければ、といわれた。しかたがないので、そこに泊まることにしたが、なかに入ったトメが、これはタバコではない、マリファナ臭いのだといった。なんであんたそんなこと知ってるのというと、カリフォルニアの子どもはみんな知ってると堂々といっておった。臭かった。
ポートランドからここまでひたすら101を、レッドウッドの森をみたくてつっ走ってきた。暗くなりはじめたのでここに宿を取った。ほんとうはゆっくりユーレカの町にでもとまって、あしたはカノコのところにとまって帰るつもりだったけれども、トメとふたりで、もう一刻も早く帰りたい思いにとりつかれて走り抜いた。あちこちで見たオレンジ色のユリは土着だった。どこにもかしこにも咲き終わっているシャクナゲもまた土着だった。レッドウッドももちろん土着だ。そこかしこに群生しているジギタリスは帰化植物だった。

草木

2012年06月13日(水)

ポートランドの町は木々で覆われていた。とくに町のどまんなかに木が繁茂しつくした通りがあり、人々が歩くようになっているのだった。しかしそこを歩いても、バラとホスタくらいしか見分けられないのだ。とくに木がわからない。南カリフォルニアには住んで長いから、見慣れぬものも、長年に間にしらべて名前をつきとめ、また自分で名前をつけておる。まったくわからない木や草たちにかこまれるのはほんとに不思議な感じであった。くる途中の路上では、コロガリソウ(これはここにおける帰化植物)、それからマツヨイグサその他の日本に繁茂している北米原産の帰化植物に多くであえるかと思ったが、なんとなく見覚えのあるムギっぽいイネ科ばかりで、あと、カリフォルニアでは侵略的すぎるといって駆除の対象にもなってるという(しかし隣の荒れ地では駆除されていない)エニシダがここをせんどと生えさかり、咲き誇っておった。レンギョウみたいな色、形で、すごいものだった。北カリフォルニア以北はやはり寒冷地のせいで、ヤエザクラの花が残ってるのをみたし、おびただしく咲いていたベリー類はあと一ヶ月もしないと実ができない感じ、あと一ヶ月してまたここに来たら食べほうだいだなあと、あっちでもこっちでも考えた。小さいくさむらにドクダミの一種みたいなのをみつけた。においをかげばよかった。

家からポートランドまで

2012年06月13日(水)

まず家を出て、トーランスのMさんとこにちょっと寄った。ひさしぶりだった。手作りの巻き寿司をおひる用につくっておいてくれた。ありがたかった。それから一路、オークランドを目指したが、LAの北境で山火事が起こり、フリーウエイに迫っていたので、大渋滞のあげくに迂回させられたが、かえってじっくり山火事のすごい様子を見ることができた。オークランドではカノコの家。カノコのおなかはばかばかしく大きくなっていた。若夫婦が、子ども用の小さい服を買い集めたり二人であれこれ相談したりしているようすがういういしかった。それからポートランドにむかったわけだが、なんにもない北カリフォルニアを通りすぎようとしたときに、忽然と、美しい川があらわれ、峡谷があらわれ、それからいきなり雪をかぶったすごい山が右側に、目の前には土のかたまりのような小山が、シャスタ山であった。いかにも「聖地」のような威容であった。でもこのときわれわれは、カスケード連山について何もしらなかったのだ。ポートランドのホテルにはプールがついてることに気づいて、トメと二人で(つかずっと二人)うちの近くにあるターゲット(ダイエーみたいなとこ)に買いに走ったが、これがうちの近くのターゲットとまったく同じ作り、まったく同じ売り場、ひじょうにおかしな感じであった。免許とりたてのトメの運転はどきどきする。

シアトル

2012年06月13日(水)

シアトルにおる。きのうポートランドを出て、ここに来て、きょうバンクーバーにいく。あしたバンクーバー在住のEちゃんにあう。ポートランドもシアトルも、ものすごい植物の繁茂だが、それはものすごい雨量があるかららしい。シアトルのショッピングモールも、共用のかさが店の前に備えつけてあるのには驚いた。こっちの店で借りてあっちの店で返すてなことができる。野山がもっこりと湿りつつ繁茂していて、止めがしきりに、日本みたい日本みたいと叫んでおる。ポートランドで感動だったのは「オレゴン富士」だ。シアトルでは「タコマ富士」が見られるかと思っていたら雨で見られなかった。ポートランドでは山の遠景のあまりの美しさに、その山まで小旅行を試み、じっさい行き帰り四時間ほどで、オレゴン富士とよばれるフッド山の登山口までいった。ものすごかった。帰りがけ、オレゴン富士をうしろにみつつ前方つまり北にもう一つ富士があるのを発見、それはタコマ富士とよばれるレーニア山かと思ったがちがう、アダムズ山だ。その左、つまり西に、数十年前に噴火して団子型になったセント・ヘレンズ山が見えた。この湿気た空気に雪をかぶった山が裾野をひいてあっちにもこっちにもとなると、月が二つ三つ出てるようなSFっぽい感動がある。

飼い犬

2012年06月08日(金)

老犬に手をかまれるというのは、よくあることらしい。自分もしょっちゅうやられているという友人が「あんたもお父さんに手を噛まれていたのかも。あたしも、母に時々、噛まれているのかも」と書いてきた。彼女のところは、認知症のご母堂がいるのである。「飼い犬に手を噛まれる」ということわざのもともとの意味は、親の介護をするということだったんだな。

ぴーちゃんとタケ

2012年06月07日(木)

ぴーちゃんはほんとに感じ悪いのだが、下敷きになる、というか、おしつぶされるのが好きなのだ。それで椅子の背にとまっている小鳥を、上から、あたしのほっぺたでぎゅっと押してやると、うれしそうにつぶされている。そこにいるのを忘れて、つい背伸びでもしようものなら、ものすごい勢いでつっつかれる。タケはクッキーを受け取るとき、間合いの取り加減と力の入れ加減がいよいよわかんなくなっていて、ここのところ毎日がぶりかぶりと噛まれて血が出ている。いくらいっても直らない。馬のようにてのひらに乗せてやればいいかと思ってやってみたが、てのひらまで噛まれるのである。

雨と荒れ地とニコとペリカン

2012年06月05日(火)

きょうはズンバ行けた。雨ともいえないようなものが降っていた。降っていたともいえないようなものだ。しかし車を運転してると前の窓にこまかい滴がびっしりついた。つまり空から落ちてきたもので、それを日本語は「降る」という。ちくしょー妥協するか、てな感じで「降る」「降った」と使っておる。でもないよりゃましだ。荒れ地にはピンクセンブリが今をかぎりと咲きみだれている。この頃ニコだけ連れて、また荒れ地をほっつき歩き出した。タケはすっかりリタイアした。この間までは、それでもなんとかして連れ出そうと、タケ用階段買ったりして、車にのせて荒れ地やその向こうの芝生に連れて行ったが、もうそれもできなくなった。家の入り口の階段をのぼるのもよろけておる。だからタケにはないしょで、熟睡しているときを見計らって、さっと家を出る。ニコはいつもついてくるからいいんだが、問題はタケがけっこうめざとくついてこようとすることだ。そういうときには絶対置いてけぼりにしないで、また出直す。で、まんまと出られたときにはニコを連れて荒れ地にいき、芝生にいき、芝生で棒を投げて遊ぶ。やがてこれにルイが加わるのだなと思うと、うーーむ、おもしろい。こないだはそうやって歩いていたら、一台の車がききーっととまって「この犬をあなたに見せたい」と見知らぬおばさん(でもきっとあたしより年下)が顔を出し「パピヨンとマルチーズのミックスだ」と見せられたのが、パピヨンの耳としっぽを持ち、マルチーズの毛を持つ黒毛の小犬であった。海辺をペリカンの群れが行き来している。ペリカンの学校の季節になったようだ。きょうは車の整備にいったトヨタで(けっこう海のそば)ぼーっとしていたら、5分くらいの間に20羽の群れを二つ見た。ひとつは南へ向かった。直後にもう一つの群れが北へむかうのを見た。同じ群れが忘れ物をして取りにかえったんだろうとトメが言った。

狩り

2012年06月04日(月)

きょうはズンバ休みだった。でもきのうほど痛くはないのだ。日本食屋へおさしみを買いに行って、ついでにBookOffでいろんな本を仕入れてきた。漫画は「アイアムアヒーロー」1と「ネオ・ファウスト」1と2だ。「アイアムアヒーロー」は、あたしと同じ名前の女の子が出てきて、カワイくていい感じの女子高生だから気持ちがいい……ってだけじゃなく、スピリッツのなかで楽しみにしているものの一つだ。はじめから読んでみたらものすごくおもしろい。出だしのカラーが、すごくいいじゃないの!(とタチバナの口調をお借りして)。後期の手塚はやっぱりノビノビしている。描かれてあることの裏にどんなに大きな構想や考えがうずまいていたのか想像できる。キャラがみんなステレオタイプなのも気にならないくらい、ノビノビとしたところがある。未完の描きかけという部分もナマなものを見ちゃってる感じでドキドキする。それから買ったのは1ドルの「大河ドラマ入門」と「草の葉」と「あかい花」と「ロボット」と「月曜物語」と、その多もろもろ。それからきゅうりとししとうとおさしみとカレーと豆腐と白だしと、その他もろもろ。このところ、日本風のカレーが食べたくてしょうがない。何十年も、日本風のカレーはきらいだったし食べなかった。きのうはミツワで「ゴールデンカレー」と「ジャワカレー」買ってきた。

ひさしぶりです

2012年06月03日(日)

ずっと書いてなかった。忘れておったのだ。忘れると忘れるものだ。twitterにもずいぶん行っていない。ネットから遠ざかっていたわけではないのだが。来週から10日ばかりの旅に出るので、仕事をやりだめている。あと3つ。でもまだやらなくていい仕事を先にやってしまって、やらなくちゃいけない仕事にまだ取りかかってない。きょうズンバで左足のふくらはぎを傷めた。足を後ろに出すときに、いつもは気をつけて重心がかからないようにしているのだが、きょうはほかのことに気を取られており、思わずめいっぱい重心をかけてしまって、なんかそのへんの筋肉がぴきーーーっと。少し休んで、二曲くらい飛ばしたあと、またゆるゆると参加したら、なんとかできたようなできなかったような。あしたのズンバは行けないかもしれない。あさってのズンバも行けないかもしれない。しあさってのズンバもどうかわからない。書いてない間に、実はすごく嬉しいことと悲しいことがあった。嬉しいことというのは、昔知っていた人と(電話で)再会したのである。電話でインタビューされていて、実は……といわれて、ええっと驚いたのなんの。忘れずにいてくれた、インタビューしてくれたということがほんとに嬉しかった。悲しいことというのは、某誌編集者のSさんが異動してしまったことである。長い間、待たせて、じらせて、はげまされて、(ぜんぜん書かないから)どうかつもちょこちょこされて、ナニワ金融道の桑田さんと顧客の一人みたいにつきあってきた。親孝行したいときには親はなしということわざを思い出した。ほんとに悲しくてたまらない。

   
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